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8. 山ノ神信仰と精霊

 聞いていない。夕食は太智と一緒だと思っていたのに。


 なぜ、お前がいる。――天贖『様』。


「皆、本日から太智の世話係として仲間入りをした『月島 容』だ。よく面倒を見てやってくれ」


 天贖が大広間の中央で膳を前に胡坐をかき、容を手で指し示した。


 容は太智と向かい合わせの席で、天贖とは斜め横向きになっている。周囲には楓や義喜、他の男衆、女衆が集まっている。女衆に至っては30~40人いる。男衆は袴、女衆は中居のような臙脂(えんじ)色の着物を着ていた。彼らは天贖の言葉に頷き、口々に承知の意を示した。


 大広間というだけあってこの部屋の広さは学校の体育館ほどに大きい。普段は町会や何か集会でもしているのだろうか。周りに集まっている人達は何も持っていないのに、天贖、太智、容だけは膳の前だ。先に座らせてもらっていて、しかもそれがここの長と一緒で、肩身が狭い。


 天贖は良く通る声で「楓」と呼んだ。


「はい。お母様からの『言い付け』があります。『容は、御家長、太智と生活を共にすべし』。『皆は容を男衆と女衆両方の一員として扱い、禁域に立ち入りを許し、また、古来よりのしきたりを共有すべし』」


 容は女だが、男衆の一員とも扱うとは、確かに特殊な事例で、特別待遇といったところなのかもしれない。だがこれも綾乃の真意を知る術は今のところない。流石に容の個人的な事情で、秘匿された存在である綾乃に会いに行きたいと楓に頼むのは忍びない。


 とりあえず、禁域だのしきたりだのはわからないまま、容は立ち上がり、頭を垂れた。


「『月島 容』と申します。太智さんのお世話をさせていただきます。よろしくお願いいたします」


 周囲からは拍手が起き、容は恥ずかしい思いをしながら何度も頭を垂れる。ふと周りと見渡すと、笑顔で手を叩く女衆の他に、数人は容を睨んでいるように見えた。


 なぜだろう。


 何となく女の執念を見たようで、背筋が寒くなる。容は見なかったことにして膳の前に座った。


「……よろしくお願いします」


 向かいの太智がふくれっ面をしながらも挨拶をしてくれた。


「こちらこそ、よろしく。で、太智、ご飯時っていつもこうなの?」


 容がよそ見をしている間に、周囲にいた男衆、女衆はぞろぞろと去っていく。天贖の前で緊張しているのか、雑談などは一切ない。声が聞こえたのは大分離れてからだ。この巨大な大広間の一角に3人きりとは、物寂しい。


「皆も一緒にご飯食べるわけじゃないんだ」

「いつもはこんな大広間じゃないぜ。容を紹介するためにここにしたんだと思う、今日は。いつもは西棟の小さい広間」


 天贖がわざわざ大広間で夕食を取ることにして、容を紹介してくれたのか。天贖も太智も、なんだかんだと律儀で、育ちの良さを感じる。


「じゃあ太智と天贖様とでいつも夕食とってるんだ?」

「時々楓さんが入ったり、義喜さんや他の男の人が入る時もあるけど、一応、俺と天贖様だけ。何で容が一緒になるんだよって思うけど、お母様が言うなら、仕方がないっていうか。仕方なくだからな!」


 太智は今にも噛みつきそうな勢いで前のめりになった。箸で人を指すんじゃない。これはそのうち言おう。


「お母様を知ってるの!?」


 それより、同じ立場の者がいたことに驚き、思わず大声になった。容が特別待遇となった理由が太智の話でわかるかもしれないと思ったのだ。容のあまりの剣幕に圧されたか、太智が弱弱しく話し出した。


「お、おう……。お母様のことは皆知ってるよ。でも、会ったことない」

「なんだ、そうかぁ」


 残念がっていると、右の方から天贖の声がした。大きめの広間でも十分に響く、重く低い声だ。


「仲が良いのはいいが、そろそろ食事を始めないか、お前達」

「は、はい! 天贖様、すみません」


 天贖の声が柔らかかった。太智に対しては、優しさが見える。ちなみに今も天贖とは目線が合わなかった。容の方からは見ているのに合わないのは天贖がわざと目を合わさないからだ。


「「「いただきます」」」


 3人揃って言い、食事を始める。膳には前菜、刺身、メインに牛肉のステーキ、鯛の姿焼き、茄子などの夏野菜、白米、サラダ、吸い物、果物と立派な和膳だ。


「美味過ぎる。いつもこんな豪華なもの食べてるのか」

「容、今日は特別に祝い膳だ。いつもではなくて悪いな」


 横目で無表情のまま天贖が剣呑な声で言った。意地の悪い態度の天贖には既に慣れつつある。順応力の高さは自分こそ高そうな浚地の折り紙つきだ。


「祝いって、もしかして私が入ったことですか」

「そうだ」


 ふいに、太智が座布団の上で体を揺らして嬉しそうにした。何だか待ち遠しいと言った様子だ。


「天贖様、後でケーキあるって!」

「一緒に食べてほしいか?」

「は、はい」


 太智が恐縮している。義父だからか、天贖が御家長だからか、そのどちらのせいもあるのか。


「では俺も食べるとしよう。容もできれば食べるといい」

「はい」


 それから、太智は嬉しそうに学校のことを話し出した。


「この間話した、金魚なんですけど、もう、こんな大きくなって、俺が近づくと水面近くに来てくれるんですよ!」

「そうか、太智に懐いているんだな。一生懸命世話をしてくれるのを、金魚もわかっているのだろう」


 しかし、やはり友人の話題はなかった。容以外には明るくて素直そうな太智は、なぜ友人ができないのだろう。複雑な生い立ちが関係しているのかもしれない。例えば両親がいないこと、島の長に引き取られたこと、材料としては十分で、遠巻きに見られているのかもしれないと思うと、切ない心持ちがした。


 容は黙って密かに料理に舌鼓を打ちつつ、2人の会話を聞いていた。26歳のくせに落ち着き払っている天贖と、今だけ幼さを隠さない太智は、まるで親子のようだった。戸籍上も義理とはいえ親子だ。


 では、自分の立ち位置はどこなのだろう。


天贖:太智は大きくなったな。お前が世話をしてくれているおかげだ。

容:そんなことはありません。天贖様の愛情のおかげです。

天贖:お前は控えめなところがいいな。愛している――

容:天贖様……。お願い、キスして……

天贖:ならば、容、目を閉じろ……そうだ。


 とんでもない妄想に、思わず白米を拭き出しそうになって、堪えた。気持ち悪過ぎて笑い出しそうだ。


 2人からの視線が集まる。


「いえ、な、何でもありません……ので、お食事を続けてください」

「お前、やっぱ変な奴だな」

「はいはい」


 二度言われようが三度言われようが全く傷つかない。昔から、「お前良い根性してるよな」と言われ慣れている。最初は誉め言葉かと思ったくらいだ。しばらく経ってからあれは皮肉だったのかと気づいたが、本当なのだからまあいいと流せてしまうくらいには肝が据わっている自覚がある。


「そういえば夏だけど学校あるの?」


 小学生は、夏は休みで遊びばかりするものだと思っているので、聞いてみた。


「生き物係は夏も登校すんだよ」

「容、太智は自分から教師に頼みこんで夏も生き物の面倒を見させてほしいと言ったそうだ」


 天贖は硬質な態度で白米を口に運んだ。話したくないのだろうか。ならば黙っていればいいと思うのだが、流石に雇い主には口に出せない。


「生き物って、じゃあ他にもいるんだ?」

「ウサギとニワトリがいる」

「毎日大変だなあ。宿題もやるんだよ」

「やってるよ!」


 容なりに久しぶりの喧騒を楽しんでいた。ふと、夏の暑さのためか、開け放された障子の奥を見つめた。庭を超え、石垣のその向こうは一面の田畑だ。青々としていた様が、橙色に染まっていき、どこか郷愁を思わせる。煌々と輝いていた太陽がその光の腕を閉じ、地平線に迎えられようとしている。


「今日が終わっちゃうなあ……」


 一日の終わりは、人の一生の終わりを思わせる。輝いていた時は過ぎ去り、暗闇の中に沈んでいく。世界全体が彼の世へ落ちていくようだ。


 容の呟きに、天贖は珍しく穏やかな様子で語りかけてきた。


「人の終わりを思わせるか?」


 容は思わぬ声に顔を上げると、頷いた。


「太陽が沈むように人が終わるなら、彼の人はゆっくりと幸せに亡くなり、精霊となる」

「突然死んだ人でも?」

「それでも死はゆっくりと迫っている。生を迎えるのに、十月十日かかるように。今でも、俺達にも、ゆっくりと迫っている」


 誠吾にも、ゆっくりと迫っていたのだろうか。


「精霊って、何ですか。何教?」

「まあ、宗教のようなものかもしれないが、正しくは宗教ではない。名前がないからな。俺はそれの中心にいるからこそ、長と呼ばれている。誰からも聞かなかったか」


 首をかしげ、聞かなかったことを伝えると、天贖は思いのほか驚いていた。


「何も知らずにこの屋敷に来たのか」


 天贖は箸を静かに膳に置く。それから、ゆっくりと物語を紡ぐように穏やかな口調で話した。


「女衆が精霊を呼び出し、長である俺がその精霊を受け入れる。古くはシャーマンと呼ばれていた。古代シベリア系民族がこの島にたどり着き、独自に文化を作ったと言われている。その後、日本文化や島の環境、山王司家の思惑、様々な理由があり、変化を遂げた」


 天贖はずっと容の目を見ていた。目が合わないのが嫌だと思っていたはずが、こうまで真っ直ぐに見られるのも厄介だ。力強い瞳に何もかも見透かされそうで、容は目を伏せた。


「人間は死後精霊となる。精霊には大自然の精霊もいる。精霊同士は繋がっている。互いを思う心で。そしてその精霊達を山ノ神も愛している。そうやって大きな流れへと還っていく。そこから生まれ、また還る」

「キリスト教の聖書の一節に、最も大いなるものは愛であるっていうのがありますよね」


 容は何とか知っている知識と繋げることで今の話を理解できないか探るように聞いた。


「それと一緒ですか?」

「そうかもな。愛は最も尊い。精霊は互いに殺し合えば還れない。だが、山ノ神自体はわからない。罪深い人間の精霊、そうではない人間の精霊、火の精霊、水の精霊――皆一様に精霊とするのかもしれない」

「わからない……」


 長と呼ばれる人が「わからない」とはっきり言うのは珍しいことではないだろうか。


「山ノ神を降ろした者は500年いないからな。それに、これは口伝だ。教典など作るものではない。これは生きた言葉で伝えるべきことで、時代と共に変遷していくものであっていい。そして、いずれこの信仰は消えていくのだろう」


 容は少し驚いて目を瞬かせた。


 容はこの信仰の中心が天贖なのだと理解している。その信仰が消えてもいいというのは、中心人物としては発想しないことではないのだろうか。先ほどから予想外のことばかりだ。


「山ノ神はおそらくそれを怒らないだろう。皆は長としての考え方ではないと怒るかもしれないが」


 天贖は我に返ったように一息つくと、苦笑いをした。思ったよりも柔らかな笑みが、開け放った障子の奥からの朱い陽光で微かに照らされている。天贖は男らしい顔をしているが、その様は綺麗だとふと思った。


「少し、話し過ぎたな。食事が冷める。早く食べるといい」

「はい」


 天贖が語ってくれたのは、おそらく、容が誠吾を亡くしたばかりだからだろう。誠吾は、今は愛されて精霊となっていると、そう伝えてくれたのだ。


 天贖は、島の長だけあって、周りを良く知り、それに応える人なのかもしれない。それが今、容だったのだ。


「太智、難しい話をしてしまったな。気にしないでいい」

「いえ、俺にも、多分、大体わかってます。だから遠慮しないで、今度も教えてください」

「そうか」


 天贖は優し気に目元を緩めた。やはり太智に対しては愛情が感じられると思った。


「ねえ太智、何で山ノ神なの? 他に神様いるの?」

「いるよ。この島は、山ノ神に守られてるんだよ。……容、食べるの早いな」


 容の膳の上の皿は既に空っぽだ。あまりにも美味しくてあっという間に平らげてしまった。食器を纏め、ケーキの場所を膳の上に確保する。


「食べるの大好きだから。太智が食べ終わらないと、ケーキ食べられないから、待ってるよ」


 このような言い方をすると太智が張り合ってくることはわかっているので、あえて言ったことだ。


「俺だって食べるの遅くないぜ!」


 実際可愛らしく太智が意地をはる。からかいが成功して容は大声で笑ってしまう。


「あははっ」

「太智、張り合うな。ゆっくり食べろ。容も煽るな」


 天贖の言葉に太智が恐縮してまた食事を始めた。容に向けた最後の一言だけ、天贖は冷たい口調だった。だが、今は別の思考をしていたので、気にならなかった。


 2人が亡くなったのが、せめてこの依二島でよかったのかもしれない。精霊として、神様に愛されているなら、それでいい。ならば、容の持つ2人への未練という楔をいずれは解き放ってあげなければならないだろう。だがそれは誠吾を殺した犯人を見つけた後だ。


 ケーキを待つ間、容が暗い面持ちでいると、今度はなぜか天贖とよく目が合った。隠そうとしているような柔らかな眼差しに、容の心が少し軽くなった気がした。

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