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58. 狂喜

 ――翌日――


 天贖は自室に閉じこもったまま、容以外の誰にも狂化した姿を見せなかった。太智には天贖の具合が悪いとだけ伝えて、なるべく太智が寂しくないように容が相手をしていた。


 愛しているとも憎らしいとも言っても、夫婦だ。眠る時は一緒にと、天贖が望んだ言葉が翻されないうちは、一緒でいいのだと容は理解することにした。


「お義母様が、家系図に、義兄の死因を天贖様が書いてよいとおっしゃっていました」


 天贖の寝室の布団の上で向かい合い、容は冷静に努めた。天贖の長着から獣のように毛に覆われた腕が覗いている。


「お義母様は、天贖様が死因を知っていると、ご存じなのですね」

「……そうだな」

「貴方は!」


 天贖の静かな同意に、容は憤怒の感情を覚えた。


「貴方は何も言わない」


 泣きそうになるのを必死で抑えながら、憎しみをぶつけられずにはいられない自分を、天贖が放ってしまわないかと自分勝手に不安がっている。


 昨日も同様だった。容が一方的に感情をぶつけ、天贖は苦しみながらそれを受け止める。天贖は、心に苦しみを受けると、狂化が一時的に進む。その様子を見て、容は哀れと思い、また、ほの暗い興奮を感じている。


「前言いましたね。恋愛は、欲しがると、相手は身を切って与えなくちゃいけない。お互いがお互いを削り合うと」

「覚えている。その言葉を聞いて、俺はお前の孤独に想いを馳せた」

「今は削り合うなんて思えません。天贖様には、貰うものばかりです。良いものも、悪いものも。だから――溢れる」


 容はとうとう抑えられずに、涙を零した。目を手で擦っても追いつかないくらいに頬を流れていく。


「溢れてしまいます。これは何ですか。辛いです。好きで好きで、憎らしくて、憎らしいの反対が好きで」

「それは、そのまま、溢れたままで置いておくんだ」

「置いておけません!」


 喉が苦しい。容はそのまま俯いて溢れ出す想いを涙で流した。宙をさまよう天贖の手をつかんで、容は涙目のまま笑顔になった。


「ほら、天贖様」


 つかんだ天贖の手を撫で、袖をめくっていき、彼自身に見せた。螺旋状に絡みつくように腕が毛で覆われている。


「まるで狼のような、美しい毛ですね。つい昨日見た時より、毛の螺旋が伸びたように見えます」


 容は、天贖の苦悶がそのまま表れる身体に触れ、悦んでいる。


「こんな手触りのいい腕を、義兄さんも触ってみたかっただろうな……」


 天贖は唇を噛んで必死に耐えようとしているようだった。


「天贖様、辛いの? そんなお顔も素敵です。――憎らしいほどに」


 平坦な声は、自分で思ったより、重く苦しい響きだった。


 容は天贖の獣のような手を握り胸の前に持っていき、甘えるように笑った。


「天贖様。私をもっと愛して? 愛して――化け物になればいい!」


 悲鳴のような狂喜のような言葉を受け、天贖は耐えながら優しく笑んだ。


「――っ、ごめんなさい。つい、カッとなって。嫌わないで」

「ああ。嫌うはずがない、容」


 天贖はこの姿になる前と同じように柔らかな表情をしている。


「何で、嫌にならないんですか。罪の意識を感じているから?」


 天贖はまた黙り込んでしまった。


「すみません。また同じようなことを聞いていますね」

「容。俺は……お前の義兄については答えられない。ひとつだけ答えられるとすれば」


 容は天贖の腕にすがりながら視線を上げた。


「お前を愛しく思うこと、そのものが俺にとっては罪だ。――明日に障る。もう寝よう」

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