第14-1話 誰が決めるか(1)
行軍演習の三日前。
一年生の各寮棟では、朝から同じ話題が続いていた。
行軍演習。
一年生全員が参加する、最初の大規模な野外演習である。
一学年は千人を超える。
全員を一室へ集める必要はないため、会議へ直接参加する班は、各寮棟から代表五班に絞られていた。
一班から出席するのは代表と副代表の二名。さらに各棟から二名ずつ、議事を残す記録係が加わる。
残る学生は、各教室や寮の共用室に設置された魔道投影盤を通じて会議を見る。
それでも大会議室に集まった学生は八十人を超えた。
人の熱気で、部屋には少し暑さがこもっている。
後方には教官たちが立っていた。
壁際にはユリウス・ハルヴェイン中尉の姿もある。
何も言わない。
今日の会議を仕切る気はないらしい。
正面の魔道投影盤には、一枚の地図が映されていた。
低い丘陵。
雑木林。
その西に広がる平原。
三本の街道。
二本の小河川。
そして平原側に赤い線。
仮想敵先遣隊の予想進出線。
今回の課題は単純だった。
同期全体で平原へ進出し、敵より先に有利な展開位置を確保すること。
ただし。
そこから先が単純ではない。
「まず全体指揮官を決めるべきです」
最前列の学生が言った。
高位貴族家出身。
軍務志望。
地方学院時代から軍事科目の成績もよく、自信もある。
「各班が好きに動いたのでは、千人を超える集団は部隊として機能しません」
何人かが頷く。
別の学生が手を挙げた。
「副指揮官も必要です。主力、前衛、後衛、兵站、偵察。それぞれに指揮責任者を置くべきだと思います」
話はすぐに役割の配分へ向かった。
誰が全体指揮官。
誰が主力第一群。
誰が前衛。
誰が予備隊。
軍務志望の学生ほどよく発言した。
当然だった。
彼らにとって今回の演習は、単なる必修ではない。
将来の評価につながる。
できるなら大きな部隊を率いたい。
できるなら指揮系統の上へ行きたい。
逆に、行政、外交、技術系志望の学生の多くは、あまり目立ちたがらなかった。
会議室の外でも同じだった。
魔道投影盤を見ている学生たちから、各寮の記録係を通じて意見が入ってくる。
『主力中央で構わない』
『指示された通り動ければよい』
『特殊任務を希望しない』
そして。
「兵站群、希望者は?」
会議室で手が挙がらない。
投影盤の脇に置かれた各寮からの回答板にも、希望班はほとんどない。
沈黙。
リオネルがここにいたなら、きっと人気がないと言っただろう。
だが、彼は第七寮の共用室で会議を見ている。
大会議室にいるのは、第七寮から選ばれた五つの代表班の学生たち。
第一班も、その一つだった。
ガイウス・レオニスが班代表。
その隣に、副代表としてエリアス・フェルマーが座っている。
もっとも本人は昨日、
「副代表って何するの?」
と聞いていた。
ガイウスは、
「俺が忘れそうなことを覚えててくれ」
と答えた。
大雑把だった。
*
会議は一刻ほど続いた。
全体指揮官。
主力二群。
右翼。
左翼。
前衛偵察。
後方支援。
兵站。
大まかな形ができていく。
そのたびに案は魔道投影盤を通じて各寮へ送られる。
寮側から異論があれば、記録係へ戻す。
その意見を大会議室で整理する。
一千人を超える人間が、一斉に発言することはできない。
だから代表を選ぶ。
代表だけですべてを決めるわけでもない。
だから途中で戻す。
時間はかかる。
だが、それ自体が今回の演習の一部なのだと、エリアスには思えた。
議論もそろそろ尽き始めた頃。
エリアスがガイウスの袖を軽く引いた。
「何?」
ガイウスが小声で聞く。
「このままだと、全部最初に決めるよね」
「そうだな」
「前の図上演習、覚えてる?」
「千人運ぶやつ?」
「うん」
ガイウスの顔が少し変わった。
「……船が五隻しかいなかったやつ」
「干し肉も足りなかった」
「豆になったな」
「そこじゃなくて」
エリアスは正面の地図を見る。
「今回、教官が何も起こさないと思う?」
ガイウスも地図を見る。
少し黙る。
「起こすだろうな」
「たぶん」
「で?」
エリアスはそれ以上言わなかった。
ガイウスの方が考え始める。
「全部の部隊を最初の命令通りに固定したら……」
「うん」
「状況が変わった時、全体指揮官の指示待ちになる」
「そうだね」
「通信が切れたら?」
「もっと困る」
ガイウスが腕を組む。
しばらく地図を見る。
「……独立して動ける部隊を残すか」
エリアスは少しだけ笑った。
「どういう?」
「お前、最初からそれ言わせたかっただろ」
「何のこと?」
「その顔やめろ」
*
ガイウスが手を挙げた。
会議の進行役が見る。
「レオニス生」
「提案があります」
立ち上がる。
大柄なので、それだけで目立つ。
「全体指揮系統とは別に、二つか三つ、小規模な独立機動班を置いた方がいいと思います」
すぐに反論が出た。
「指揮が乱れる」
「勝手に動く部隊を作るのか?」
「違う」
ガイウスは地図を指す。
「勝手にじゃない。目的を先に共有する」
「目的?」
「優先順位を決めるんだ」
少し考えながら、言葉を続ける。
「第一。平原への出口を全部敵に取らせない」
指を一本立てる。
「第二。主力の補給線を切らせない」
二本目。
「第三。敵が予想外の方向から来たら、主力が動く時間を稼ぐ」
三本目。
会議室が少し静かになる。
ガイウスは続けた。
「通信できる間は全体指揮官の命令に従う。でも、通信が切れた時や、命令を待っていたら間に合わない時は、この優先順位で現地判断する」
前列の軍務志望学生が尋ねる。
「なぜ必要だ?」
ガイウスは答えた。
「教官が、俺たちの計画通りに演習してくれると思わないからだ」
後ろで何人かが笑う。
教官たちは笑わない。
ハルヴェイン中尉だけが、ほんの少し口元を動かした。
「前回の図上演習でもそうだった」
ガイウスが続ける。
「計画は必要だ。でも、計画を守ることが目的じゃない」
エリアスは黙って聞いている。
その言葉は、前回の授業でハルヴェイン中尉が教えたことだった。
だが、今それをこの場へ持ち込んだのはガイウス自身だった。
「予想外のことが起きた時、全体が止まらないようにした方がいい」
別の学生が手を挙げた。
「独立判断を許すなら、それに向かない班もある」
「その通り」
ガイウスは即答した。
「だから、どの班でもいいわけじゃない」
「条件は?」
エリアスが少しだけ前へ身を乗り出した。
ガイウスは答える。
「まず情報を取れること」
指を一本。
「次に、今どうなっているか分析できること」
二本。
「その場で決断できること」
三本。
「最後に、それを実行できること」
四本。
軍務志望者たちの表情が変わる。
単なる予備隊ではない。
状況判断を委ねられる機動班。
それなら話が違う。
「人数は?」
「一班五人を基本にする」
「少なすぎないか?」
「だから動ける」
会議室のあちこちで、小声の議論が始まる。
そしてほぼ同時に、各寮へ送られている魔道投影盤の向こうでも議論が始まっていた。
*
提案は、その場では決まらなかった。
一度、各寮へ戻された。
第七寮の共用室。
魔道投影盤には、ガイウスの姿とともに提案内容が表示されている。
ヒルデガルドは腕を組んで読んだ。
「なるほど」
リオネルが隣で笑う。
「ガイウス、いつからあんなこと考えるようになったんだ?」
マリエッタは少し考えた。
「ガイウスだけでしょうか」
二人が彼女を見る。
「どういう意味?」
「いえ」
マリエッタは投影盤を見る。
「エリアスも隣にいますから」
ヒルデガルドは何も言わなかった。
だが、同じことを考えていた。




