【第1部】亡霊の混迷:手探りの犯罪インフラ(2024-2026) 第4章:冷徹な仮面(4) 残響の向こう側
前科者としての、そして「家族を守り切った」という、あまりにも重い代償を払った拓海の新しい日常が始まった。
大学を追われた拓海は、人目を避けるようにして、都心から外れた物流倉庫での夜間アルバイトを始めていた。深夜から早朝にかけて、黙々と段ボールを仕分け、トラックに積み込む過酷な肉体労働だ。かつてスマートフォンを数回タップするだけで手に入った数万円という大金の異常さと、一時間汗を流して手に入る千数百円という重みが、拓海の乾いた心にじわりと染み込んでいく。
「宮坂くん、これ、あっちのレーンに回しといて」
「はい、分かりました」
先輩作業員に頭を下げ、重い荷物を運ぶ。首筋からは汗が流れ落ちるが、あの暗闇の邸宅でかいた「冷や汗」に比べれば、何百倍も健康的だった。
実家では、母親が以前と変わらずパートへと通い、倒れた父親の介護を続けている。拓海が逮捕された当初は絶望のどん底にいた母親だったが、執行猶予がつき、毎月わずかずつでも家計に金を入れ始めた息子を、何も言わずに温かい食事で迎えてくれた。
「ただいま、母さん」
朝、バイトから帰宅した拓海が居間のドアを開けると、母親がテレビを見ていた。
画面に映っていたのは、警視庁が主導する「トクリュウ撲滅キャンペーン」のニュースだった。石川の逮捕後も警察の徹底的な捜査は続いており、リクルーターのアカウントが次々と凍結され、少年院や刑務所に送られる若者の数が日々報じられている。
『SNSの「ホワイト案件」は100%詐欺です。一度身分証を送れば、二度と抜け出せません。勇気を持って警察に相談を――』
テレビの中で呼びかける警察官の姿を見つめながら、拓海はそっと自分のスマートフォンを取り出した。
あの一件以来、SNSのアプリはすべて削除し、連絡先も母親と数人の身内だけに限定している。画面は驚くほど静かで、かつて自分を執拗に追い詰めたテレグラムの通知音が響くことは二度とない。
しかし、拓海の心の中には、今もあの暗黒の数日間の「残響」が消えずに残っていた。
夜、ふとした瞬間にスマートフォンのバイブ音が鳴るだけで、心臓が跳ね上がり、全身から血の気が引く。自分が親友の亮太を地獄へ引きずり込んでしまったという罪悪感は、執行猶予の期間が終わろうとも、一生消えることはないだろう。
「俺は、一生これを背負って生きていくんだ」
拓海は静かにスマートフォンの画面を伏せ、母親が淹れてくれたお茶を口にした。
トクリュウという社会の病理に巻き込まれ、一度は人生のレールを完全に外れた少年。警察の執念の検挙によって命までは奪われずに済んだが、彼が失った「普通の20歳」の時間は二度と戻らない。地道に、一歩ずつ、泥の中を這うようにして信頼を取り戻していくことだけが、彼に残された唯一の贖罪の道だった。
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