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67. 天と地のように

 現実的かつその完璧さゆえに非現実的な理想人間――浚地。

 非現実的かつその脆さゆえに現実的な普遍人間――天贖。


 浚地については納得だ。彼は、世界を現実的に観察し、完璧にそれと立ち向かう。それ故、逆に人間らしさを欠き、人を簡単に殺める。めったにいない、むしろいてはならない理想人間だ。


 天贖は、非現実的な超人なる力を持っていたとしても、それを可能にする精神力を持っていても、芯は、愛情に心を痛めやすい人だった。それが現実的な心情であり、普遍に存在する人間らしい感情なのだ。


 天と地のように、永遠に相容れない。


 ――と、涼音が言っていた。


「ほら、話すのは時間の無駄ね」


 中棟中広間で、涼音は双子に足に添え木をされて包帯で巻かれている。時折痛いと小さく声を上げながら、向かい合う浚地と天贖に横から茶々を入れている。


 浚地が片膝を立てて寛ぎながら、淡々と天贖に言った。


「ファーザーは、殺すしかなかった。他のチームの奴らも、天贖さん達が弱らせたのを見計らって、清良達が殺した。後悔はしてないですよ。だって、殺さなかったら涼音達が殺されてましたから」


 天贖は浚地から目を逸らさない。胡坐をかいて座りながら、天贖も淡々と返す。


「これから組織に追われてもか」

「そうしたら生き抜くためにまた殺すだけです」


 浚地は普段通りの様子だった。やはり容の予想は正しかった。浚地が涼音達を選び、苦難の道を進むことを決意した。


「殺し合いの連鎖が生まれるだけだ。また、殺したという事実が、本来なら殺人者の重荷となるだろう。だが、お前に言っても無駄というわけか」

「そうですね。重荷になんかなりませんよ。それに、これで俺はやっと涼音達のファーザーだ」


 天贖は耳を疑ったか、眉をひそめた。


「何?」

「涼音達姉弟を支配する者はもう誰もいない。だから、今度は俺が守るんです。優しいファーザーになって」


 浚地は穏やかな表情で、だが目の強い光は失わないまま、口の端を上げた。


 ファーザーというのが名前ではないと容も何となくわかっていた。HEOの何かの役割で、涼音達を纏めたり面倒を見るような立ち位置の人間をファーザーと呼んでいるのだと思う。浚地がそのファーザーになりたいというのは、元ファーザーだった黒い服の不気味な男の代わりに、涼音達を支配したいということだろうか。浚地は、いつも突拍子のないことをするので、あり得ないことではない。


 思案する容とは逆に、天贖は浚地の言う内容に対しては全く興味がないようだ。面倒そうな顔で浚地から視線をずらす。


「お前と話していると頭が痛くなるな。もういい。義喜の問題が先だ。容、直大、直志、俺の部屋へ来い」


 浚地の横で、容は直大と直志の打撲部分に湿布を貼り、ちょうど包帯を巻き終わったところだった。散らばっていた包帯やハサミなど、辺りの物を片付け始める。


 浚地が手を伸ばして恥じることもなく縋るようにした。


「ちょっと待ってよ天贖さん! 俺達友達じゃないの!?」


 浚地が綾乃の前で天贖と「お友達」だと言ったことを思い出した。容としては浚地が友人というものに執着したことがないと記憶していたので、違和感があった。今もその違和感は抜けない。浚地には天贖を気に入る理由が何かあったのか。


「残念だが闘争は無事には静まらなかった。その話はなしだ。だが、本気にしたのか? 俺がこの歳で友達も何もないだろう」


 天贖は冷静に吐き捨てた。浚地の天贖へと情けなく伸ばされていた手が落ちる。


「俺、弄ばれたよ、涼音ー!」


 浚地が座っている涼音の肩にすがった。足の部分は触らないように上手く避けている。


「うーん。そういうわけじゃないんじゃない。盛大なすれ違いがあっただけ」

「俺には涼音がいればそれでいいよ」


 浚地が泣き真似をしている。


「……本当にそう思う?」


 涼音が心底疑わしそうに浚地を見た。その気持ちは容もよくわかる。浚地は調子がいいので、よく見ないと本音がわからない。


「清良達も大好きだけど、涼音は特別だよ。俺、涼音のことが一番好きだ」

「そう。貴方はつくづく異常な奴なのね。……優しいファーザーさん」


 涼音は微かに唇で弧を描いた。夢の中にいて優しい声を聞いているような、柔らかい笑みだった。


「涼音――君、笑って」


 浚地は突然涼音を前から抱きしめた。伸ばしていた骨折した足が、浚地に抱きしめられたせいで、ぐっと持ち上がる。


「痛ぁ――!」


 今度は相手を思いやる余裕もなかったようだ。浚地がここまで失敗するのは珍しい。本当に好きなんだなと傍から見ている容でもわかった。


「あ、あぁぁ、ごめん、涼音」


 浚地は涼音を拘束していた腕を放した。


「浚地はもう少し色々と考えて行動しなさい!」

「わかった、わかったからごめんって。あと皆、俺の能力と活躍に誰も触れてくれないの、何で!?」

「浚地から何が出てきても驚かないって、私達、決めてるから」

「じゃあ、いいか」


 浚地の納得の言葉に、容ももう触れなくてもいいと思った。容は浚地の能力に内心かなり驚いていたのだが、浚地なら何が起きても確かに驚かない。多分、この島と関係があるのかもしれないが、彼が話したいと思った時に、聞けたらいい。


 浚地はふと思いついたように突如立ち上がった。


「涼音達、容。俺、葬儀屋の手配してくるから。弔ってやらないと」


 立ったまま、天贖が浚地を見下げる。


「そういう気持ちがあるならなぜ殺すんだ」


 涼音が平坦そうに驚きの振りをした声で言う。


「へー。浚地でも、そういうこと思うんだ。人非人なのに」


「天贖さん、涼音、同時ツッコミはやめて」


 浚地でも少し堪えたようだ。涼音がひらひらと手を仰ぐ。


「まあ、行ってきなよ。私足痛くて動けないし、よろしくね」

「ああ。天贖さんの名前借りて、ファーザーの素性と死因は秘密にして処理しておきますよ。いいですか?」


 浚地に言われ、天贖は苦い顔をしながら受け入れた。


「……仕方ない。お前達がHEOに殺されるのは本意ではない。女衆のこの者に声をかけるといい」


 天贖が広間の棚にあった紙とペンで連絡先を書き、それを浚地に渡した。


 その後、天贖に先導され、彼の自室へ皆で移動した。居間でテーブル越しに顔を突き合わせ、座り込む。義喜の裏切りには、全員が衝撃を受け、悲しんでいるだろう。いざ皆で話し合おうと思っても、中々簡単に声が出ないようだった。容も木目のテーブルの縁を眺め、苦しい思いで口を引き結んでいた。


 沈黙を破ったのは直志だった。


「これから、どうしよう。天贖様」

「直志、あまり不安がるな。義喜は何か考えがあってのことだろう」


 直大がこめかみに手をやった。まるで処理しきれない問題に頭痛がするといった様子だ。


「十中八九、楓さんのためでしょう」

「直大、お前もそう思うか。だが、そうすると今度は楓の真意がわからない。母上に脅されているのか、自分から母上の助けになりたいと思ったか。両方かもしれないな」

「その楓さんを、放っておけなかったと。――馬鹿なことを。楓さんをお母様の元に留め置くことこそ、彼女のためになりませんよ。お母様は何をなさるかわからない恐ろしい人だ」


 直志が泣きそうに声を上げた。


「そうですよ! 今回のことだって……何で天贖様を陥れるようなこと……」


 容は項垂れる直志の頭に触れた。彼の少し癖毛な茶色の髪が肩と一緒に微かに震えていた。


「お義母様って、そんなに恐ろしい人で有名なんだ。誰も、姿を見たことがなかったのに?」

「それは……、その……」


 言いよどんだ直志の頭を、天贖があやすように軽く叩いた。


「母上の俺に対する仕打ちは屋敷中が知っている。経緯や理由がわからなくても、年端もいかない子供に手錠をかけて閉じ込めるなど屋敷の者達からすれば脅威だろう。また、母上は女衆の意識の深くに介入し狂い死にさせたこともある。それに、容、お前は屋敷に来たばかりでわからないだろうが、母上は我々に時折『言い付け』をしていた。よくあるのは、母上に対し悪感情を抱いているものを真っ先に見つけ出し、女衆に折檻させることだった。他にもあり過ぎてここであまり言いたいことではないな」


 直志が頷く。


「そう、その度、天贖様が身体を張って止めてくれてたんだ。いつしか、それを島中の人間が知ってた。だから、天贖様は慕われて……多分、お母様はそれも気に入らなかったんだと思うな」

「そうか。そんなことがあったんだ」


 綾乃の残虐な行為を、容はそのまま受け止めた。憎む気持ちも、恐れる気持ちも、湧いてこない。――なぜだろう。


 そうだ。綾乃は容の身内でもあるのだ。


 容は意を決して隣の天贖と目を合わす。


「天贖様、今の最大の問題は、これが敵の介入とかそういうものではなくて、全員が身内だってことです」

「その通りだ。身内をどうするかは、お互い相談して決めるのが一番良いが、相談できなければ――家長が、俺が、決断するしかないだろう。そして、その決断は、島中に、島の今後に深く関わることだろう」


 天贖は積年の憂いに覚悟を持つことを決したように、前を専一に見据えた。


「容、そして直大、直志。母上は長年、家長を傀儡とし、島を支配してきた。俺は、今こそ、母上の真意を知る必要がある」


 悲惨な過去を思い出したかのように、天贖の目は傷ついた色をしていた。


「その決心を、俺はつけられないでいた。俺が諾々と従っていれば、泰平は今後も続くのではないだろうか。俺1人が不幸になれば、それでいいのではないだろうかと。だが俺の前に、幸せでいて欲しいと心から願う者達が現われてしまった――お前達だ。俺の不幸は、お前達にとっても不幸だろう」


 直志と直大が大きく頷いた。皆、天贖の幸せを願っている。島民も、直大達も、容も、心からそう思っている。


「ええ。そうです。天贖様」

「駄目ですよ、また天贖様1人で背負っちゃ」


 容は何も天贖には言わず、代わりにその左手に右手を添えた。目と目が合う。


 天贖は容に対して満足そうに笑んだ後、直大達を見渡した。


「俺は今、島民の不幸も俺自身の不幸も望んでいない。義喜も、楓もだ。――俺は母上と話をしよう。母上は島にとって、俺の家族や仲間にとって、是か非か。決裂したその時は、俺の力を使い、母上を止めよう」


 天贖が横を見て容の名を呼んだ。


「容」

「はい」

「俺の力の発動には、お前が不可欠だ。一緒に行ってくれるな」

「ええ、どこへでも。いつでも一緒です」


 容が頷いた後も、天贖は容から視線を反らさなかった。一瞬たりとも逃したくないとでもいうように、その目は悲しく切望しているように思えた。


「山ノ神に……俺の幸せのひとつだろう」

「天贖様?」


 天贖は隠し事をするのが少し下手だ。先ほど容達に言った内容のどこかに、もしかしたら彼の思いやりによる嘘か隠し事が含まれているのかもしれない。だが、問いただしても効果はないだろう。


「いや……。戻って来てくれて嬉しい、容」


 でも、笑顔の天贖に似合いの自分でいたいから、笑って頷いた。


「直大、直志。お前達はしばらく屋敷を動くな。俺のいない間に、浚地達に襲撃があるかもしれない」


 直大が呟く。


「天贖様……」


 何か力になれることはないかという問いかけだった。


「直大。直志。色々任せてすまないな。俺は今から容と出かける所がある。また、母上とは俺と容とで明日話しに行こうと思っている。義母とはいえ、母に話しに行くんだ。夫婦だけでいいだろう。お前達は傷だらけだ。ゆっくり休め」


 直大は仕方なさそうに頷いた。直志もそれに続く。


「はい」

「そうします」


 天贖はその場で立ち上がった。高い背の大柄の身体に上から見下ろされると迫力がある。それをわかってか、天贖は柔和に容へと手を伸ばした。容はその手を取り、足裏を畳に置いた。


「では行くか、容」

「はい」


 どこまでもついて行く。そう決めた容に、迷いはなかった。

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