81. 翼
太智の長い夏休みが終わった。激動の1ヵ月半、太智は太智で自分のために踏ん張って、夏休みを過ごして来た。
今日は、その一区切りであり、始まりでもある。
始業式は早く終わる。太智を2人で迎えに行って驚かせたいと容は天贖に提案した。
「そうだな。3人が顔を合わせるのは食事か庭かテレビくらいだ。今後はもっと外に出るべきだな」
もともと人格者な天贖は、あまり欠点が見当たらないと思っていたが、最近少しだけ見つけた――というより、気がついた。
目的外のことをあまりしない。からかい好きのくせに、本当に遊んだりすることが少ないのだ。
元は悪戯好きだった天贖が、綾乃の影響でそれを表すことができなくなったのではと容は思っていた。
これからは太智も一緒にもっと遊んで、容は天贖の晩酌につきあって、色々、楽しいことをしていきたいと考えている。
しかし、どうやら自分の欠点も容の思惑も、天贖は気がついているようだった。以前なら、太智が悪目立ちするのではと心配し、大げさに学校まで迎えには行かなかったろう。行ったとしても途中の道までだ。それが、容の提案をあっさりと受け入れたということは、気がついている証拠だ。
太智の小学校には容は初めて来た。遠くの村から通う子供もいるらしく、生徒は一学年に15人くらいだと太智から聞いていた。小規模だが学校自体は都心と変わらず2階建ての白い大きな建物だ。
学校の正門横、容はへばりつくようにして太智を今か今かと待っている。周りには20人ほどの保護者と思われる人達がいて、子供を迎えに来たのか、遠くから校舎を見つめている。
「太智、驚きますよ。天贖様」
容は太智がいつ来ても反応できるように、正門から中をちらちらと覗いた。自分でもわかっているが、他の保護者達からすると奇怪だろう。
「それほど驚くことだろうか。期待し過ぎない方がいいぞ」
天贖はその容の奇怪な行動を見ても冷静そのものだった。度量が広い。
「それより、天贖様、やっぱり私達凄い目立ちますね。というか、天贖様が目立ちます。私の横に集中する視線を感じる」
「そうか。強面の癖に嫁と子供に骨抜きにされているだらしない表情が何かと珍しいのだろうな」
いつもの天贖の冗談かと思うが、何でもないことのように言う天贖に違和感を感じ、問いかけてみた。
「冗談? 本気?」
「両方だ」
「御家長だからっていうのもあるけど、単純に、格好良いから目立つんですよ……」
こんな色男、どこに行こうが目立つに決まっている。容が赤くなって俯くと、天贖が容の顎に手を添え、顔を上げさせた。
「上を向け。お前の顔が見られない」
「――天贖様、容!」
……逆に太智に見つけられてしまった。
「はは、よく見つけたね」
容は笑って誤魔化そうとした。
「いちゃついてたからな。目立ちまくりだよ、もう」
「お友達はいないの?」
容が太智の周りを見渡すと、太智はランドセルを担ぎ直した。
「後で待ち合わせてるんだ。お腹空いた! 昼飯食べたら行くよ」
「そうか。では行くぞ」
天贖が先を歩く。
残暑は厳しく、もう少し暑い時期が続くだろう。今歩いている農道も、数日前は雨が降っていたはずだが、乾いていた。若々しい茄子の実りが畑を包み、緑の中に紫色の彩りを添えている。
太智がランドセルの肩ベルトをぐっと握り締めて、立ち止まった。
「太智?」
容が太智を見下ろすと、彼は強い眼差しで天贖に問うた。
「容はうざい奴だから来るのはわかりますけど、天贖様が来てくれたのは何でですか」
容は太智の手を取り、歩くよう促した。
「それは歩きながら。さあ、行こう」
太智を挟んで、容は太智と手を繋ぎ、天贖は1人、前を向いて歩いている。
農道は石だらけで、子供には少し危ない。せめてそばにいる間だけはこうして守ってあげてもいいだろう。
天贖が太智と視線を合わせ、はっきりと口にする。
「太智。俺はお前の質問の意図を理解しているはずだ」
容は握っている太智の手がびくりと動くのがわかった。
「俺は、太智の父親だ。子供を迎えに行って、何が悪い?」
「天贖様……」
太智は涙声だ。この強い子は、母を亡くした経験のせいで、一ヵ所だけとても脆くなってしまった。
それよりも意外なのは天贖だ。今まで、その話題を、上手にかわしていたのを容は知っている。――彼も、変わったのだ。
「容と太智が、そして亡くなった俺の家族の記憶が、俺に教えてくれた。家族というものを。その温かさを、価値を」
天贖は太智の塞がっていない方の手を取り、繋いだ。
「お父さんと呼んでいい。ほら、呼んでみろ」
「お、お父……さ……」
「頑張れ、太智」
容の方が緊張してしまう。
太智は大きく息を吸い込んで、吐き出した。
「お父さん!」
太智は嬉しそうに繋いだ手を揺らした。
「お、お父さん。容は、なんて呼んだらいいですか。容はお母さん?」
「そうだね。太智が嫌じゃなければだけど」
容が通常通りの様子で話すと、太智の口元が笑みを表していた。それを見て、容は安心した。亡くなった太智の実の母を、おそらく彼はお母さんと呼んでいた。それと同じ名前でも、嫌ではないのだとわかった。
「じゃあ、お母さん……」
「何? 太智」
「呼んだだけ……」
「ははっ」
太智を挟んで、その両手を、天贖と容が繋いでいる。こうして3人で歩きたかった。
「太智も聞いて」
容が太智と目を合わせた後、天贖へと顔を向けた。
「天贖様。貴方の幸せは、私と太智の幸せです。他の皆も、ですけど、私と太智は天贖様の嫁と子供ですから一番に考えてくれないと。3人、幸せでいたいです。だから天贖様、貴方は幸せでいいんですよ。私が、許してますから――何があっても」
天贖は呆けるようにして容を見つめた。これは、何か驚いていて、何か考えている顔だ。
「ねえ、太智、手、そのまま広げてみて。あ、握ってる手を離しちゃ駄目だよ。天贖様も!」
「何で?」
太智が呆けたようにして問う。
「ふふ! いいから」
容が楽しそうに促すと、太智も天贖も言う通り、腕を広げた。
「こう?」
「こうか?」
不思議そうにする天贖と太智に、容は伸びやかに語りかけた。
「腕を大きく広げると、ほら――鷹の羽みたいに骨ばってて、とても大きい翼になります。こうやって、3人で、今生きている一瞬一瞬の大切なものをかき集めて、自由に飛んでいけます。縛られることなく」
そよ吹く風が容の髪を揺らす。容は繋いだままの手を広げて前を歩くと、振り返った。そして、解け、輝くような光の中で微笑んだ。きっと飛び立つには良い日だ。
「天贖様、縛られないで。私達は貴方の翼で、貴方は私達の翼ですから」
「ああ。容。わかった。……わかった……」
天贖はゆっくりと頷き、静穏に微笑んだ。
その表情から容はわかった。
痛みを受容し、生きていくことを決心して。
これから、幸福のかけらをかき集めて、誰かに与え、誰かから与えられるように、彼は笑ったのだ。




