第13-2話 千人を運ぶ(2)
第三日。
地方集積所。
マリエッタのところへ札が置かれる。
干し肉、予定量の六割。
「四割は?」
「誤発注」
「どんな?」
「百箱を百袋と記載」
マリエッタが目を閉じた。
「誰ですか、こんな間違いする人」
地方官役の上級生が答える。
「現実にいます」
「……そうですか」
*
それでも計画は崩れなかった。
兵員携行食が残っている。
別系統の穀物備蓄もある。
肉は減るが、必要熱量は確保できる。
「一日だけ豆を増やします」
マリエッタが言った。
ガイウスが顔をしかめる。
「兵の不満が出るぞ」
「飢えるよりいいです」
「それはそうだが」
エリアスが記録する。
「士気低下、一段階?」
ハルヴェインが答える。
「妥当です」
第四日。
今度はエレオノーラ王女が来た。
「作戦変更です」
五人が顔を上げる。
「アルネ城塞への直接展開を一部変更します。敵斥候が北側に出現したため、六百名を南東のケルン丘陵へ先行配置してください」
ガイウスが立ち上がった。
「殿下。期限はいつまででしょうか」
「六日目の正午です」
「……それは無理です」
即答だった。
エレオノーラ王女が少し笑う。
「作戦局からの命令です」
「承知しました。しかし、現在の輸送状況では、物理的に達成できません」
教室の空気が少し止まった。
王女に対する返答としては、かなり率直だった。
だが、無礼ではない。
エレオノーラ王女も気にした様子はなかった。
むしろ、少し興味深そうにガイウスを見る。
ヒルデガルドが言った。
「六百名すべてを同じ経路で動かす必要はないわ」
「今ここで分割したら、補給も割れる」
リオネルが言う。
「でも、作戦局命令なら無視はできないだろ」
マリエッタも資料を開く。
「六百人分の糧食を分けます」
議論が始まる。
その中で、エリアスだけが黙っていた。
「エリアス?」
ヒルデガルドが呼ぶ。
「うん」
「何かある?」
「ちょっと待って」
地図。
船。
現在地。
兵員。
残存携行食。
現地業者。
エリアスの指が地図の一点で止まった。
エレオノーラ王女を見る。
「殿下。ケルン丘陵というのは、ここですか?」
「そうです」
「この南側に運河がありますよね」
「あります」
「軍用船は入れますか?」
「入りません。水深が足りませんから」
「では、民間の平底船なら?」
王女の表情が少し変わった。
リオネルが資料をめくる。
「あった」
エリアスが聞く。
「何隻?」
「登録業者……十四隻」
「必要なのは?」
ガイウスが計算する。
「人員だけなら八。装備込みなら十一」
「全部借りなくていい」
エリアスは言った。
「四百人だけ船で先に送る」
「残り二百は?」
「歩く」
「六百同時じゃないぞ」
エリアスは少し考え、王女を見る。
「殿下。命令は『六百名を配置』ですよね」
「そうです」
「同時に到着させる、とは書かれていません」
教室が静かになる。
エレオノーラ王女は命令書へ目を落とした。
一度読む。
それから、エリアスを見る。
口元に小さな笑みが浮かんだ。
「……確かに、書かれていませんね」
ガイウスが地図を見る。
「四百を船で先行。二百は軽装で陸路……」
マリエッタが続ける。
「先行隊には二日分の糧食」
リオネルが資料を引き寄せる。
「平底船の契約を取る」
ヒルデガルドが止めた。
「待って。財務承認」
「あ」
また止まった。
*
ここでエリアスは、最初に確保した予備費枠を使った。
緊急輸送。
契約。
地方局承認。
通信。
五人が一斉に動く。
しかし。
「平底船、十四隻中五隻しか使えません」
ヴァルグ人留学生が告げた。
リオネルが声を上げる。
「さっき十四って言っただろ!」
「登録数は十四です」
「じゃあ九隻は?」
「三隻修理中。二隻は穀物輸送。四隻は現在地不明」
「現在地不明って何だよ!」
留学生は肩をすくめた。
「民間船ですから」
*
さすがにエリアスも止まった。
「……困った」
ヒルデガルドが彼を見る。
「珍しいわね」
「何が?」
「あなたが困ったって言うの」
「困ってるから」
エレオノーラ王女が尋ねた。
「では、どうしますか?」
エリアスはすぐには答えなかった。
しばらく地図を見る。
そして言った。
「命令を達成できる確率を下げます」
王女が眉を上げる。
「どういう意味ですか?」
「確実に六百人を六日目の正午までに配置するのは、もう無理です」
ガイウスが頷いた。
「俺もそう思う」
「だから、失敗した時に何を守るか決める」
エリアスは地図を指した。
「五隻で先行できる人数を送る。残りは陸路。ただし、速度を上げすぎない」
ガイウスが聞く。
「期限に間に合わないかもしれないぞ」
「間に合わせるために疲労させたら、着いても戦えない」
最初に筆記板へ書かれた条件。
『戦闘可能状態。』
ガイウスがそれを見る。
「……そうだな」
エリアスはエレオノーラ王女へ向き直った。
「殿下。作戦局へ報告をお願いします」
「内容は?」
「六百名の期限内配置は保証できません。ただし、四百五十名前後は期限内に配置可能。残りは六日目夕刻までの到着を見込みます」
エレオノーラ王女はエリアスを見た。
「命令を達成できないと、自分から報告するのですね」
「はい」
「命令違反と判断される可能性もありますよ」
「はい」
「それでも?」
エリアスは少し考えた。
「殿下。できないことを、できますと報告する方がまずいと思います」
数秒。
王女は何も言わなかった。
それから、わずかに笑った。
「分かりました。その内容で作戦局へ報告します」
*
最終結果。
先行四百六十二名。
六日目午前十一時四十分、ケルン丘陵到着。
残余百三十八名。
午後四時十分。
本隊四百名は当初計画通りアルネ方面へ。
重大脱落者なし。
疲労度、中。
糧食残量、一・七日。
費用。
当初予算比、一一三パーセント。
リオネルが顔をしかめた。
「予算超過」
ヒルデガルドが答える。
「予備費込みなら承認枠内よ」
マリエッタが言う。
「干し肉は足りませんでしたけど」
ガイウスが頷く。
「豆は足りた」
「兵から嫌われそう」
「俺なら嫌だ」
五人が笑った。
*
授業の最後。
ハルヴェイン中尉が各班の結果を筆記板へ並べた。
最速。
最安。
最高戦力維持率。
命令達成率。
どの班も、すべてでは一位になっていない。
「今日の課題に、最適解はありません」
ハルヴェインは言った。
「なぜなら、途中で条件を変えたからです」
一人の学生が手を挙げる。
「では、最初の計画を精密に作る意味がないのでは?」
「あります」
即答だった。
「計画がなければ、何が狂ったのか分かりません」
教室が静かになる。
「ただし」
筆記板の予定線を一本消す。
「計画を守ることを目的にしてはいけない」
もう一本。
「目的を守るために、計画を変えるのです」
そして学生たちを見る。
「諸君はこれから校外実習に出ます」
少しざわめいた。
「今日扱った千名は架空です」
ハルヴェインは続ける。
「しかし実習では、食事が届かなければ本当に食べられません」
リオネルが嫌そうな顔をする。
誰かが聞いた。
「靴下が届かなければ?」
「濡れた靴下を履いて歩いてください」
笑いが起きた。
ハルヴェインは笑わない。
「笑っていますが、足を傷めれば行軍不能です」
笑いが消えた。
「兵站とは、数字ではありません」
机の上の計画書を指で叩く。
「数字の向こうに、人間がいる仕事です」
*
授業後。
五人は行政学舎の階段を下りていた。
リオネルが伸びをする。
「疲れた」
ガイウスが笑う。
「一歩も歩いてないぞ」
「頭が歩いた」
マリエッタが言う。
「私は、干し肉百箱を百袋にした人に会ってみたいです」
ヒルデガルドが聞く。
「会ったら?」
「発注書の書き方を一から教えます」
「怖いな」
エリアスは黙っていた。
ヒルデガルドが気づく。
「どうしたの?」
「今日のやつ」
「うん」
「面白かった」
四人が見る。
ガイウスが聞いた。
「お前、あれ面白かったのか?」
「うん」
「どこが?」
エリアスは少し考えた。
「全部予定通りにいかないところ」
リオネルが言う。
「性格悪くない?」
「違うよ」
エリアスは笑った。
「予定通りにいかないって最初から分かってれば、そのための場所を空けておけるでしょう」
ヒルデガルドが彼を見る。
「何の場所?」
「まだ分からない」
「分からないものの場所を空けるの?」
「うん」
少し間。
「何か起きた時に考えるための場所」
ヒルデガルドは何も言わなかった。
ただ、その言葉だけは覚えておこうと思った。
四人より少し先を歩いていたエリアスは、もう次の授業の時間を気にしている。
十二年後。
彼が一国の統計に現れた、説明のつかない空白を前にした時にも。
同じように。
分からないものを、分かったことにしない。
それが、彼の仕事の始まりになる。




