79. 新しき継承
綾乃を抱いた天贖と容は無言で山を下りた。もうあの美しく苛烈な綾乃の表情が見られないと思うと、彼女の青白い顔を見ているのが辛かった。天贖はどう思っているだろう。容では推し量れないくらいの様々な思いが去来しているのではないかと思った。
屋敷に辿り着いた時、天贖と容が無事だったことに、義喜達と楓は涙ながらに喜んだ。しかし、綾乃の死を知った面々は複雑な面持ちをしていた。楓だけは、素直に泣いた。容は、綾乃が夫と会えて嬉しかったと言っていたことを話し、楓と共に小さく喜び、また、大きく悲しんだ。
綾乃の葬儀は疾く、しめやかに行われた。天贖と容の他には義喜達男衆と楓、太智しか綾乃の顔を見なかった。島の民は統治者の1人が亡くなったのを受け、葬儀の場である屋敷の周りに集まり、黙祷した。
その夜は屋敷で臨時に会合が開かれた。男衆と楓は元から参加していた会合だが、容は初めてだ。場所は中棟大広間で、この屋敷で一番大きな広間だ。女衆だけで200人近く集まっており、人数の多さと派手目な格好の女性がいることから、村以外の依二市の女衆もいるのだとわかった。女性の甲高い声が行き来している。
女衆の視線が一斉に前の方へと向けられるかと思うと、尻込みしてしまう。仕方がないが多分容は男衆の隣に座るのだろう。
そう思って顔を向けると、義喜と目が合った。疲れ切った顔だったが、容に向かって小さく笑ってくれた。容からも笑顔を返すが、義喜が天贖にしたことを思うと、義喜が自分で自分を責めていないかが気がかりだ。そっと横目で見ると、やはり義喜の瞳は暗く沈んでいた。後悔、懺悔――そのような言葉が当てはまるような影が感じられた。
容は彼への心配を表情に出すまいとし、隣に座ろうとしたら、天贖に制された。
「容、お前は俺の隣だ」
上座で、思い切り奥方用の席だとわかった。屋敷外の女衆もいるので容は気恥ずかしく、躊躇した。
「あの、今日は、義喜さんの隣でいいですよ?」
「そんなことを言って逃げようとしても無駄だぞ。来ないなら迎えに行くまでだ。抱いて席まで連れて行こうか」
天贖は口の端を上げるだけの笑みでからかって、本当に容を迎えに行こうと席を立った。
「でも私、そんな目立つ場所は嫌ですよ。ただでさえお屋敷で立場微妙なのに!」
「お前がそう思っているだけだ。容、俺も人間だ。独りでは立っていられない時もあるだろう。だが、お前が隣にいてくれれば、俺は何にも負けないと自身を信じることができる」
愛を伝えるような切実さに、容は胸が高鳴り、たじろいだ。
「また恥ずかしいことを臆面もなく。――行きますから! もう」
容は観念して天贖の横にある座布団に正座した。綾乃のことで憔悴していた楓も、涙の痕が残る瞳で、今日初めて小さく笑った。
上座には天贖と容の2人を中心に、一段下がった周りに楓や義喜達が座り、下手に大勢の女衆が座っている。
屋敷の序列がそのまま島での序列となることが容にとっては頭が痛かった。
天贖は容の隣で、おもむろに立ち上がった。
「皆。今日は急な会合によく集まってくれた。礼を言う。まずは、この会合の趣旨を話そう。皆も知っている『お母様』が身罷られたこと、そして、今後の島のことだ」
天贖の声はよく通る。女衆は憂いの様子で、静まり返っている。
「お母様は大往生だった。また、お母様は今回跡継ぎを立てなかったため、今後、島の統治に関しては家長である俺が中心となる」
周囲が色めき立った。綾乃の恐怖は女衆に浸透していたことを実感する。
「それについて、俺から提案がある。まずは、女衆が意識を繋げても、以前お母様が行っていたような低俗な排斥行為は認めない。被害に遭いそうな者は、速やかに家長である俺か、その妻である容に報告することだ。言いにくいことであれば容に意識を繋いでもらうのがいいだろう。また――後見人制度だが」
天贖は一度言葉を切った。
「廃止する」
決意の籠った瞳だった。
今度こそ女衆は声を上げ騒ぎになる。
「異論は認めよう。誰か、意見を」
前の方に座っていた恵が立ち上がった。
「後見人制度を廃しては、狂化する男を事前に見つけられません。見つけられなければ、妻は殺されてしまいます」
「最もな意見だ。では、男が自分で自分の様子がわかればどうだ? 狂化の可能性があると本人が承知していれば、対処はできる。しかし、報告義務は課す。また、狂化した男は絶対に以後殺さない」
女衆の内の1人も立ち上がる。普段着で、屋敷外の女性だ。
「殺さないで、どうするのですか。化け物が出たとわかれば、島民の秘密が露呈し、世間から仕打ちを受けるかもしれません。また、殺さずに捕獲するなど難しいことです」
「狂化した男は、俺が責任を持って預かり、回復の道を探る。何年かかってもだ。狂化した男を抑える役目は、俺か男衆にしかできないだろう。力のある男は、俺が全員纏め、本人の意志も尊重した上で、男衆に入ってもらう」
天贖は真剣な顔を少し綻ばせる。
「男衆の存続には今後も家長が欠かせないだろう。俺の後継は義喜、義喜の次は俺の養子の太智だ。まあ、年齢順に死ぬなら義喜は俺より先に逝くだろう。太智の可能性が高いな」
やつれていた義喜が天贖に小さく零した。
「そんな話、俺は聞いていません……」
「万が一後継となれば、楓と共に島を守れ、義喜」
「そんな、過分な……! 天贖様は、俺を、許すと……」
義喜の目には涙が光っている。それを隠すように彼は俯いて、泣くのを堪えようとしているのか歯を食いしばった。
「義喜さん」
楓の声が穏やかに、優しく響いた。直志の隣に座っていた楓は義喜の横に来ると、彼の肩に手を添え、2人一緒に広間を出て行った。
天贖はきっと変わらず義喜を兄のように思っている。それに、義喜の隣には楓がいる。義喜は大丈夫だろう。
楓も苦しいはずだ。でも、皆が2人を変わらず受け入れてくれるのを多分知っている。だからこそせめて今まで通りでいるのかもしれない。
「さて、俺の考えはあらかた述べたが、皆はどのように考える?」
女衆が騒ぎ立てるようにして口々に話す。
「少しでも危険があればいけません」
「そうです、そうならないために後見人はいるのです!」
だが、中には天贖の意見に耳を傾ける女衆もいるようだった。
「どう……しましょう」
「ええ、本当に、どうしたら……」
「御家長に任せておけば安心では」
「いえ、天贖様の代は安心でも、次の代、その次の代を考えると……」
天贖が伸びやかに声を上げた。
「すぐに結論を出すのは難しいだろう。俺の心は決まっているが、皆に突然それを課すのは酷なことだ。次の会合までに、各村の村長と共に話し合い、村としての意見をある程度纏めろ」
女衆は静かになり、天贖の一言一句を逃さず聞いているように思えた。
「男の村長には、俺からこの島のことを全て伝えよう。異論はあるか?」
女衆はほぼ全員首を横に振った。
「精霊の儀は続けるつもりだ。精霊の儀のあり方も、今後は話し合っていきたいと思うが、それはまた今の議題が終わってからにしよう」
天贖は微笑んで言った。
「また話そう。それまで皆元気で」




