51. 幸せな喧騒
また天贖が手を出して来たら流されそうだと思った容は、自室にある内風呂のシャワーを浴びた。楓がいないが、容は着物を自分で何とか着つけ、髪はハーフアップで残りの髪はそのまま肩に下ろすようにした。天贖は袴に着替え、朝食の場で待ってくれていた。太智が小広間にいなかったので、容が引きずって連れて来た。
「おはよう、太智」
天贖が穏やかに挨拶すると、太智は恐縮した。
「おはようございます。いつもごめんなさい、起きられなくて」
太智はよくこのように落ち込む。容には何となくその理由がわかっていた。注意をして直るものではないので、見守るしかない。
「まあ、甘えられるうちは、甘えていいよ」
容の発言に何を思ったか、太智は焦っていた。
「容は……、容は……俺の、おかあ――」
「ご飯冷めるよ。食べよう……って、ん? 何?」
太智は口を開けたまま固まってしまっている。子供はこのように、時折大人にはわからない行動を見せるものなのだろうなと容は感じた。子供を育てるのはきっと難しいだろう。太智は天贖と容の子供だと、容は思っている。責任は重大だ。
「私、頑張りますからね、天贖様!」
楓の癖が移ったか、容は握り拳を胸の前に上げ、意気込んだ。
「何をだ?」
「今は秘密です」
「今朝は容も太智も変だな、はは」
天贖の笑顔が朝から眩しい――容は重症だ。毎朝、毎日、魅了されて悶えている容を、天贖は知る由もないだろう。
「容の言う通り、そろそろ食べよう」
「はい」
太智が元気よく返事をし、いつものように3人で声を合わせた。
「「「いただきます」」」
今日は洋食の日だ。時折食べるウインナーの味は懐かしさすら感じる。この屋敷に来る前はよく食べていたからだ。
「んー。ウインナー美味しい。ここのは特にパリパリで極上」
思わず声に出していた。すると、天贖が何でもないことのように言った。
「そうか。では毎日ウインナーにしてもらうよう楓に言って……」
「や、止めてください! 栄養が偏るし、また天贖様が私に甘いって話になります!」
容が慌てふためいていると、天贖が斜め横の太智を見た。
「太智はどう思う?」
「俺もウインナー好きです」
「聞いたか容。容も太智も好きなら、毎日とは言わないが、飽きるまでウインナーにするしかないな」
「太智にも甘いです!」
結婚後、天贖はとにかく容を甘やかすようになった。太智には前から甘いところもあったが、太智は大人っぽくそれほど要望の多い子供ではないので、目立たなかった。容の方は素直過ぎるのか欲深いのか、よく望みを口にしては天贖にいちいち拾われている。
「甘くても、いいだろう? ちゃんと俺の奥方が諌めてくれるからな」
「私に心労がかかります。ただでさえ女衆から羨ましがられて立場微妙なのに」
「俺の容に何か言いがかりでもつける者がいるのか」
本気で言っているのが凄いよ。
「……『俺の』ってつけるの止めてくれませんか」
「喜んでるくせに」
太智はアスパラガスを口に含みながら子供らしからぬことを言った。
「ほら、太智の教育にもよくありません!」
「夫婦仲睦まじい方が太智も真っ直ぐに育つと思うぞ」
「仲睦まじいとか……っ、かかか簡単に言わないでくださいよ! 子供の前で!」
「子供」
太智がぼそりと言った。
「俺、天贖様と容の子供?」
「そうだよ!」
「へへ」
太智は嬉しそうにしながらまたアスパラガスの茎の方を食べていた。
「ああ、話が逸れた。天贖様、あんまり腑抜けてると私愛想尽かしますからね!」
「俺は知っているぞ。容、お前は表では否定するが、いつも照れて、喜んでいる。理性的なのもいいが、たまには楽にしろ」
「ううー! ああ、天贖様も太智も可愛くない……!」
「でも好きだろう?」
天贖は自信があるのか口の端を上げて笑った。
「好きですよ! 2人とも大好きですよ! 朝から何言わすんですか!」
容が身を屈めて畳に手を打ち付けながら大声を出すと、とうとう天贖は大笑いした。
「はは、容は面白いな。太智、お前もそう思うだろう」
「はい。慣れましたけど」
太智はいつも通り、容の奇怪らしい言動も冷静に受け入れていた。
「あー。朝からやってるね。入ります」
外から聞き慣れた声が降ってくる。障子が開かれ、直志が成人男性とは思えないくらいに、愛らしく顔を傾けて入ってきた。
「あ、気にしないでください。久しぶりに皆さんの様子を見に来ただけだから」
「直志が行きたいと言うので、私も参りました。最近はいかがですか?」
直大と直志は天贖の代わりに本土の土地にしばらく出張していたので、会うのは久しぶりだ。
直大が天贖に向き直り、にやりと笑った。
「聞いてますよ。ご寵愛が過ぎるって。女衆が毎日ショックを受けてるらしいじゃないですか。御家長としての威厳が損なわれないようお気をつけてください」
「けどまあ、うまくいってるみたいで、僕も嬉しいです。――容、お姫様みたいにきらきらしてるね」
直志が恭しく容の手を取る。
「ふふん」
直志の手に手を置いたまま、容は少し得意げになって笑った。天贖が座ったまま威圧的な言葉を投げた。
「離れろ」
「そこ、仲良くしない!」
直大のブラコンも末期のようだ。
「あはは、バカップルが2組いるっ」
義喜が楓を伴って部屋へ入ってくると、笑いながら容の隣に座った。直志の方は天贖に睨まれ、太智の陰に隠れた。
「見ていて微笑ましいですわ」
その隣に座った楓が嬉しそうにそう言うと、義喜が苦笑いした。
「楓ちゃんはその年で悟り過ぎだよね」
「義喜さんは私より年上のくせに子供過ぎますわ」
「がーん」
義喜はおそらく本当に落ち込んだのだろう。いつもは煩い口が閉じられ、俯いた。その哀れな様子を放っておけなくなったか、楓が義喜とは反対方向を見てそっと零した。
「……それが悪いとは言っていませんが」
「え、楓ちゃん、珍しい! 俺のこともっと褒めてっ」
「褒めてはいません!」
義喜と楓は最近仲がいい。今日も一緒に訪ねて来たことを思うと、義喜の希望通りうまくいくのではと思う。
そうしたらこの3組は全員カップル(1組はただのブラコン)じゃないのか。太智も連れて合同ハネムーンを満喫するのもいいかもしれない。いや、合同ハネムーンってなんだ。彼氏彼女ができて嬉しい思春期の修学旅行チームか。天贖様の学ラン姿って――
「どうだったんだろう~。見たかったな」
容がまたいつもの癖を発揮すると、太智が仕方なさそうにこちらを見た。
「何が見たかったんだよ。また何か妄想したな」
「ちょっ、太智。何でわかるの」
「わかるだろ、そりゃ。まあ、内容だけはわからないから大丈夫だって」
「太智優しい。流石、私達の子供!」
膳を退けて太智に抱きつこうとすると、両手で拒否された。
「こっち来るな! 飯食え!」
「まあ、こちらも微笑ましいですわ」
楓がころころと嬉しそうに笑う。
「私と天贖様の2人きりだった頃が、嘘みたいで、嬉しいですわ」
楓に頷いて、天贖も周りを見渡してふと微笑む。
「そうだな。俺はいい家族と仲間を持った。古くからの知己として、楓、お前にとってもそうなら嬉しいぞ」
「ええ」
この喧騒は、容の孤独をこれ以上なく癒してくれる。天贖にとってもきっとそうだと思った。容は嬉しそうに冷めても美味しいウインナーを頬張った。




