3. 視線の先の熱
浚地に地図を書いてもらい、身なりを整えた。普段のスカートやジーンズなどは場に合わないと思うので他の服を漁った。半袖の黒いワンピースが見つかり、これならかしこまった場も普通の訪問としても使えると思い、それに着替えた。地図の通り進んでいくと、畦道だった道が広い道路となり、景色も田んぼより家々が目立つようになった時、その家はあった。
「ここがお屋敷……」
とにかく横に巨大な建物で、塀で囲まれた敷地を角から見ると奥に切れ目が見えない。しばらく歩いて屋敷の中心まで行くと、黒塗りの正門があった。門には精緻な彫刻がなされ、その荘厳さに背筋が伸びるような気がする。開いていたので、中を覗くと、まるで武家屋敷のような外見だった。綺麗に手入れされているようだが、建物が年代物であることだけはわかる。そばには蔵があったり、用途不明の建物があったりと、屋敷以外の物も多く敷地が広い。このような規模の家を見るのは高校の修学旅行で寺に行ったきりで、驚きのあまり立ち尽くしていた。
とりあえず雇ってもらい、腰を据えて犯人探しをしようと考えていたが、自分には荷が勝ち過ぎるのではないかと思う。
「掃除だけで日が暮れそう……」
門を通り、中に入ったところの更に奥、屋敷の玄関にある呼び鈴を押す。電子音がするが、忙しいのか返事がない。
「あの!」
誰か聞いてくれないかと、息を吸って、大きな声を出す。
「二櫓町から来た者です。身内が亡くなった家で、最近越して来たばかりで仕事とか何の当てもないんですが。ここが相談にのってくれるとの話を聞いて伺いました」
かなり大声を出したつもりだったが、またしても返事がなかった。十秒くらい待って、また声を上げようとすると、奥の方から芯の通った男の声がした。
「仕事探しですか」
重厚な引き戸が開かれ、玄関の内部と、男が見えた。180センチ半ばぐらいはある。屋敷だけではなく男も大きいとなると身の竦む思いがした。上は木綿の着物、下には黒い袴を着ているようで、しなやかな袴さばきの音が聞こえる。
男は玄関の一段下がったところにある式台に立っている。黒い髪は短髪より少し長めで、柔らかさと鋭さの両方を備えた彫の深い顔立ちをしていた。端正な眉とすっきり通った鼻筋と唇に、凛とした瞳が映え、その目が驚きに見開かれる。
あの時の綺麗な目に、似ていると思った。
男は驚きのためか目を見開いている。容はその綺麗な瞳と顔に見惚れてしまう。
容は一段高くなっている玄関から見下ろされ、男は容に見上げられている。
喧騒が遠くに聞こえる。
鼓動が速い。
なぜか顔が熱い。
どうしてか目を離したくない。
男が先に冷静さを取り戻すと、呆然としている容を促すように玄関の奥を手のひらで指し示した。
「まずは上がって茶でも召し上がってください」
穏やかで低い声だった。
「は、はい」
とりあえず話は聞いてもらえるようで、期待を胸に、男の後をついて行く。
まだ心臓の鼓動が治まらない。初対面の人にこれだけ心をかき乱されるのは初めてだ。
玄関を過ぎると板張りの廊下が続いていた。廊下を右に曲がり、さらに左に曲がってまっすぐ歩くと、茶室に案内された。
「応接室は今別の客人がいらしているので、茶室で申し訳ございません」
奥の方に手を向け、座るように促される。和紙のような材質の壁に、中心には炉のようなものが置かれ、床の間には猪の描かれた掛け軸が下げられていた。
しばらくすると仲居のような和服を着た女性が現れ、煎茶を勧められた。
茶室の外で、女性達の声がする。
「何で御家長直々にお出迎えされたの! 貴女達はどうしていたの」
「いえ、お客様の声が聞こえた瞬間にふとお出迎えに行ってしまわれたんです」
その会話で、浚地が言っていた『島村の長』とはこの男のことだったのかと気づく。
「下がれ」
男が静かにそう言うと、「申し訳ございません」と言い残し、女性達は障子から離れていった。
男は一息置いて、横を向いていた体を正面に向けた。茶室だからか、互いの距離が近く感じられた。この男の美しさと剛直さの入り混じった佇まいが目の前にあると緊張してしまう。容は男性への興味は薄いが、ここまでの男前ならば見惚れてしまっても仕方がないだろう。
「二櫓町で最近亡くなった方なら、誠吾さんでしょう」
「知ってるんですか!?」
「村の者ならだれでも知っています」
村とはいっても、この島には様々な村が散在している。その村々を束ねているのが長であり、その長が「村の者」というならば、島人全員が知っているといっても過言ではない。
しかし「長」というのも妙だ。この島にも役場はあり、政治上で「長」というなら、この島の女性市長のはずだ。
「安らかに眠られていることでしょう。お祈りしております」
男はゆっくりとそう言って、沈黙した。それからしばらく互いに一言も話さなかった。段々居心地が悪くなってくる。
「あの、敬語じゃなくていいです」
「そうですか」
「だって、島の村全体で長みたいな方って聞いてました」
居心地が悪いのは長ともいうべき人から敬語を使われているためだと思った。
「そうですか、長とはまた大層な呼び方ですね。貴女は島出身の方ではないので、お客様として接しようと思っておりましたが、ではお言葉に甘えて」
男は社交的な口調を捨て、一気に冷たさを感じるそれとなる。
「さて、本題は何だったか」
容は最初戸惑うが、男の言葉を素直に聞いた。
「はい。何か仕事のアテはありますでしょうか。できれば、炊事掃除洗濯できるので、ここで雇っていただけると嬉しいのですが」
男の反応が無いので、容は緊張して言葉を待つ。次の瞬間、男が息を吸い込むのがわかった。
「ずうずうしいな」
男は容を見下ろし無表情で言い放った。
先ほどとは態度も口調も違い過ぎる。聞き間違いかと思う。
「早くこの島から出て行くがいい。働き手は足りている」
男の豹変ぶりに驚きが隠せなかった。何も言い返せず怒りを抑えていると、障子の向こうから声が聞こえた。
「御家長。お母様がお呼びです」
「今行く。あと、客人のお帰りだ、丁重に送り出せ」
「いえ、お客様と一緒にいらして欲しいとのことですので、お連れになってください」
「必要ない」
取りつく島もないその物言いに、ついに容の堪忍袋の緒が切れた。
「はぁ? さっきから貴方態度酷過ぎませんか!? 確かに敬語じゃなくていいって言いましたけど! それにしてはあんまりじゃないですか!」
廊下で正座をしている女性に迫るようにして近づく。
「行きます! 私行きますから連れてってください!」
どうしたらいいか迷っている女性を見るに、埒が明かないと判断し、御家長と呼ばれた男を睨む。
「ついて! 行きます!」
長だろうが何だろうが理不尽に行動を制限される謂れはない。
男は一瞬面食らったかと思うと、溜息をひとつ吐いた。
「仕方がない。ついてこい」
「どーも」
容はふんぞり返って返事をした。
男は容を連れ立って茶室を出ると、元来た道とは別のところで廊下を曲がった。渡り廊下を渡ってからもさらに奥に奥にと歩を進めた。お互い、終始無言だった。
辿り着いた部屋の前で、男は襖越しに誰かに声をかけた。
「母上。客人をお連れしました」
「入れ」
涼やかな声に促されるように、容は男より先に部屋へと足を踏み入れた。30畳ほどある広間だった。丹念に施された壁の装飾に目を奪われる。一番奥に、絢爛な意匠の打掛と着物を着た女性が正座している。この遠い距離で相見えるなど、まるで謁見のようだ。
容は綾乃と離れて向かいにいる男の横に同じように正座をし、軽く頭を下げた。
「初めまして。月島 容と申します」
「よう参ったの。わらわは山王司 綾乃と申す」
煌びやかな着物をさらに豪奢に見せるほど、全身の造形が整った美しい女性だ。常に薄く笑んでおり、口元も瞳も品のある顔貌だった。30代半ばだろうか。ここにいる男の母というには、どうしても若過ぎる。
「あ」
突如思い出したことがあり、思わず声を上げた。すると綾乃が芯のある声で言った。
「いかがした」
「あ、すいません、お隣にいらっしゃる方のお名前を伺っていなかったなーと、思い出しまして……」
ちらりと横を見ると、男は重そうに溜息をついた。
「……山王司 天贖だ」
「『てんしょう』。どんな字を書くんですか」
綾乃が宙に指で文字を書いた。
「天地の『天』に、贖うの『贖』じゃ」
『天贖』は興味がなさそうに容から目を反らすと、綾乃に向かって経緯を説明した。
「働く場を探しておるとのことか。天贖。少し席を外すがよい」
「……わかりました」
天贖はぶっきらぼうにそう言うと、容に視線を向けてから、襖を開けて部屋を出て行った。
綾乃は天贖の行動には注意を全く向けず、容をまるで品定めでもしているかのように見ていた。
30代半ばと思ったが、女性の年齢は外見からはわからないとよく言う。穴が開くほど見つめても、どうにも確証が持てない。
「くすっ」
なぜか笑われた。
「兄君のこと、さぞ心の傷は深かろう。お悔やみを申しあげる」
綾乃は顎を上げ、座る容とその周りを俯瞰するようにした。
お悔やみの言葉すら威圧的に聞こえる。長である天贖よりも上の立場のように見えるので、当然なのかもしれない。
「ありがとうございます」
「働き口を探しているのであろう?」
「はい」
「ここで働くがよい。子供の世話係として」
まだ自分のことを全く話していないのにも関わらず、いきなり仕事があると言われ心底驚いた。
「あれが養子に迎えた子がおる。だが、遊び盛りで手を焼いていたのじゃ。丁度良いから明日から住み込みで参られよ。休日は実家に戻ってもよいし、ここに居ってもよいぞ」
住み込みだと浚地を容の家に置いてけぼりにすることになるが、彼なら1人でも大丈夫だろう。浚地は炊事掃除洗濯と何でも家事はできるように育てられたと聞く。少し冷たいかもしれないが、全く放っておいても問題ないと思った。彼は逆ナンパされる以外は心配する必要のない男だ。容は住み込みでも構わない。
だが、綾乃の言う『あれ』とはどれのことだろうか。文脈からいうとやはり天贖か。
「天贖。入ってよい」
すぐに襖が開けられ、眉を寄せた不機嫌そうな表情の天贖が入って来た。綾乃が上の立場かと思ったが、天贖のこの様子からすると、そういった単純な関係ではなさそうだ。2人で長なのだろうか。
「母上。屋敷の手は足りています」
「美しい娘だからの。そばに置きたくなったのじゃ。よいではないか。太智の世話係も欲しかったところだしの」
「いや、太智の面倒なら俺ももっと力を入れます」
「おぬしはおぬしで忙しいじゃろう?」
「ですが」
引き下がらない天贖に苛立ったか、綾乃は懐から扇子を取り出し天贖を指し示した。
「嫌に頑なではないか。何か問題でもあるのか?」
「いえ」
「わらわが決めたのじゃ。おぬしは黙ってわらわの言うことを聞けばよい」
「……わかりました」
苦虫を嚙み潰したような顔を見せた後、天贖は頭を下げた。
「容、ついてこい」
「はい」
名前を呼ばれたことに驚き、普通に返事をしてしまった。天贖ならば「おい」だの「お前」だので済ますのではと思っていたからだ。
慣れない正座から立ち上がろうとして足元がふらつく。天贖が反射的に抱き留めようとし、容が無事だったことを確認すると、手を引っ込めたように見えた。
――謎な人だ。




