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9. 亡き姉の決意

 食事を終え、大浴場で湯あみを終えると、容は自分の居室で布団の上に横になった。電気を消して暗くなってから部屋の隅に小さく四角い行灯が置いてあることを思い出し、横着にも這いずったまま、明かりを点けた。柔い発光が目に優しく、旅館のようだと旅気分を味わい、思わず笑みが零れる。


 また布団の真ん中に戻り、両手両足を伸ばした。軽い綿素材の掛け布団を腹の上にかけ、よく日光を当てた布団特有の香りに満悦する。


 息を吐き、思考を始めると、その顔は自然と硬くなる。


 自分が働くこととなったこの屋敷から、誠吾を殺した者のヒントがいずれ手に入るかもしれない。天贖はこの島の中心だ。宗教ではないと言っていたが、ほぼ同義だ。ならば、それを求めて訪れる人々も多いだろう。


 今日は天贖、綾乃、楓、義喜、太智と出会った。今後も顔見知りを増やし、太智の世話係として信頼を得てから、犯人探しをしようと考えた。警戒心を抱かれたままでは、話してくれないだろう。よそ者が、島の仲間の中にいるだろう犯人を捜そうとしている――この認識を持たれたら駄目だ。


 そう決めて、容は冴えて眠れない目を閉じた。





 想え想えや 繋げ繋げりゃ

 (おのこ)は 帰らぬ 戻らぬ

 山の神のいずこにあれど

 詮無きことよ

 帰らぬ 戻らぬ

 ならば生かさぬ

 詮無きことよ



 聞いたことのある唄が頭の中で反響する。――これは夢だ。


 依二島にだけ伝わる童謡だ。近所の子供がこれを歌いながら遊んでいた。なぜ今それを思い出したのだろう。


 子供達が手を繋ぎ、円を作り、力比べをする。腕を広げたり、縮めたりして、円の大きさが変わる。きゃあきゃあ楽しそうにしている。最初に手を離してしまった方が負けだ。負けた子供は『いらない子』になるのだ。円の中に入り、じっと息を殺す。


 勝っている内は優越感を覚える。子供でもそういう感情には敏感だ。負け続けると、泣いてしまう子供もいた。


 勝ち負けが決まるとその日は勝った方が次の遊びを提案できる。


 この遊びでひとつ変わったルールがある。負けるのは男の子だけなのだ。女の子が協力し合い、男の子を弾く。女の子が負ければ、男の子に向かって「いーけないんだ、いけないんだー」と全員がわめき出し、女の子の負けは取り消しになる。まるで女尊男卑だ。



 ――さあ、教えておくれ。何者かを――


 誰かと意識が繋がっているような気がする。容のことを教えろと言ってくる。それに呼応して、深い眠りに入っていくのがわかった。





 懐かしい夢を見ている。結がまだ生きている時の記憶だ。


 容は4歳上の姉――結と2人暮らしだった。結と2人で可愛い姉妹と騒がれ、容が中学生まで子役やモデルをしていた。そのため容が12歳の時に亡くなった両親の遺産も含めると、働かずとも生きていけるだけの資産があった。


「お姉ちゃん、私、頑張るから、姉妹一緒に生きていこう」


 そう言うと、結はいつも嬉しそうにして、「そうね、いつも一緒よ」と返してくれた。


 しかし、結が大学で出会った(ふち) 誠吾と結婚して、しきたりだからと誠吾の故郷の依二島へ行ってしまった。本土で寮生活をすることにした容は結を笑顔で送り出したが、内心は穏やかではなかった。これからは、孤独と戦うのだと思っていた。それほどに結が大事だった。


 結は、容が21歳の時、依二島で亡くなった。亡くなるまでの間、容は島へ行き、誠吾と同居しながら結の見舞いに毎日行った。卒業間近だった大学は休学した。結はもともとそれほど体が強くなかったこともあり、ずっと病床にあったらしかった。


 日々痩せ細っていく結を見るのは辛かった。


 容が通っていた病院はその島の通りに『依二島総合病院』という名前だった。


 1階の受付で、面会名簿一覧に患者名には『淵 結』、面会人は『月島 容』とボールペンで書いて手続きをする。


 書き終わり背後のエレベーターを向くと、ドアが開いて、女性医師と看護師が降りてくるところだった。軽く会釈すると「こんにちは」と看護師が返事をしてくれた。看護師に女性が多いのは知っていたが、時折すれ違う医師も女性ばかりで、依二島には女尊男卑の習慣が童謡の通りにあるのではないかと感じた。


 3階でエレベーターを降り、右に曲がって飾り気のない白い壁を目に進んでいく。その突き当たりに、結の病室があった。


「来たよ」


 病室の窓際にあるベッドで、結はいつもの通り本を読んでいた。


 長くきめ細かい黒髪に、白く透明感のある肌、二重の厚い大きな瞳をした結は、誠吾が一目惚れして結婚までこぎつけたというのも頷けると思った。


 だが容は結の容姿を褒めたことはなかった。褒めたところが自分と似ていたら自画自賛のようで恥ずかしいと思ったからだ。とりあえず、容は、セミロングだが丈夫で真っ直ぐな黒髪に、透明感はないが青白い肌をしていて、結の目から憂いを少し取ったような元気な目をしているという、似ているが姉の劣化版という感じだと思っている。


 結の伏せた瞼が文字を追う様子がどこか厳かに感じられ、容は一瞬息を止めた。


「容」


 容に気づいた結は顔を上げ、本を脇の小机において嬉しそうに笑った。容は丸いパイプ椅子を引き寄せて、窓とは逆の結の右側に座った。いつの間にか挨拶の定型文になってしまったような言葉をかける。


「今日は調子どう?」


 結はそれにくすっと声を漏らして、朗らかに笑った。


「いい感じよ」


 死を目前に控えている人間とは思えないほどの優しい笑顔だった。結の芯の強さを、容は小さい頃から尊敬していた。両親が亡くなったのはもう10年くらいも前だ。若干16歳だった結は、12歳だった容を親のように育て、弱音すら漏らさずいつも前を向く、精神的に強靭な素晴らしい人だった。


 だが、強さの中に、本当は辛さを抱えてはいなかっただろうか。1人で前を向くのは、苦しくなかっただろうか。


 死を前にしても、その強さが変わらないことが、良いことなのか悪いことなのか容にはわからなくなることがある。


 ふいに目が熱くなりそうで、深呼吸をして耐えた。


「苺買ってきたんだ。好きだったよね。家で洗ってきたから、すぐ食べられるよ」


 容はビニール袋からボウル皿を取り出し、結に丸ごと手渡した。午前中に近くの農家で直に買って来て、家で洗って持ってきたものだ。


「ボウルごとくれるの? 全く、容は女の子なのに雑で、我が道を行くわよね。容のそんなとこ、私は好きよ」


 結はふふ、と笑い声を漏らして、ボウルを受け取ってくれた。


「も~。雑とか言っちゃ怒るよ! ……いや? あまり怒りが湧かないかも。その通りだからかな。まぁいいや。苺、余ったら私が食べてあげるから、好きな分だけ食べてよ」


 結は笑みを深くして頷いた。


「うん。いただきます」

「はい、どうぞ」


 結にとっては苺の1粒は大きいのか、少しずつかじりながら、丁寧に口に入れていく。4粒食べると、満足したというようにお腹に手をやり、苺のボウル皿を手渡してくれた。容が残りの苺を1粒ずつ大口を開けながら食べていると、結が「ねえ」と小声で言った。


「私が死んだら、容は1人で東京に帰ってね」


 夕方近く、窓から陽の光が降り注ぎ、結の頬を照らしていた。儚さの中に確かに存在している、決意の色が見えた。


 慰めの言葉をかけるのは間違いだと感じた。ボウルを袖机の上に置く。容は結の思いを受け止められるよう、真摯に前を向いて話し合おうとした。


「義兄さんはどうするの。私が一緒に暮らした方がいいんじゃないかな。だって、親戚とか、いないんだろ」

「それは駄目」


 迷いのない言葉に、結の決意が固いことを知る。


「誠吾さんは引き止めると思うけど、容がいたら、新しい奥さんが見つからないし、お義兄さんの幸せを考えてあげて。遺産で1人暮らしを始めなさい、すぐによ」

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