【第1部】亡霊の混迷:手探りの犯罪インフラ(2024-2026) 第4章:冷徹な仮面(5) 蜘蛛の糸の切れる場所
物流倉庫での夜勤を終えた拓海は、朝の冷たい空気を吸い込みながら、駅前へと歩いていた。ふと足を止めると、駅の電光掲示板に「SNSを利用した闇バイト撲滅月間」の文字が躍っているのが目に入る。
立ち止まってそれを見上げていると、「宮坂」と、背後から聞き覚えのある低い声がかけられた。
振り返ると、トレンチコートを着た松永警部補が立っていた。手には缶コーヒーを二つ持っている。松永は一本を拓海に手渡すと、自らもプルタブを開けた。
「真面目にやっているようだな。現場の人間から報告は受けている」
「松永さん……。はい、なんとか。ここで必死に働くのが、今の俺にできる唯一のことですから」
拓海は缶コーヒーの温かさに息を吐きながら答えた。前科という消えない傷を負いながらも、その目は一ヶ月前のような絶望ではなく、現実をしっかりと見据える光が戻っていた。
「石川の上の組織も、サイバー班と国際捜査の連携でほぼ網羅した。お前たちの実家を狙っていた“回収班”の連中も全員裏が取れて逮捕されたよ。お前の母親も、亮太の実家も、もう安全だ」
松永のその言葉に、拓海の肩からようやく最後の余計な力が抜けたような気がした。自分を縛り付けていた「見えない首輪」の鎖が、今度こそ完全に断ち切られたのだと実感した。
「ありがとうございます……。亮太は、どうしていますか?」
恐る恐る尋ねた拓海に、松永は少し目を伏せて答えた。
「あいつの執行猶予も決まった。別の地方の親戚のところで、やはり働きながらやり直すそうだ。……お前に『いつか、自分がちゃんと前を向いて歩けるようになったら、また普通に話そう』と伝えてくれと言っていたぞ」
「亮太が……」
拓海の目から、今度は大粒の、温かい涙が溢れ落ちた。自分が裏切り、地獄へ突き落とした親友は、それでもなお、未来のつながりを完全に捨ててはいなかった。いつかお互いが自分の足でしっかりと立てるようになったその時、二人の壊れた絆は、もう一度だけ結び直せるかもしれない。
「世の中にはな、宮坂。一度間違えたら二度と戻れない道もある。だが、お前はギリギリのところで踏みとどまり、生き残った。生き残ったなら、その命で、二度とあんな泥水に頭を突っ込むなよ」
松永はそう言うと、空になった缶をゴミ箱に投げ入れ、軽く手を挙げて雑踏の中へと消えていった。
拓海は涙を拭い、もう一度スマートフォンを取り出した。画面には、かつて彼を恐怖させた悪魔のメッセージも、親友を売った醜い自分の言葉も残っていない。ただ、母親から送られてきた「今日の夜ご飯は何がいい?」という、当たり前で、何よりも尊い日常のメッセージだけが光っていた。
スマートフォンの画面をポケットにしまい、拓海は歩き出す。
SNSという蜘蛛の巣が張り巡らされた現代の闇の中で、一度は絡め取られた少年。だが、彼は今、偽りの高収入ではなく、自分の足で冷たいアスファルトを踏みしめ、確かに光の差す方へと一歩を踏み出したのだった。
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