73. 素体
「控えよ!」
頭上から声が聞こえた。――綾乃だ。別荘に続く階段に遅れて着いたのか。
「もとから義喜が天贖を殺せるとは思うておらなかったわ。そなたは、天贖をこの祭壇に引き寄せるための餌じゃ。だがの、楓の件で脅したのは真実じゃぞ。――楓、こちらへ参れ!」
義喜が起き上がるが、距離があり過ぎた。階段のすぐ近くにいた楓は、背後から綾乃に肩を掴まれる。
「楓よ。そなたは天贖の家族について真実を知っておる。そのことについてはどう考えておるのじゃ? それがあったからこそ、わらわに今回ついてきたのだと、わらわにはわかっておるぞ?」
綾乃は艶然と笑う。
「お母様に隠しごとはできませんね……。お母様をお可哀そうに思っております。前御家長達ご家族を殺されて! せめて最後くらい、好いた方と添い遂げさせて差し上げたい! それを容様ならできると伺い、お母様について行ったのですわ。でも、天贖様と義喜さんの不和の原因になるのでしたら、私は……」
天贖がわからないといった風に唖然とした顔をしていた。階段脇の楓に問いかける。
「前御家長と言うと俺の父のことか? 楓、何を言って……俺の家族は事故で」
「ふふ、おめでたいの。おぬしが7歳までの記憶を心痛のあまり無くしたのはわかるがの、わらわが繰り返し話して聞かせた偽の記憶を信じたのは幼かった故か、はたまた偽の記憶に縋ったか」
天贖は夢で見た光景を思い出したか、ぶるぶると竦む手を見つめ、愕然としていた。
容は同じ夢を見ていたから知っていた。獣が男1人と女2人を殺す場面だった。あの獣はやはり――。
だがそれを天贖はまだ受け入れられないようだった。
彼は俯いたまま、顔を上げられない。
それをよそに、綾乃は楓に不気味に笑いかける。
「そなたが次の素体となるか。楓」
「素体……? どういうことですか」
「そう、お前は知らんのだったのう。わらわの代わりの身体のことじゃ。新しい身体じゃ!」
楓が綾乃の言葉の意味を図りかねているのか、忙しなく辺りを見回した。綾乃は心底嬉しそうに、ますます笑みを深める。
「楓、わらわがそなたの分も代わりに生きてやろう。そなたは能力が低い故素体にはならないと思ったが、そこまでわらわに心酔しておれば、能力が低くとも意識は合わせやすい。さあ、意識を手放せ」
「危ない、楓ちゃん!」
綾乃が楓の頭に触れる前に、義喜が楓を後ろに隠し、綾乃と離した。
綾乃の手のひらには青い光が満ち、行き場なく振りかぶられたままだ。
「義喜、お前にわらわは殺せまい」
そこに、遠くから、駆けてくる姿があった。
「セイ! 樹!」
驚く義喜を目掛けて、一直線に獣の2人が近づいてくる。
「ああ、天贖、義喜、お前達のペット達か。嗅覚で察知したか? さぞ可愛がったのだろう、主人の危機を救いに来たか」
「やめるんだ! 敵う相手じゃない!」
2人の男は義喜の言葉を聞いても怯まず、綾乃に襲いかかろうとした。だが綾乃の手から放たれる青白い光が、刃のように彼らの前足に傷をつけた。痛々しく鳴くと、唸りながら後ろへと下がっていく。
「くっ、犬如きに阻まれるとは。おのれ義喜め。餌にはなったからもう用済みじゃが、鬱陶しい。――まあよい。ここにいる天贖と容をわらわが片付ければ、楓のことは後でも構わぬ。義喜、そなたが跡を継ぐなら、いつまでも若々しい楓が傍におるのはよかろう? 添い遂げることはできないが、姿だけはそなたの望んだままでいられるぞ」
「それだけは御免です。俺は楓ちゃんの旦那の座を誰っにも譲る気はありませんし、中身が楓ちゃんじゃないと意味がありません。お母様、俺はお母様のお力になれません。楓ちゃんを、お母様から離します」
「まあよい。下の屋敷で待っておれ。天贖か、わらわか、どちらが帰れるか確認したいじゃろう? そなたらの絶望に満ちた顔が、楽しみでならぬ。ふふ」
義喜は楓を両腕で抱きかかえた。横抱きにされた楓が義喜の首に腕を回す。
「容ちゃん、天贖様のことをお願い!」
「任せて! 早く楓さんを!」
義喜は頷くと、楓を抱えて跳躍し、山を下りて行った。
綾乃は義喜を薄ら笑いで見送り、元は儀式の場所だっただろう岩場の中央にある切り株の隣まで歩いて行った。
「ついにここまで来た。この500年、思い描いていたこの場所じゃ」
「夢の通り、500年生きていたってことですよね。――お義母様は、本当に、これまでずっと女性達の身体を乗っ取ってきたってことですか。そんな術をどうやって……」
綾乃はくすっと笑い、顎を上げて容を見下ろした。
「山王司家に伝わる秘伝の術よ。じゃが、わらわが使える術はそれだけではない。素体として取り込んできた女達の無念が、その力が、わらわに溜まり、力となっていったのじゃ。わらわはもう人間ではなく、妖怪の類かもしれぬの?」
天贖は綾乃を見つめているが、追い詰められた心情は変わらないのか、項垂れている。
「おぬしの家族の記憶を受け入れられぬか? 天贖や。おぬしと容の繋がりを利用して、過去のことを思い出させてやったではないか」
「母上、まさか、俺の夢を」
「そう、夢を見させたのはわらわじゃ。まだ足りぬか。おぬしと容の繋がりを利用して、もう少し、過去のことを思い出させてやろう」
容は意識が繋がるのを感じた途端、同じように地面に倒れ込む天贖を横目に、自らも夢の中に落ちて行った。




