第2章 資産接触プロトコル 【 第2話 】 複雑化した象形文字で
警察の「情報網遮断」という
執念の捜査に対し、
トクリュウ側もまた、
警察の目を完全に眩ませるための
新たな「デジタル迷彩」を
完成させつつあった。
暗躍する「不可視の影」との、
新たな泥沼の知恵比べが
幕を開けたのだった。
2026年4月。関東近郊、A県K市郊外。
かつては里山だった丘陵地が、
五年前から
「スマート集落」として再開発されていた。
太陽光パネルと蓄電池、
IoT家電を標準装備した
瀟洒な住宅が並ぶ一帯だ。
行政の補助金が投じられ、
地方創生の成功例として
テレビでも取り上げられたことがある。
その一角に、平屋建ての古い
日本家屋が一軒だけ取り残されていた。
周囲の新築住宅とは
明らかに異質な佇まいだったが、
敷地の広さと
庭の手入れの行き届き具合が、
住人の資産を無言のうちに物語っていた。
表札には「桐生」とだけ刻まれている。
桐生忠雄、78歳。
元は地元で
手広く不動産業を営んでいたが、
十年前に妻を亡くしてからは
一人暮らしを続けていた。
子供はいない。
近所付き合いもほとんどなく、
週に一度、
御用聞きの酒屋が顔を見せる程度だった。
その桐生家の擁壁に、ある夜、
新たな傷が刻まれた。
深さ数ミリ、長さ十数センチの、
一見すると不規則な引っ掻き傷にしか
見えない線描だった。
だが、その線の角度、間隔、
交点の数――すべてに意味があった。
「単独高齢」「現金保有大」
「カメラ死角あり」「スマートロック未設置」。
案件屋の男は、懐中電灯すら使わず、
暗闇の中で手探りに近い動作で
その記号を刻み込んだ。
彼自身、この記号体系の全貌を
理解しているわけではない。
ただ、決められた通りに刻めば、
後で報酬が振り込まれる。
それだけを知っていた。
同じ夜、東南アジアの熱帯都市。
高層ビルの一室で、
トクリュウの新たな統括役、
コードネーム『蜘蛛』は
モニターに映る衛星画像と
ドローン撮影の街頭写真を交互に切り替えていた。
K市の一帯が、赤い枠でハイライトされている。
AIが、ここ数週間で収集した
「象形文字」データの中から、
資産価値の高いターゲットを
自動的に絞り込んでいた。
桐生忠雄の名は、
まだAIの出力画面には現れない。
表示されるのは座標と属性タグだけだ。
〈対象ID:K-0417/単独居住/推定資産:
上位5%/防犯脆弱性スコア:92〉
『蜘蛛』は口元を歪めた。
「名前も顔も知らない。
それでいい。
俺が扱うのは人間じゃない、データだ」
彼のAIは、案件屋が刻んだ記号を
解読するだけでなく、
その地域の不動産登記情報、
電力使用量の異常値、
SNS上の家族構成の推測データまでを統合し、
独自のスコアリングモデルを構築していた。
人間の判断が介在する余地は、
ほとんど残されていない。
「次の段階に進む」
『蜘蛛』はキーボードを叩き、
実験の名称を打ち込んだ。
〈Project ZEROHAND――
人間を介さない資金回収プロトコル〉
これまでの犯罪は、
必ずどこかに「人間の手」を必要とした。
実行役、運び屋、受け子。だが、
それらはすべて
摘発の糸口になり得る弱点でもあった。
『蜘蛛』が目指すのは、
その弱点を根こそぎ排除した、
完全自律型の犯罪インフラだった。
AIが選び出した「K-0417」――
桐生忠雄の資産情報が、
システム上でひとつの計画へと
組み上げられていく。
まず着手されたのは、
桐生家周辺のスマートインフラへの
静かな接触だった。
近隣の共有型EV充電ステーション、
防犯カメラのクラウド管理システム、
集落全体の
エネルギーマネジメントシステム――
スマート集落化によって
整備されたはずのインフラそのものが、
AIにとっては絶好の侵入経路だった。
「皮肉なものだな。
便利になればなるほど、隙間は増える」
『蜘蛛』は呟きながら、
AIが自動生成した
侵入シナリオのログを眺めた。
人間のハッカーが
数週間かけて行うような偵察作業を、
AIはわずか数時間で完了させていた。
だが、『蜘蛛』が本当に見ているのは、
この一件の成否ではなかった。
彼が構築しているのは、日本全国、
いずれは世界中の「案件屋」の物理的な足跡と、
AIの自動解析能力を接続する仕組みそのものだ。
桐生忠雄は、その巨大な実験における、
最初の被験体に過ぎない。
モニターの端で、システムが静かに
次のフェーズへの移行を告げた。
〈Phase 2:資産接触プロトコル
起動準備完了〉
日本の片隅で老人が知らぬ間に、
遠い異国のAIが
彼の人生の残りを計算し始めていた。
K市の夜は、
いつもと変わらず静かだった。
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桐生忠雄の一日は、
いつも判で押したように同じだった。
朝六時に起き、庭の草木に水をやり、
仏壇に線香を上げる。
朝食は白米と味噌汁、漬物。
午前中は縁側で新聞を読み、……。
明日も、19:20 に、投稿します。
よろしくお願いいたします。




