第13-1話 千人を運ぶ(1)
「千人を、ここへ運んでください」
教室の中央に立つユリウス・ハルヴェイン中尉は、地図の一点を指した。
誰もすぐには答えなかった。
壁に貼られた地図には、王都から東へ延びる河川が描かれている。
途中で運河へ分かれ、さらに支流へ入る。
その先。
川から二日の距離に、小さな城塞都市があった。
「期限は?」
一人の学生が尋ねる。
「七日目の日没」
ハルヴェインは答えた。
「千名の歩兵大隊。人員だけ到着させればよい、という意味ではありません」
筆記板へ書く。
『一千名。七日。戦闘可能状態。』
「七日目の日没までに、七割以上の兵員が翌朝から通常の軍事行動を開始できる状態で、アルネ城塞周辺へ展開すること」
ガイウスの顔が少し変わった。
単なる行軍ではないと分かったらしい。
「装備は?」
「資料にあります」
「糧食は?」
「資料にあります」
「船舶は?」
「資料にあります」
リオネルが小声で言った。
「何でも資料だな」
エリアスはすでに冊子を開いていた。
厚い。
「……多い」
「それも軍務です」
ハルヴェインは淡々と言った。
*
課題資料は三十七頁あった。
部隊編成。
一日当たりの糧食必要量。
携行可能重量。
徒歩行軍速度。
休息時間。
河川輸送能力。
船舶運賃。
軍用船の申請手順。
民間船を徴用せず、契約輸送を行う場合の書式。
地方行政局への通信依頼。
集積所一覧。
登録業者。
馬匹。飼料。
靴。靴下。
医薬品。予備装備。
そして、財務院の支出規則。
マリエッタが最後までめくった。
「これ、戦術の授業ですよね?」
ハルヴェインが彼女を見る。
「軍事行動準備論です」
「……なるほど」
「戦術を始める前に兵士が到着しなければ、戦術は必要ありません」
*
学生は五人一組。
第七十三期第七寮第一班も、いつもの五人で机を囲んだ。
寄せられた机の中央には支給された紙の地図が置かれており、横には移動距離を測る計算尺が置いてある。
地図の横には、時間ごとの計画と実際の移動状況を記すための、何ページもの表を束ねた冊子が置かれ、記録精霊がその上で待機している。
今回の授業では、役割を決めなければならない。
「俺が部隊運用をやる」
班長のガイウスが言った。
誰も反対しない。
「移動速度、休息、部隊分割。それと到着後の戦闘可能率」
「じゃあ俺は通信と民間業者」
リオネルが言う。
ヒルデガルドが聞いた。
「交渉も?」
「やる」
「値切りすぎないでね」
「架空の商人相手だぞ?」
「あなたなら架空でも値切りそうだから」
マリエッタは地方調達と物資。
ヒルデガルドは行政手続き、地方局との調整、それに全体の情報管理。
残ったエリアスを、ガイウスが見る。
「何やる?」
エリアスは資料を見ていた。
「つなぐ」
「何を?」
「全部」
四人が見る。
「ガイウスが何日目にどこへ着きたいか決めるでしょう」
「うん」
「そうしたらマリエッタが、そこに必要な物を置く」
「はい」
「リオネルが運ぶ手段を確保する。ヒルデガルドが手続きを通す」
「それで?」
「どれか一つ遅れると全部ずれるから、僕が時間を合わせる」
リオネルが言った。
「一番面倒なの取ったな」
エリアスは少し考えた。
「たぶん」
*
最初の案は簡単だった。
第一日。
王都から軍用河川船で八百名を輸送。
二百名は先発隊として陸路。
第二日。
中流の軍集積所で合流。
第三日。
運河へ入る。
第四日。
終端港。
第五、六日。
徒歩行軍。
七日目。
アルネ城塞到着。
「綺麗だな」
ガイウスが言う。
「綺麗すぎる」
エリアスが答えた。
ヒルデガルドが見る。
「何が?」
「全部予定通りなら」
「予定を立てる課題でしょう」
「でも、予定通りになるかな」
マリエッタが資料をめくった。
「天候変動表があります」
「それだけじゃない」
エリアスは予定表を見る。
「船が遅れる。荷物を間違える。地方局が通信を見落とす。業者が約束した数を用意できない」
リオネルが聞く。
「全部考えるの?」
「無理」
「じゃあ、どうするんだ?」
エリアスは少し考えた。
「全部考えない」
*
彼は予定表を三本に分けた。
人員。
主要物資。
現地調達品。
「同じ船に全部載せるのをやめよう」
ガイウスが地図を見る。
「分散する?」
「うん」
「護衛が面倒になるぞ」
「でも、一隻止まって全部止まるよりいい」
マリエッタが聞いた。
「糧食も?」
「最初の三日分は兵員が持つ」
「重くなる」
ガイウスが即座に指摘した。
「だから全部じゃない。二日半くらい」
「半日?」
「半日あれば、次の集積所が失敗しても止まらずに済むかもしれない」
「靴下は?」
マリエッタが聞いた。
「現地調達」
「全量?」
「いや」
エリアスは考える。
「半分は持っていこう」
リオネルが笑った。
「お前、半分好きだな」
「ゼロか全部かにすると、外れた時に困るから」
*
計画はだんだん複雑になった。
王都軍需倉庫から出すもの。
地方局に事前配置させるもの。
民間業者から買うもの。
部隊が直接携行するもの。
さらに支払い。
マリエッタが一枚の書類を持ち上げた。
「リオネル。これでは靴下を買えません」
「何で?」
「財務院の承認印がない」
「見積もり出したぞ」
「その見積もりを添付して承認を受けるんです」
「面倒くさいな」
ヒルデガルドが言った。
「税金ですもの」
「戦争中でも?」
「戦争中だからでしょう。何でも買えるようにしたら、いくら使うつもり?」
「兵士の足が濡れてるんだぞ」
「だから事前に手続きするの」
ガイウスが二人を見る。
「喧嘩するな。兵が裸足になる」
エリアスが紙を一枚差し出した。
「予備費枠を取れば?」
ヒルデガルドが読む。
「……できる」
リオネルが覗き込む。
「いくら?」
「通常予算の八パーセントまで」
「全部取ろう」
「理由を書いて」
「靴下」
「却下されるわよ」
*
二時間後。
各班の計画が提出された。
ハルヴェイン中尉が全員を見る。
「では、実行します」
教室が少しざわついた。
「実行?」
「図上で」
教室後方の扉が開いた。
数人の上級生が入ってくる。
その後ろには留学生。
そして最後に、一人だけ胸元に小さな王家章を付けた女子学生が入ってきた。
エレオノーラ・アルヴェリオン第三王女。
現国王レオポルト四世の第五子であり、十七歳。現在は統学院に在学している。
リオネルが小声で言った。
「嫌な予感しかしない」
ハルヴェインは聞こえていたらしい。
「正しい感覚です」
*
上級生たちは地方官役。
留学生は民間業者、船主、隣接地域の行政官。
そして、エレオノーラ王女は――
一人の学生が手を挙げた。
「殿下は、どのようなお役でしょうか」
エレオノーラ王女自身が答えた。
「軍務院作戦局から派遣された連絡官役だそうです」
少し楽しそうに笑う。
「よろしくお願いします」
ガイウスが小声で呟いた。
「味方じゃないのか?」
ヒルデガルドがさらに小さな声で返す。
「味方だから厄介な場合もあるわ」
*
第一日。問題なし。
第二日午前。問題発生。
「第二船団、六時間遅延」
上級生が札を置く。
理由。
上流域の豪雨。水位上昇。
安全規則により夜間航行禁止。
ガイウスが計算する。
「まだ吸収できる」
エリアスも頷く。
予備時間内。
第二日午後。
リオネルのところへ留学生が来る。
ヴァルグ出身の学生だった。
「契約船一隻、使用不能」
「何で?」
「船主が別契約を優先した」
「契約違反だろ」
「違約金を払うと言っています」
「戦時輸送だぞ」
「民間契約です」
リオネルが固まる。
ヒルデガルドが資料を取った。
「代替船の優先使用条項は?」
「あ」
ない。
リオネルが頭を抱えた。
「やられた」




