7. 一緒にいるよ
西棟の渡り廊下のすぐ横にも玄関があった。正門前にある玄関より随分小さかった。来客があるような場所ではないから、山王司家のご先祖が大きく作らなかったのだろう。
上がろうとすると、後ろの方で声が聞こえた。声をかけようとするが、真剣に話し込んでいるようで、引っ込めた。ここの玄関はちょうど屋敷の壁に遮られた場所にあるようで、会話が自然と聞こえてしまった。
「太智さん、お母様のお言いつけなのですよ」
楓の声だ。
庭先で、楓と小さい男の子が向き合っていた。120~130センチくらいだろうか。多分平均的な身長だ。丸っこい頬が可愛く、真っ直ぐな眉とつぶらな瞳は純粋そうで、天贖とは似ても似つかない。親戚同士で養子縁組もあると思うのだが、太智の場合は、天贖とは親戚関係ではないのかもしれない。服は着物ではなく、普通のTシャツに短パンだった。
容が太智の世話係になるせいで、楓と太智が話し合っているのだろうか。自分が関わるのなら逃げるに逃げられず、容は仕方なくその場で耳をそばだてた。
「でも、俺は、天贖様がいればそれでいいです」
可愛らしい、だが、何か抑え込んでいるような、不思議な声音だと思った。
「気持ちはわかりますが、天贖様はお忙しい方。お母様がお世話係の方をお迎えになったのも当然のことです。聞き分けてください」
「でも」
「……太智さん、今日は屋敷の外へ出かける予定があるのですか?」
楓は言いたくないことを言っているのだろう。太智への言葉としてこれが強力であることを知っているからかもしれない。
「ない、です」
「お友達と遊ばない太智さんを、天贖様もご心配されています。いきなり外へ行けとは言いませんから、どうか1人ぼっちではいないよう、容さんと一緒にいてください。――あ、容さん!」
楓の声に促され、容はおそるおそる2人のそばへ歩いて行った。太智に歓迎されていないのはもうわかった。どうやら少々複雑な事情があるのも、何となくわかった。
「『太智』でいい?」
「……いいです。その代わり、俺も『容』って呼んでいいですか」
「もちろんいいよ。丁寧語も使わなくていいし」
軽く目を見開いた太智は、小さな体躯に似合わず、力強い目をしていた。
おそらく、この子供には、同じ目線で心を開ける相手がいないのだ。容も同じだったから、わかる気がした。
「あと、遠慮しなくていい」
「じゃあ、遠慮しない。俺、世話係なんていらないから! それに世話係って何するんだよ!」
年上のお姉さんに怒ることができるなど、性差についてあまり考えたことのない子供なのだろう。男も女も、この年頃なら『大人』という一括りで認識している。地団駄をして屋敷の庭の土を削っている姿からも子供だと思える。
「あー。ごめん、私もよくわからないよ」
「ふざけんなよ!」
太智の怒りは無視して、その場で片膝を立てて彼を見上げる。
何を言うべきか迷った後、息を整えた。
結局、伝えたいことをそのまま伝えた。
「ただ、一緒にいるよ」
「――ッ」
太智は不意を突かれたように、声を失った。初めて奇妙な生き物と出会ったように、驚きと隠しきれない好奇心を持って。
目線を同じ高さにしていたから、太智の表情がつぶさにわかった。
「楓さんが言った。一緒にいてって。そうすることにするよ」
「お前、変な奴だな」
太智が目を顰める。呆れたような声だった。
「うーん、なぜかそれよく言われるんだよ。だから友達少なかったのかな」
「ダセェ。友達いないのかよ」
太智も一緒で友達がいないのでは――と思ったが口をつぐんだ。
「少ないけど大事な友達はいるよ」
容は知り合いが多いが、心を開いて話し合えるような友人は極めて少ない。浚地は貴重で大切な友人だ。
「まずは友達から始めない? よろしく、太智」
握手しようと右手を差し出す。
だが、太智はそれを跳ね除けた。
「簡単に、一緒にいるとか言うな! そういう奴、俺は信じない!」
太智は踵を返し、西棟の玄関に駆けていった。靴を乱暴に脱いで、中へと消えて行ってしまう。待てと言う暇もなかった。
太智がいなくなるまでを見守ってから、楓に向き直る。
「楓さん、すみません。太智を怒らせちゃった」
「いえ、頭の良い子なのです。容さんのおっしゃっていることを、理解できているのですよ。その上で、おそらく、拒絶する理由があるのですわ」
「理由があるんですか」
一瞬息を呑んだ楓は、仕方なそうに息を吐いた。
「そうですね。これは容さんに伝えておいた方がいいでしょうね」
楓が話し始めるまで待っていると、風が容の髪を揺らし撫でていく感触がした。風が涼しいとはいえ、じっとりとした汗をかきそうな湿度だ。蝉の声が聞こえ、なるほど今まで聞こえなかったのは容の家に木がないからだと気づく。じりじりと聞こえるその声に晒されていると、まるで頭の中で鳴っているようだと思うほどに没入していることに気づく。
「太智さんは父親がおらず、母親が1人で育てていました。その母親が1年前に病気で亡くなってしまわれて……」
「それは……辛いですね」
容が苦い顔をすると、楓はひとつ頷いた。
「太智さんは、天贖様が周囲の反対を押し切ってお引き取りになられました。天贖様を大層お慕いしているのです」
天贖に関しては剣呑な態度であった印象しかない。子供を自ら引き取るような男とは思えなかった。
太智はその天贖を慕っているとのことだが、それまで孤独であった身から考えると、随分な思い入れがあるのだろう。孤独が辛いことは、容でもわかる気がした。今がまさにそうだ。孤独を感じないために、今、自分は孤独になる前の自分を演じている。
「天贖様と引き離されるかもしれない、そう思っているのかもしれません」
「そう、ですか」
容は天贖と関わる気はあまりなかった。印象が最悪だったからだ。しかし、太智のためならば、多忙だという天贖の負担にならない範囲で、2人を関わらせてあげることが必要だろう。最初から、頭の痛い思いがする。
「じゃあ、その天贖様と太智が上手く交流できるように、私、頑張ってみます」
「容さん……。よろしく、お願いいたします」
楓に頼まれては鋭意努力するしかない。
「はい」
容が頷くと、楓は少しほっとしたような表情を浮かべた。
「容さん、荷ほどきに行ってらして大丈夫ですよ。太智さんとは、せめて夕餉をご一緒してください。今日はそっとしておいた方がよさそうですから」
「わかりました。ありがとうございます」
容は楓に手を振ると、西棟玄関へ向かって走った。




