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68. 獣達の暮らし

 天贖が容を連れて来たのは依二山の山中にある開けた空間だった。誰かが手入れしているのか、雑草は引き抜かれている。岩が鎮座しているのが時折目立つが、おおむね真っ平らな場所だった。地面は土と岩が混じり合っているが乾いており、靴で歩いてもへこまない。日差しが熱いが周りは森の鬱蒼とした木々で囲まれており、夏とは思えない涼しい風が流れてくる。容はその空気を大きく吸い込んで、山登りで熱くなった身体を冷ました。


 前を歩いていた天贖が容を振り返り、ふと思いついたようにした。


「母上が今いる屋敷とは反対方向だから安心しろ――ここだ」


 天贖が止まったので、容も足を止める。


 開けた空間で、中心に切り株のテーブルがある。その周りにはふたつの小屋があり、用途のわからない道具もあった。


「ここは俺が儀式で精霊を降ろした時に、抜け出して、禁域とするまじないをかけた。ここには、俺か義喜のどちらかしか来なかった」

「よく抜け出せましたね」

「闇夜の精霊が作ることができる禁域のまじないは、使いようで音や姿も遮断できる。それを使って抜け出せた」


 精霊にも色々な種類があるものだと感心した。しかし隣で眠る女性が起きれば大騒ぎになっただろう。天贖はそれでもいいと思っていただろうなと思うと、やはり肝心な時は強引だ。天贖の長所であり欠点であり、同時に魅力的なところだ。思わず、ふふ、と笑ってしまう。


 小屋の中から、人間が――いや、獣が2人出て来た。村で狂化した男と非常によく似ていた。


 長い硬い毛で全身を覆われ、角と牙の生えた、爪が凶器のように鋭い、恐ろしい獣が2人近づいて来る。大きさもまるで熊のようだったが、それよりは細身で、四足歩行も、二足歩行で立って歩くこともできている。


「もしかして、狂化した男の人? 誰ですか?」

「ああ、樹とセイだ。――樹、元気だったか。少し落ち着いたか。味気ない栄養補助食品ではなく、今日は容が作ってくれた美味しい食事を持って来たぞ」


 食事といってもサンドイッチなのだが、持ち運びにはいいと思い作った。天贖の要望で、容と天贖の分以外、4人前余分に作ったが、このためだったか。


 獣の姿をした樹は意外だが落ち着いており、手渡された食事を前足で掴み、頬張った。全身毛むくじゃらだが一回り大きなサイズのシャツとズボンを身につけ、先ほどは四つ足で歩いていたが、今は人間のように胡坐をかいて座っている。


 天贖は少し苦い表情にも関わらず「よかった」と言いながら、樹の食べる姿をしばらく見つめていた。すると、他の1人が天贖の近くへ寄って来た。


「ああ、セイ、お前の分もあるぞ。容、すまないが手渡してやってくれ」

「わかりました。でも、あの、ちょっとというか、ちょっとでもなく恐い、かもしれないんですけど」

「この禁域は沈静化の効果がある。暴れたりはしない」


 確かに、この辺りは静かで、涼やかな風が吹き、どこか居心地の良い感覚がする。


「そ、そっかー。じゃあ、はい、どう……ぞ……」


 恐る恐るサンドイッチをのせた皿を獣の男の前に差し出すが、受け取られなかった。どこか温かな、静かな瞳でじっと見つめられる。男は口を開き、10センチもあろうかと思える牙を見せた。サンドイッチを食べようとしたのかと思い、手をより近くへ差し出した。


 男はますます口を開く。サンドイッチごと容の頭さえも覆いつくせそうなくらいの大きさだった。


「セイ!」


 天贖が容を後ろから抱きかかえ、男から距離をとった。容の顔のすぐ前に、歯の合わさる音が響き、風圧が感じられた。


 自分は今、顔に噛みつかれようとされていなかったか。


「セイ! やめろ!」


 セイと言われた男は叱咤の声に驚き、後ずさりし、地面に身を伏せた。唸り声が、まるで泣き声のように聞こえる。


 天贖は容を抱く手を解き、こぼさずに済んだ皿の料理をセイに受け取らせた。セイは皿を手に持つと逃げるようにそばを離れた。


「すまない」


 誰に対して言ったのか、容はすぐにはわからず、天贖を無言で見上げた。


「沈静化の効果はまだ続いているが、セイの感情がそれに勝ったんだろう」


 歯を食いしばり苦痛に耐えているような様子の彼を、容はなぜか哀れだと思った。


「天贖様。ここ、小屋みたいだけど家があって、布団があって、木の幹だけどテーブルもあるんですね」


 話題を変えようと、笑顔でそう言った。天贖は頷いた後、容に対して笑顔を返した。


「ああ。今日は食事を運ぶだけではなく、掃除もしに来た。手伝ってくれるか」

「いいですよ」

「俺から離れるな。一緒に行動するんだ」


 天贖は小屋の裏から物干し竿を持って来て、2本の木の幹に両端をかけた。容も手伝い、布団を掛け、日に当てる。箒を手にし、家の中を掃いた。天贖は担いできた袋の中身――着替えの服と食料、水のようだ――を取り出し、それぞれの家の入り口に置いて行った。積んであった着た後の洗濯物などを代わりに袋に詰め、また担ぐ。


 ここまでくれば、容にも天贖の行動の訳がわかった。天贖は、獣と化した彼らをここに匿い、面倒を見ているのだ。おそらく、このことを知っているのは、義喜以外は、食料などの準備を請け負っていただろう楓と、何でもお見通しである綾乃ぐらいだろうと思った。


「週に一度はここへ来ている。いつもなら少し彼らと話をしてから帰るが、セイが興奮状態だ。またにしよう」


 それから、天贖は押し殺した小さな声で、ひとつ零した。


「次は義喜に来てもらおう」


 やはり天贖は義喜への希望を持ち続けているのだろうと思った。容も同じだ。


「そうですね。一緒に来たいです」


 獣達の様子を見て、容の中で、ひとつ、思い当たったことがあった。殺害現場に残っていた獣の跡、狂化という現象、愛する者を殺すそれ。


 もしかして、義兄さんは――。

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