4. 特別待遇
熊や鹿などの珍しい絵が描かれた襖を閉めると、廊下のすぐ左に女性が控えていたのがわかった。
「楓」
「はい、天贖様」
たおやかで、優しそうな雰囲気の人だ。目尻の下がった、可愛らしく明るい表情が温かい。20代後半か30代前半だろうか。綾乃のように豪華なものとは違うが、淡緑色の着物だ。動きやすいようにか、たすき掛けをしている。
「新顔だ。母上の意向でな。太智の部屋近くの客間を案内してくれ」
「かしこまりました」
楓と呼ばれた女性は、廊下の床に手をついて容に礼をした。ゆっくりとした優雅なお辞儀に目を奪われる。
「私、楓と申します。天贖様の側近のようなものです。『お母様』のお世話もしております」
『お母様』という言葉に引っ掛かりを覚えた。多分、この『天贖様』の母親なのだろう。だが、楓も、先ほど会った召使いらしき女性も、『お母様』と言っていた。天贖は『御家長』と呼ばれていたようだし、この屋敷は山王司家の家族の集まりなのだろうか。
「皆さん、ご家族なんですか?」
「いえ、違いますわ」
よくわからないが、新参者が最初からずかずかと踏み込んではいけないと思い、これ以上の追求はやめておいた。
そこで、ずっと立って楓を見下ろしていたことに気づく。慌てて正座をし、深々とお辞儀をした。
「私は、月島 容と申します。いきなり押しかけて申し訳ございませんが、こちらで働かせていただければと思います。よろしくお願いいたします」
お辞儀の後、天贖を見上げて平坦な口調で言う。
「あ、『天贖様』にも申し遅れておりました。容です。お世話になります」
天贖は軽く頷いただけで、その場を立ち去った。よくわからないが、嫌われてでもいるのだろうか。それとも新参者にはいつもそのような態度なのだろうか。どちらにせよ長としてはもう少し優しい態度が必要ではないのか。
「容様、こちらです」
「あ、はい!」
廊下から縁側に出る。縁側から見る庭は白玉砂利が敷き詰められた風景や、白御影石の飛び石の奥にある小さな日本庭園や、何もない土の地面と、場所によって違うようだった。彩り華やかで種類もあり、目に楽しい。楓が何度も角を曲がりながら庭の方へ手を指している。移動がてら、屋敷を案内してくれているようだ。
「今過ぎた庭園は屋敷の後ろ側にあります。表に行くと、何もないので、車なども入りやすいですね」
「普通、日本庭園は見栄えがいいから表にあるとかじゃないんですね」
「はい。この屋敷では裏側にあるのですわ。でも光は昼なら当たりますし、見ごたえはあるかと」
楓が歩く後をついて行くが、縁側を回ったお陰か距離が長く、息切れしてきた。日頃の運動不足のせいもあるだろうが、それにしても長過ぎた。建物に果てが見えない。
楓が話を切ったところで、女性の話し声と楽しそうな笑い声が聞こえてきた。縁側から入ったすぐそこの部屋からだ。容は思いついて楓に聞いてみた。
「あの、ご家族が多いんでしょうか。それとも、召使? みたいな人が多いとか」
「女性は全て召使ですわ。男性は天贖様の補佐をしている者が3名。純粋な血族は、天贖様とお母様のみです」
「だとしたら、『お母様』は非常にお若いですね」
「え、えぇ。お若くていらっしゃいます」
楓が一瞬怯んだのがわかり、容は思わず懸念のある顔をしてしまう。楓が容の方を振り返り、周りに耳を澄ます。誰もいないことを確認できたのか、小声で話し始めた。
「容様、その……お母様は普段、天贖様か私以外には、お会いになりません。拝謁できるなど、滅多に、いえ、全くございません。どうか、お母様のご様子など、他言なさいませんよう」
なぜか申し訳なさそうに言う楓は優しく、時に抱え込んでしまう人なのだなと感じた。
「わかりました」
郷に入っては郷に従えというのはこのことだ。
やっと渡り廊下にたどり着く。先を歩いていた楓が振り返り、後ろを手で指した。
「玄関のあった棟が中棟、お母様のお部屋は東棟の端になります。天贖様と太智さんは西棟に居室を構えていらっしゃいますので、その近くの客間をお使いください。客間までまたしばらく歩きますのでお気をつけください」
「はい」
その客間までの間はやはり非常に距離があった。2分以上は歩いた気がする。運動不足の心配がまるでないお屋敷だ。
楓が客間の襖を開け、容を中へと促した。12畳ほどの部屋にはレトロな文机と座椅子、鏡台が備え付けてあった。古めかしい部屋にはそぐわないが、クローゼットもあるようだ。その部屋の一段上に上がったところは襖で遮られており、開けてみると押入れがあったので、そこに布団などが入っているのだろう。ここが寝室というわけだ。
実際に自分の部屋を見ると、今からここで働くのかという実感が急に湧いてきた。とんとん拍子に進んでしまったが、この屋敷は本当に働く場所として信頼できるのか。反対に、自分は彼らの信頼を得て、犯人を探せるのか。自分は大事な岐路に立っていることを今感じている。
立ち尽くす容を見て、楓が不思議そうな声を出した。
「容様? どうなされたのですか」
「あ、いえ。ここに住み込みで働くのかと思って、ちょっと、びっくりしていました」
「まあ。私もご助力させていただきますし、不安に思われることなど、何もないですわ」
楓は胸まで上げた両腕で拳をつくった。可愛らしい仕草だと思い、つい笑ってしまいそうになる。
「ありがとうございます。そうだ。楓さんは私の上司ですから、『容様』なんてよしてください」
「でも」
「他の職員? 召使? の方にもそんな風なんですか」
「いえ、召使――女衆を指導しているのは私なので、そうですね。『様』はつけません」
楓は縮こまって困ったように目線を下げてしまった。
「じゃあ、『容』で!」
「で、では『容さん』で。天贖様が直々にお迎えになり、お母様がお会いになった、特別な方なので、本来は『様』とお付けすべきなのかもしれませんが、そうおっしゃるなら」
「へ? 私、特別待遇なんですか」
どこがどう特別なのか新参者にはわからない。新卒入社がほとんどない屋敷なのだろうか。となると、あの天贖が新参者には厳しいのもある程度理解できるかもしれないと感じた。
わからないが、先ほど楓が『お母様』のことは他言しないようにと言っていたこともあり、お母様に会えたことが特別なのだろうと結論づけた。
「そうですよ! 皆、羨ましがるでしょう」
特別待遇の理由はお母様のことではなく、天贖がお迎えになったからか。浚地の話だと、天贖は『強くて優しくて格好良くて、島の皆がお慕いしています』と言われているようだったので、その理屈で言えば少しは納得できる。しかし実際の天贖はその印象とは程遠い。
「そ、そう。私にはよくわかんないな――っと、私、つい男言葉を使うことがあって、ごめんなさい!」
「いいえ、天贖様にもそのようにおっしゃっても大丈夫ですよ」
「そうですか?」
天贖はいわば長で、雇い主だ。女性でありながら雇い主に男言葉を使うのは、流石に問題があるのではないだろうか。
「はい。天贖様はそういったことをお気になさいません。――天贖様の良きご友人となってくださいね」
ふいに楓が神妙な面持ちを見せた。容が「はあ」と生返事をすると、楓は嬉しそうにする。
虫でも払うような態度の天贖、単に面白がっていそうな綾乃、天贖と良い友人となって欲しいと言う楓。誰を信じて自分はどう振る舞うべきなのだろうか。悩ましいが、とりあえず、仕事相手の『太智』という子供に会いたい。
「太智くんってどこにいるんですか」
「今の時間は小学校に」
「何歳なんですか」
「8歳です」
「生意気ざかり?」
「いえ、元気ですが、大人っぽい子です」
容の場合の8歳というと、モデルや子役をしていた覚えくらいしかない。大人に囲まれて育った容も大人っぽいと言われていたし、太智と何となく通じ合うものもあるのではないだろうか。
「天贖様の養子って話でしたけど、天贖様、そんな歳でもないような……。あ、いくつなんですか」
「天贖様は26歳でいらっしゃいます。私より結構下ですね」
そう言われると楓がいくつなのか気になるが、にこやかな様子がかえって恐ろしいのでそこには触れないようにした。
「あー、あー。えっと、じゃあ、私は太智くんを待たないといけないよな」
「そうですね。太智さんが帰るまで、容さんはこちらで生活をなさる準備をされるとよろしいかと」
「そっか。服とか生活用品とか色々持ってこなきゃな。じゃなかった、持ってこなきゃいけないですもんね」
また普段の言葉が出てしまい、言い直すと、楓が気にしなくていいといった風に「ふふふ」と声を出して微笑んだ。
「お手伝いに男衆を派遣しましょう。天贖様に許可を取って参りますね」
楓はそう言うや、渡り廊下を逆に歩いて戻って行った。早足だが足音がほぼしない。元がかなり良いところのお嬢様か、はたまた綾乃の指導か、よくわからないが所作が非常に洗練されていると思った。
容は1人取り残され、改めて部屋をぐるりと見渡した。
――ここから始まる。誠吾に報いるために、殺人犯を探すために、歩き出す。
特別待遇。この屋敷で上手く立ち回るために、まずは上々なのではないだろうか。交流の幅が広がりそうだ。それが天贖のお陰かと思うと若干悔しい気がするが、そこは堪えよう。
「よし! ここにいる人達のために、まだ知らないけど太智くんのために、頑張れ、私」
恥ずかしくて言えないが、容は周りを幸せにしたいとよく思っている。そう思うから、姉の結も、結の夫の誠吾も、幸せにしたかった。結は「容といられるだけで幸せ」と言ってくれていた。誠吾は? どうだったのだろうか。結と同じだとよく言われる顔で誠吾のそばに居座り、結を失ったことを常につきつけてきた自分は、果たして誠吾を幸せにできたのか? もしかしたら、死ねてかえって幸せだったのか? ――いや、考えたくない。
少なくとも、誠吾を殺した犯人が誰かわからないままなどということは、誠吾も悲しむだろう。今は、理由は、それでいい。
しばらく経つと楓が袴姿の男性を伴って現れた。天贖と同じくらい背が高いことに思わず驚く。簡単に挨拶を済ませた後、トラックで送られ、容は自宅へと向かうこととなった。




