54. 追跡の果て<浚地視点>
男は身を隠すように田畑を通り林の中へ入っていった。
だが、浚地がこの村で迷うことはない。
なぜ浚地が道を熟知できるくらい歩き回っても捕縛されなかったのか――浚地としては天贖という男についてだけは理解の範疇を超えていた。自分と同じような考えを持つなら「面白いから」であると納得できるのだが、涼音の言い分では浚地と天贖は正反対らしい。
「天贖さんは、優しいから。ずっと、昔から」
気がついたら浚地は天贖の屋敷に来ていた。予想に反して、男は天贖の屋敷の裏口にやって来ていた。
「天贖さんの裏切り者がいる?」
裏口から男が入るのを見届けると、浚地も裏口へ向かう。表の正門と違い、小さな木の囲いのような門と、石段から続く玄関がある。近くに寄ると、呼び鈴がないことに気づいた。
しかし住居侵入は流石にできない。色々と自分はアウトだと思っているが、平時であればもちろん法律と人の尊厳は守る。その場に立って良い方法がないかと考えていると、裏口から手が伸び、浚地の腕が掴まれた。
「え――っ」
「こちらへ」
見知らぬ女性に腕を引っ張られ、浚地はなすがまま従った。これは――迎え入れられているということでいいのだろうか。
着いた場所は畳張りの12畳くらいの部屋だった。収納部屋なのか、壁に貼りつくように箪笥が並んでいる。女性がその箪笥の引き出しから着物と袴を取り出し、浚地に手渡してきた。
「すぐ、こちらをお召しください。私は反対側を向いています」
わけもわからなかったが、とりあえず浚地は状況に従うことにした。着替えて袴を履く。合気道も剣道もしていたので袴は迷わず着ることができる。「終わりました」と言うと、女は襖を開き、浚地を別の部屋の中に入れ座らせた。
大きな広間の上座には、壮絶な美女がいた。広間は重厚かつ豪華絢爛といった様子で、この女性が中心にいることでその美が完成されているように見えた。
「そなたが浚地じゃの。わらわは山王司 綾乃と申す」
「は、初めまして」
浚地は予想外の事態に驚きながらも何とか声を出した。
「楓、聞いていた話と違うぞ。借りてきた猫のようじゃ」
「流石にこれはどのような猛者でも驚かれることでしょう」
「さようか。ならば仕方ない。――浚地」
いきなり呼び捨てにされたが、年上な上に、貫禄のある女性だったのであまり気にならなかった。
「何でしょうか。綾乃さん」
「あ、綾乃さん……ふふふ、ははは!」
綾乃は心底楽しそうに大笑いした。笑いが治まると、いたずらを企む子供のように、口角を上げる。
「これからファーザーという肩書を持つ男……名を言わぬのじゃがの、そやつと会うのじゃ。そなたはわらわの従者として男を欺き、ここにおるがよい」
「ありがとうございます。助かります。話、聞きたかったので」
まさに渡りに船だ。ファーザーのことを知ることができる。それが目的で彼の後をつけたのだ。
「素直じゃのう! よい。楓、客人をお連れしろ」
「はい」
先程浚地を連れて来た女性は楓と言うらしい。楓は襖を開けて部屋を大回りすると、男を迎えに行った。
すぐに物音がして、綾乃の視線の向こう、広間の襖から楓の声が響いた。
「お母様。お客様のお越しです」
「入れ」
綾乃の言葉に、楓が従い襖を開ける。確かに浚地が目にしたファーザーという男が、敷居を跨いで入って来た。流石に驚きだ。
「こんにちは。来客室ではなく広間ですと少し緊張しますね」
長い服の裾を翻し、男は綾乃の前に座った。
「心にもないことを。息災のようで、何よりじゃ」
「そちらにお座りの方とは、初めてですね」
男が楓の隣にいる浚地を見てそう言った。浚地ももう驚き疲れ、何でもないように挨拶した。
「初めてお目にかかります。浚と申します。よろしくお願いいたします」
名前は咄嗟に短くした。
綾乃は口端を上げると、また男の方へ視線をやった。
「この者は楓の従者での。楓が不在の折はこの者が代わりを務めるため、この場にいさせた。気にするな」
「わかりました。奥様」
「さっそく本題じゃ。この前天贖の話を聞いて安心しておったが、またわらわに会いたいとは、何かうまくいかなかったのかの?」
男は苦々し気に頷いた。
「はい。天贖の力はその怪力とスピードにありとおっしゃっていましたね。確かに我らの手に負えませんでした。それを予想し涼音を殺してもらいたかったのですが、天贖は殺さなかったようですね。涼音は、他の子供達とは違い、こちらを観察している危険な兆候がありましたので」
「ふむ。天贖が涼音とやらを殺し、他の者3人が傷ついた天贖を拉致する――という運びにはならなかったようじゃの。すまんな。天贖はあれでいて虫も殺さぬ優男なのじゃ。ふふ」
浚地はこの男が涼音を殺させることを目的のひとつとしているとは、露ほどにも思わなかった。驚きを悟られまいと、俯いたまま話を聞く。いや――それもそうだが、問題はもうひとつある。
この屋敷のこの女は、長である天贖をどうしたいのだ?
「他のチームの子供を監視に行っていましたので、私は様子を見に行けませんでした。しかし、今回は様子を見に行こうと思います」
視線を上げると、綾乃が扇子を広げて笑む様子が見えた。
「それがよいじゃろう。そなたには言っておらなかったが、他の男2人も天贖には及ばずとも力を持っており、また、容と申す天贖の妻が、天贖に更なる力を与えることができるのじゃ」
容の話題が出るとは思わなかった。浚地は動揺が露呈しないよう、また顔を下げた。
「容は、危険じゃ。だが先に容を殺してしまうと天贖が逆上してそなたの子供達を全員殺してしまうやもしれぬ。それほどに大事にしておるのじゃ」
正座は慣れていないので、と一言言って、男は足を崩した。
「色々と、初耳なのですが」
「許せ。この短い期間で、屋敷には色々あったのじゃ。して、容のことじゃが――こやつは、天贖と引き離した方がよいの。襲撃の日、まずは容を狙うのじゃ。容に術を発動させてはならぬ。容がいては危ない――そのように天贖に思わせれば、天贖が逃がすじゃろう。容を殺さずに襲撃し、天贖と引き離す。この任を、ここにおる浚が引き受けようぞ」
浚地は驚愕して綾乃の顔を見た。見開いた目の先に、彼女の、面白くてつい笑ってしまったとでもいうような表情が見える。
綾乃がすぐに男に向き直る。
「そなたの子供達には容のことは知らせず、天贖と2人の男のことを伝えよ。前回は、容が天贖に術をかけ、天贖に敵わなかったのじゃ。容がおらねば、子供達は天贖達と互角じゃ。いや――少し天贖達の方が上かの。今回はもう少し子供を増やすのじゃろう?」
「はい。まだこちらに到着しておりませんが、あと4人、別チームの者を呼ぶ予定です」
「ならば安心じゃ。天贖はそなたの好きにするがよい。だが、殺しはしないでくれ。あやつには、生き地獄を味あわせてやりたいのじゃ。この母がそばにいられないのが不憫でならぬが、そなたに任せれば、立派に玩具にしてくれるじゃろう」
男は全てわかったとでもいうように、大きく頷き、気味の悪い笑みを浮かべた。
綾乃は口を閉じ沈黙していた。彼女が息を静かに吐くと、その瞳の光彩が一際輝く。
「だがその前に、頼みがあるのじゃ。天贖から引き離した容を、天贖を捕えた時にもう一度戻らせ、その折に、手酷く殺してくれ。天贖の慟哭を、わらわに見せてくれ」
綾乃の顔が喜悦に歪み、躍り出しそうなほどに身をよじった。
「わかりました。よろしくお願いいたします」
男が一礼し、楓が送り出す。
2人がいなくなったところで、綾乃は打掛を引きずって浚地の前まで歩き、屈み込む。
至近距離で顔を合わせ、妖しく笑いかけた。
「そなた、いかがする?」




