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78. 浄化

 白い空間がなくなり、目が覚めると、そこは元の山だった。


 さきほどいたはずの2人の獣はいなかった。容は辺りを見回すと、そっと呟いた。


「義兄さんは魂が精霊へ還ってしまったんだ。きっと、義兄さんと一緒にいた樹も……」

「そうか。……樹は、精霊になる前の最後に、自分の妻に会えていたらいい。セイも、容と会えて、安心して精霊になって欲しい」


「天贖様。生きてる。――生きてる!」


 容は喜びのあまり天贖の頬を撫でて、抱き竦めた。天贖はいつの間にか祭壇から降りており近くにいた。


「そうだな。俺は山ノ神の一部にされなかったようだ。なぜ……」


 そこで天贖は何かに気づいたように顔を上げ、左右を見渡した。


「母上!」


 綾乃の体は、岩肌の地面の上に横たわり、小さく息をしていた。天贖が座り、彼女の頭を少し持ち上げて抱くと、綾乃は微かに笑った。


「天贖……? ああ、白くて見えぬ」


 綾乃は右手を伸ばして、上から覗き込んでいる天贖の頬に触れた。その存在を確かめるように鼻や眉をなぞる。


「確かに天贖じゃ……」

「山ノ神の降臨では、母上の甦りの力を消滅させるだけだと思っていました。なぜ、こんな状態に」

「山ノ神は、全てを浄化された。狂化の種が洗われたようじゃ。わらわの醜い心も洗われ、わらわの執念で繋ぎとめていた身体の寿命がきた。それ故じゃ……」


 綾乃が深く呼吸をすると、その眦から涙が流れた。


「天贖。わらわはおぬしが怨めしゅうて怨めしゅうて……愛するあまり怨めしゅうて、ならなかった……。おぬしは……ふふ、わらわの夫によく似ていての、そのおぬしが家族を殺したのが、許せず、なのに愛しく、心が引き裂かれそうじゃった……。おぬしには、ずっと辛いことを強いたのう……」


 綾乃が辛そうに咳き込む。


「わらわは、500年間、わらわの夫であったお方を待っていた……。山ノ神に連れ去られた夫と会うには、500年の年月を経て、また山ノ神を呼び出さなくてはならなかったのじゃ。夫と会えて、幸せじゃった。それでよい。だが、もし願いを叶えてもらえるならば、わらわも山ノ神の一部にして欲しい……。いつまでも、共に、いたいのじゃ」

「共にいられます。必ず。山ノ神が、俺の代わりに、母上を連れて行ってくれるでしょう」


 天贖は悲哀の表情を浮かべながらも、力強くそう言った。


「ああ、何も見えぬ……。容もそこにおるか?」

「お義母様、ここにいます」


 容がいると知り、綾乃は安心したように目元を緩ませた。


「そうか……おるか。のう、容や。天贖が山ノ神の一部にされなかったのは、そなたが月島の血を引いていたこともそうだが、そなたの強い願いがあったからじゃ。精霊は、宿す者のみならず、呼び出す者にも影響を受ける……それが縁の深い半身同士であればなおのこと。それが神にも当てはまるとは、そなた達は無双じゃの」


 綾乃は苦しみながらもいつもの通りに笑った。


「天贖は、わらわと、天贖の父母、姉、そして一族の生死を背負い、この島を束ねていかねばならぬ。その天贖が孤独では、壊れてしまうやもしれぬ。この、母のようにな。支えてやってくれ」


 綾乃は容から視線を天贖へと戻した。苦しそうに、だがはっきりと、吐露するかのように天贖へと話しかける。


「天贖。おぬしの父母も、姉も、おぬしに殺された折、来るべき時が来たと、皆納得しておった。わらわは知らなんだが、そなたが狂化すると存じておったのじゃな。独りにさせてすまないと、おぬしを抱きしめながら逝った。おぬしが気にかけておったセイとやらは、未練をなくし、精霊として流れに入ったようじゃ。セイと一緒におった樹も……うっ、ぐ」


 綾乃が咳き込み、おびただしい量の血を吐いた。


「母上! わかりました。だから、もう、黙ってください……早く、医者に」

「無駄じゃ。この体、もう100年は使っておる。次の素体に相応しい他家の女子が見つからなかった故、できなかったのじゃ。楓も素体にできなかった」


 綾乃の手が宙を彷徨い、震えながら天贖の手を探す。天贖はその手を握った。


「天贖……! 自ら重荷を背負ってはならぬ。憎んでおろうが、これでも育ての母なのじゃ。おぬしのことはよくわかっておる。容と共に、夫婦として、太智を育て、島の衆の支えも得て、自身を大切に。すまなかっ……た……の」


 伸ばされていた手が天贖の手から落ち、綾乃はそれきり動かなくなった。


 天贖は綾乃の額に手をかざし、そっと瞼を閉じさせた。


「勝手に争いを起こし、勝手に語り、勝手に死んでしまったな。……それでこそ母上だ」


 天贖は俯いたまま、容に顔を見せなかった。肩が微かに強張っている。


「俺も、そんな母上が、嫌いではなかった」

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