【第1部】亡霊の混迷:手探りの犯罪インフラ(2024-2026) 第3章:亡霊の思考 (2) 鉄格子の告白
壁も机も無機質な灰色に染まった警視庁の取調室。宮坂拓海は、パイプ椅子の上で小さく震えていた。手錠は外されていたが、両手は深く組まれたまま、机の上のカツ丼ならぬプラスチックの紙コップを見つめている。
対面に座るのは、現場で指揮を執っていたベテラン警部補の松永だった。松永は急かすこともなく、拓海が提出したスマートフォンから復元されたわずかなパケットログの資料をめくっている。
「……信じてもらえないかもしれないですけど」
拓海は掠れた声で、絞り出すように言った。
「俺、本当に強盗なんてするつもりなかったんです。インフルエンサーの副業募集に応募しただけで……気づいたら身分証も実家の住所も握られてて、『逃げたら母親を殺す』って。行くしかなかったんです」
大粒の涙が拓海の頬を伝い、机に落ちた。その言葉に嘘偽りがないことは、松永も百も承知だった。近年のトクリュウが仕掛ける「恐怖のパッケージ」は、若者の認知を完全にバグらせる。
「宮坂。お前が極限の恐怖の中にいたことは分かっている」
松永は静かに資料を閉じ、拓海をまっすぐに見据えた。
「だがな、被害者の老人はお前たちがアルミサッシを破壊する音を聞いて、今も恐怖で夜も眠れない状態だ。もし俺たちが踏み込まなければ、お前は本当にバールを振り下ろしていたかもしれない。恐怖に負けたとはいえ、一線を越えようとした事実は消えないんだ」
拓海は絶望に顔を覆った。執行猶予がつくかどうかも分からない。大学は確実に退学処分だろう。実家の母親にも多大な迷惑と心配をかけることになる。SNSの軽いボタン一つで、二十年の人生が音を立てて崩れ去った。
「お前が犯した罪の償いは、これから裁判で決まる。だがな宮坂、お前をこんな目に遭わせた『黒金』という指示役を、このまま野放しにしていいと思うか?」
松永の言葉に、拓海は顔を跳ね上げた。目には激しい悔しさと憎悪が宿っていた。
「あいつらを……捕まえられるんですか? スマホのデータは全部消えたのに……」
「消えたのは端末のデータだけだ。ネットの海には必ず足跡が残る」
松永は不敵に微笑んだ。
「お前が黒金と話していたあの時間、俺たちのサイバー班は、消去命令が出された海外サーバーのIPアドレスをリアルタイムで追跡していた。そして、組織の『金流』――つまり、お前たちを脅すために使われた暗号資産のウォレット口座の特定に成功した」
トクリュウは匿名性を盾にしているが、それは完璧ではない。警察庁が2024年から進めてきたサイバー捜査の法改正と最新の解析技術が、ついに黒金の「見えない鎖」の端っこを捉えようとしていた。
「宮坂、お前の知っていることを全て話せ。それが、お前をハメた組織への唯一の復讐だ」
鉄格子の向こう側で、絶望していた若者の告白が、警察の放つ追跡弾の「座標」へと変わっていく。
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