74. 山ノ愛子
「なぜ、山ノ愛子だとわかるのですか?」
乳飲み子を抱いて、女性が怪訝な顔をした。
男性がその子を覗き、小さな頭を撫でた。
「この子が生まれた時、依二山の古い祭壇が光り輝いていたからな。多くの者が見ていたが、俺自身も見ていた」
「たったそれだけで」
「山ノ神に愛された子だ。疑うなら、試しにその祭壇まで連れて行こうか」
「お父さん、私も行きます」
「天理。そうだな。お前もついて来るといい」
「ここに立ってみろ、雨音」
「はい」
雨音というのが女性の名前らしい。雨音は乳飲み子を腕に収めたまま、巨大な切り株のすぐ横に立った。
突然の風で舞い上がった緑の葉が降り注ぎ、水が溢れ出し、岩を囲む水柱となった。
「きゃあっ」
「心配するな。見てみろ」
「何と……天贖が光り輝いています」
「山ノ神がこの子の成長を今か今かと待ち望んでいるんだ。さあ、根に気をつけて降りろ」
女の子が男に問いかける。
「山ノ神に愛されているとは、どういうことなのでしょうか」
「代々の家長にしか知られていないが、お前達にも話そう。この子は、身体能力も宿す者としての能力もずば抜けて高い。将来、山ノ神を自身に宿すことができるだろう。500年毎に山ノ愛子が生まれるという伝承がある。500年前、実際に山ノ神が降ろされた」
雨音と女の子が驚く。
「何と、神様を……!」
「凄い」
「だが、降ろすと同時に耐えきれず、身体は消滅する。人間では山ノ神を降ろすことは耐えられない」
「消滅……」
女の子は重く小さく呟いた。
「天贖は山ノ神に愛されるばかり、幼少の頃は精霊を宿しやすく、一度、山ノ神の精霊を受け入れ、狂化し、自分を守る者全員を殺すという」
「狂化、ですね」
「天理には話していたな。狂化した者は、もう戻れない。しかし、山ノ愛子は違う。幼子に情愛の自覚はない。だからこそ『守る者』――おそらく俺達家族を全て殺し尽くせば、狂化が解けるはずだ。俺は、天贖を取るか、天贖以外の家族を取るか、決めねばならない」
「御家長……」
雨音がそっと男――家長に寄り添う。
「天贖を取った場合、天理も、雨音も、俺も、殺されなければならない。そうでないと天贖は人間に戻れない。天理が遠くへ行ってしまったとしても、駄目だ。山ノ愛子が生まれた時点で、殺す対象が固定されるとされている。全員がいないといけない。――どちらかが死ぬということだ」
男は手で顔を覆い、震えた。雨音が慰めるようにその顔を覗いた。
「考えましょう、御家長。まだ時はあります」
女の子――天理が言う。
「山ノ神を降ろすと、どうなるんですか……?」
「不浄の物を全て浄化する。狂化を抑制し、母上の甦りを止めることができる。母上は女の身体を素体とし、500年生き続けている。今まで、何人もの女が母上に殺され母上は甦ってきた。俺は、狂化を抑え、母上を止め、島を変えるために、この子を生かすべきなのかもしれない」
「私はこの子のために死ぬのなんて恐くありません。母親ですもの。この子の命が一番大事です。でも、天理が……、天理が」
雨音は天贖を抱いたまま泣き崩れた。
「天理はもう11歳だ。天贖が狂化するまで、おそらくあと7年はある。ゆっくり考えさせよう」
家長の言葉に、天理が頭を振った。
「いいえ! お父さん。私は天贖が大事です。母上の意識の支配で女衆が苦しんでいるのは、私も止めたい。この子にそれが託せるなら、私は死んでもいいです。天贖が生まれる前、私には何の能力もありませんが、山王司家の跡取りとして気持ちを固めてきました。山王司は、私達は、島民のためにこの子を生かすべきです」
「天理……。お前はしっかりしているから」
「大丈夫。人生なんていつ終わりがくるかわからないものです。終わりがわかっているだけ、愛している人に殺されるだけ、幸せです」
天理はひとすじ涙を流し、大きく笑った。
この光景は、屋敷の広間だ。
「姉ちゃん、絵本読んで」
天贖は4歳くらいになっているようだ。
「いいよ、天贖」
「あら、お母さんも混ぜて」
「じゃあお母さんが読んだら」
「お母さんは天理の声が聞きたいの」
「もう、わかったわよ。昔昔、あるところに……」
天贖が楽しそうに体を揺らす。
「桃太郎強い。鬼、へっちゃら!」
天理が微笑む。
「天贖も強いよ」
「ほんと!? じゃあ、僕も鬼を倒す。お母さんと姉ちゃん、守るよ!」
「ありがとう。天贖。将来、きっと鬼を倒してね」
「うん!」
雨音が涙ぐんだ。
「また、お母さんたら」
「愛しくて、悲しくて、気がついたら泣いてしまうのよ。でも大丈夫。天贖と天理といられる、一瞬一瞬を大切にするって決めたんですもの」
天理が天贖の頭を撫でて、「いい子いい子」と言った。
「鬼退治が終わったら……一瞬でもいいから、姉ちゃんに会いに来てね。大きくなった天贖に、会いたい」
「お母さんも天贖に会いたいわ。きっと、御家長に似て、物凄い男前よ」
「ふふ」
母娘は楽しそうに笑っていた。
「肩車! 肩車!」
天贖が家長に肩車されている。
「天贖は肩車が好きだな」
「だって、高いもん!」
「そうだね。お母さんより、姉ちゃんより高いよ。凄いねー」
天理に言われ、天贖が喜ぶ。
「お父さんすごいー!」
「今日は家までずっと肩車をしていてやろう」
「お父さん、好きー!」
天贖が家長の顔を抱きしめた。
「おい、前が見えないぞ」
「じゃあ、お母さんがお父さんを誘導します。ほら、御家長、こちらですよ」
「お父さん、実はこっちが正解なんです」
方々から母娘が声をかける。
「お前達、何をしているんだ、はは」
「目、見えない?」
天贖が心配そうにした。
「見えないが、少しこのままでいてくれ。天贖、お前に抱きつかれるのは俺も好きだ」
「お父さん、大好き!」
「ああ。高い高いもしてやろう。ほら、向きを変えて」
家長は天贖を抱き上げ、向きを変えさせ、腕を高く上げた。
「わあ、高いー! 高い!」
「ああ、誰よりも高いぞ。天贖、お前なら、誰よりも高く、強い意志を持って、苦難の道でも歩いて行けるだろう。その力を、俺達との時間で培ってくれ。……天贖、誰よりも愛しているぞ」
「お父さん、喉がとっても渇くんだ。あと、全身がむずむずして毛が生えてくるんだ」
「……! 天贖」
「どうしてかな。さっきからずっとお水飲んでるんだよ」
家長は天贖を抱き上げ、そのまま抱きしめた。
「あれから7年。来るべき時が来たか」
「お父さん、抱っこ、嬉しいな」
「ああ、ずっと抱っこしていてやろう。今日はこのまま抱いていてあげよう」
「そしたら、ご飯食べれないよ。降ろして」
「ご飯になったら、降ろしてやる。それまで、父の胸に抱かれていろ。……大切な天贖、俺の希望であり、人生だった」
「お父さん、なんか変。爪もむずむずして、伸びてく」
家長は天贖を抱いたまましゃがみ込んで、嗚咽した。
「御家長!」
「お父さん!」
「来るべき時が来た」
家長の小さな声に、雨音が不思議がる。
「天贖……、爪と、……角? 牙?」
雨音が叫ぶ。
「御家長、先に私が死にます!」
「いや、俺にお前の死に顔など見せないでくれ……。それに、俺は天贖を抱きしめたまま死にたい」
天贖は全身に毛が生え、背も伸びていく。
天理の声が響く。
「お父さん!」
一瞬の沈黙の後、肉が切れ、骨の折れる音がした。




