61. 化け物
――4日目――
毎日と同じように、自室で風呂に入ってから、寝衣に着替え、寝室で待つ天贖の元へ行く。
すると、天贖は寝室の入り口で立ち、言いよどみながら口にした。
「容、俺は気が狂ってきているようだ。……お前に噛みつきたいという思いに駆られる。今日からは寝るのは別にして――」
容が突然天贖に抱きつき、その言葉の続きを切った。そのまま敷いてあった布団に倒れ込み、天贖に覆いかぶさるようにする。普通、天贖はその力から容に抱きつかれたくらいでは倒れない。だが、彼は己の長い爪で容を傷つけたくなく、身を任せてくれたのだと思う。
容が上半身を起こすと、天贖も身体を起こし布団の上で向かい合った。
「――お願い、酷くしていいから、キスして、私を抱きしめてください」
天贖が息を飲むのがわかった。その後、すぐ平静に戻り、容に言い聞かすようにした。
「このような爪で、刃のような牙で、お前と口づけも抱擁もできない」
天贖の言うことを無視して彼の両頬に手を当て、唇にキスをしようとする。
「止めろ。この牙だ」
天贖が手で自らの口を塞ぐ。頑なに拒絶され、容は苛立ちを覚えた。
いつ狂化が完成してしまうかもわからないのに、天贖が犯人だとわかって終わってしまうかもしれないのに、触れられないなどとは、悲し過ぎると思った。何があっても、天贖のことが好きなのだとわかった今、結論が出てしまう前に、彼のことを感じ、共にいたい。
だが、天贖の嫌なことはしたくない。今だけは譲歩しようと思った。
「キスはじゃあ、今は諦めます」
「抱きしめるのも今はできない。衝動を抑えられるかどうかわからない」
「酷くしていいって言いました。――我慢しないで」
容が天贖の胸元の寝衣をつかんで懇願する。その容を、天贖は爪が当たらないよう、腕だけで柔らかく抱きしめた。
「私、天贖様の胸が、大好き。大きくて、温かくて、天贖様そのもののようだから。言ったことなかったですね」
寝衣の合わせから時折毛の流れる天贖の胸を開き、寄り添った。
「なぜ今言う気になった」
「狂えばいいって、天贖様は言いました。私も狂って、好きな貴方を好きなだけ味わいたい」
「――容、もういい。狂化しかけたこの身体では、理性を保つのがやっとだ。離れろ」
「もう? 駄目ですよ。もっと貴方を感じたい。――ッ痛」
天贖が長い爪で容の身体を引き寄せた。天贖の爪が背中に突き刺さって痛かった。天贖が一瞬息を詰める。
「色情魔だな」
「天贖様が、そうさせたんです」
「俺のせいか」
「そう」
容は妖しく笑うと、より天贖の近くに行けるように頭をその肩に載せた。
「天贖様、いた、あ――ッ」
ふいに、肩に激痛が走った。
天贖の顔が容の肩口に埋められている。噛まれたのだ、天贖の鋭い牙に。
「容……、容――、すまない……」
「耐えられないんですね……、いいですからっ、沢山噛んで……」
痛みと心地良さで、感覚が入り混じる。痛いのすら気持ち良い。
容の肩口から血が流れ、天贖と容の寝衣に染み込んでいく。思ったよりも多い血の量に、驚いているのは天贖の方だった。噛みつきながらも、見開いた目で忙しく血濡れた寝衣を見ている。
「食い殺してしまうかもしれない、容……、っぐ」
「天贖様、愛しくて、厭わしい、私だけの、人……っ、いいですよ、殺して……私も、殺してあげる」
容の両手が天贖の首にかかる。力の限り握り締める。
「っぐ――っ」
流石に急所は天贖でも効くらしい。2人して苦悶の声を上げながら、隙間のないほど、強く抱きしめ合う。
「私も、一緒に、狂化できればいいのに――、天贖様と同じなら化け物になってもいい……っ、化け物になって、天贖様は罰を受けて、私も天贖様を愛した罰を受けて、2人で、生きていければいいのに」
容の言葉で天贖が正気を取り戻したか、噛みついていた口が離された。容の肩から血が一すじ流れ出る。自然と容の手も天贖の首元から落ちた。
「お前をそんなものにはさせない」
静かな瞳で、確かな決意を伝えるように、天贖は容を見ていた。
「俺がお前を化け物にするくらいなら、今すぐここで俺を殺してくれ。どうかお前だけは、そのままでいてくれ」
優しい懇願が、容をたじろがせる。
天贖が容の肩から流れた血をべろりと舐めた。その行為はまるで獣そのもので、それなのに、労わりと情に溢れていた。
「化け物は、どっちですか。貴方は違います」
容は天贖の首から手を離し、代わりに力の限り天贖の頭を抱いた。
「キスしたい……っ」
「駄目だ」
「気にしているんでしょう? 獣のような姿を見られるのが気になったように、私が牙に触れるのが嫌なんですよね?」
「そうだ」
「私は、気にしません。ねぇ、キスさせてください……あ!」
天贖に噛みつかれ、また彼の顔が伏せられてしまい唇まで届かなかった。
容はそのまま天贖の上に倒れ込む。容の肩から牙を外した天贖は、座った姿勢で、容の顔を覗き込んだ。
「天……贖様。この恋慕と憎悪の塊が――私が、化け物です。天贖様は、違う」
涙が後から後から溢れて止まらなかった。
「私、やっぱり、天贖様を、ころせない」
容が泣きじゃくる間、天贖はずっとその場で泣き止むのを待っていてくれた。
天贖の前にいると、なす術もなく、あるがままを引き出されてしまう。容のこの憎しみも。愛情も。何もかもを引き受けて、天贖は静穏でいてくれる。
どうしてですか。
何で、そんなに優しくいられるの。
こんな私のような醜い塊を、どうしてそんなに愛おしそうに見つめてくれるの。
好きです。天贖様。
何があっても、それは変わらないのです。




