46. 精霊の儀
精霊の儀は、屋敷のある櫓町の中心に位置する祭壇を囲んで行われる。
祭壇は、屋根のない、木で組まれた高さ3メートルほどの、2~3人立てるくらいの小さなものだ。その祭壇からまず地面に白い布が敷かれ、山の裾にかかり、階段を上り、小屋まで通っている。祭壇も小屋も、余すことなく刺繍が施された壁掛けと、鹿の角が取り付けられていた。
女衆は30人で小さな祭壇から離れ大きな円を作っており、青い布の上に座っている。その後方には4~500人はいそうな群衆が今か今かと待っている。
容は小屋の横、丘の上から儀式の様子を見下ろす形になっていた。群衆からの視線が痛い。
「精霊の儀は、天贖様が執り行うものです。天贖様がここにいらっしゃったら、その後ろをついて行けば大丈夫ですよ」
楓はそう言い残すと、別の階段から下り、女衆の円の外に控えた。
女衆によって祭壇の周りにある松明に火がつけられる。そこから小屋までの長い道のりを、暗闇の中、火が照らし、白い道をぼんやりと浮かび上がらせている。
容の背後に控えていた女衆の恵が、容に耳打ちした。
「女衆の声に従い、火の明るさを目印にして、この白い道を精霊が通ります。それが御家長に宿り、その御家長が精霊の道を戻り、容様に出会うのです。容様は、いわば精霊に差し出す、精霊の乙女なのです」
天贖に自分が乙女だと豪語した容としては、恥ずかしいがある意味相応しい呼称なのかもしれない。しかし今後は儀式の相手は御家長の伴侶だと天贖は言っていた。乙女でなくても伴侶なら許されるのか。
「精霊は、宿す者の心に強く影響を与えます。逆に、宿す者が精霊に与える影響も大きなものですから、精霊の儀の乙女は、宿す者の最愛の人であるのが一番良いのです。約20年越しの、正統なる宿す者の伴侶を、精霊は喜ぶでしょう」
御家長に一番に愛されていれば、それでいいのだろうな、と容は感じた。
「なら、よかったです。でも、結婚式らしくないですね。まるでバージンロードを天贖様が通るみたいです。逆だろうに」
容は白いタキシードを着てバージンロードを1人で堂々と歩く天贖を想像した。いや、タキシード姿格好良いんじゃないかな。見たいけど何だか笑える。駄目だ、笑うしかない。
「はは!」
「どうしたんですか! いきなり笑われて」
「すいません。クセなんです」
自覚はある。妄想僻だ。
松明だけが明かりの元でも、人の表情は読めた。ふと、恵が嬉しそうに目元を緩ませ、囁いた。
「私にはわかっておりましたよ。容様が天贖様の伴侶となられることを」
「えっ」
予言者かと思い目を見開くと、恵は懐かしそうに遠い目をした。
「眩くように美しく孤独な容様が、孤なる光であらせられる天贖様のお心を捉えて離さないだろうと感じておりました」
恵が万感の思いを込めたように言う。
「おめでとうございます。容様」
「はい。ありがとうございます」
眩く、などとは似合わない言葉だと思ったが、恵の心からの祝福が嬉しかった。思わずにやけてしまいそうな顔を見せないようにしたかったが、頭につけているベールは薄い生地なので隠しきれなかったろう。
「それで、天贖様と小屋の外で会って、それからどうするんですか?」
「あの……御家長からお聞きになっていないのですか?」
恵が心配そうに問いかけた。
「へ? なんのことでしょう――あっ!」
以前、天贖が儀式には隣り合って女と寝ると言っていた。本来なら手を出すべきだと言っていた。綾乃が容に見せた記憶では、天贖は「儀式で女性に手を出す」とか何とか言っていなかったろうか。
「まさか」
「精霊を宿した御家長と、小屋の中で睦み合っていただきます」
「チューのひとつでもすればいいんですよね!?」
希望的観測に縋るように容は真剣に恵に詰め寄った。
「はっきりと申し上げますと、御家長がお望みならば、契ることになります」
初夜は精霊の儀が終わってから天贖の部屋で行うのだと思っていた。心の準備が全くできていない。
「では、私は控えておりますので、しばしこれにて」
恵は小屋の回廊の奥に下がっていった。
そうこうしているうちに、祭壇の周りに座っていた群衆は静まり返っていた。
天贖が小屋の反対側から祭壇に向かって歩き出した。
容と同じ色――青く長い胴衣を着ているが、生地はそれよりも厚く、羽が縫いこんである。牙や角の加工であろう首飾りを幾重にも首から下げている。ズボンは黒色をしていた。背筋がよく、立派な体躯で長身、端正な顔立ち、それらを丹念に作り上げられた形のいい衣装が引き立てている。
「かっこいい……」
つい見惚れて凝視してしまう。
いや、それよりも自分の心配をしろ。天贖ならそう言うだろうか。
「多分、からかいながらそう言うな」
容は独り言のように呟いた。
天贖が祭壇への階段を上り、小屋に向かうように姿勢を正した。瞬間、目が合うと、天贖は容を呆けるように見つめた後、慌てて視線を反らした。
「何でこっち見ないんだよ。衣裳、似合ってなかったかなあ」
祭壇の松明だけでは群衆の全てを照らすことはできないようだった。容が目を凝らしても人の塊の後ろの方は見えない。一番明るいのはやはり天贖の周りだった。闇夜に浮かび上がる彼の姿はその端正さと逞しさで、まるで道しるべのように輝いている。
天贖は大きく深呼吸する。表情を引き締めて、周りにいる群衆を見やった。
「1ヵ月と少し前、島外から帰ってきた淵 誠吾が亡くなった。痛ましい事故であったが、それ以外は大きな災害や事故もなく、無事に過ごせたことと思う。この天贖に相談に参る者もそれほど多くなく、大事ないことと思っている。各村の長、自身の治める村がどういった様子であったかこの場で述べろ」
すると、群衆の最前列にいた男女の老人達が20人ほど立ち上がった。
「一ツ船村長です。前回の儀式後、我々も無事でした。漁獲量も豊富で変わりありません。また、新しい命も生まれ、村は活気づいております。御家長におかれましては、いかがでしょうか。この度ご結婚なさるとか。この老体、以前御家長に助けられた身として、天贖様をお慕いする我らが村においても、天贖様のお幸せが何より気がかりでございます」
天贖は了承の意を示した後、老人を座るように促した。
「皆息災な様子で俺も嬉しいぞ。赤子が健康に育つよう、祈っている。何かあれば相談に来るといいと伝えてくれ」
天贖は声高らかにそう言うと、一息ついて落ち着いた様子で口を開いた。
「俺の結婚だが、皆も存じているかと思うが、相手は『月島 容』と言う。島外の女性だが、俺達は互いに好いているからな、幸せになれると思う。小助、そして一ツ船村の者、礼を言う。――次」
順番に村の長達が村の様子を話し、また、天贖の結婚がそれほど待ち遠しかったか口にした。老人からすると、天贖は崇める存在でもあり、また、成長を見守って来たこともあり、親のような気持ちもあるのだろう。天贖が村々にとって大きく、また慕われている存在であることを、容は身を持って理解した。
老人達の報告も終わり、皆が静まり返った。
「他にこの場で何か俺に述べたいことがあれば、手を上げろ」
群衆は周りの者と話し合う。挙手する者がおり、天贖は立ち上がるように言った。熟年の女性だった。
「御家長。緑子と申します。夏の豪雨の影響で、山の土が緩んでいないかが心配です。うちの家の後ろも山ですから、相談にのってくださるとありがたく存じます」
「わかった。他には!」
群衆は静まり返っており、他に意見はないようだった。
「ないのであれば儀に入ろう」
天贖は祭壇の上で胸を張り、力強く言い放つ。
「これより精霊の儀を執り行う。また、今宵は俺の伴侶として、精霊の乙女として選んだ者がいる。いつもとは違い、高位の精霊の降臨を願うこととする。緑子の要望もある。土と岩の精霊がいいだろう」
女衆は様々な面持ちで天贖を見上げていた。落ち着かない様子の者、使命感に燃える者。そして、天贖の結婚を悲しく思う者もいるだろう。
「ごめんなさい。でも私は天贖様がいいんだ」
遠くにいる天贖を見つめながら、小さく呟く。
祭壇の上の天贖は続けて言った。
「夏の豪雨で土砂崩れなど起きないよう、精霊を鎮める。――唱えろ!」
その掛け声に従い、女衆はまず30人の意識を繋げることから始めた。連帯感に安らぎ、時に痛みに苦しむ。この前、樹が獣となった際に呼び出した時より、丁寧に、順を追って精霊を降ろすのだろう。
目をつぶったまま、彼女達は歌うように唱え始めた。
『大気にたゆたう土と岩の精霊よ。聞いてください。私達の声を聞いてください。ここに強く心優しい男がおります。貴方方を統べる山ノ神の息子です』
唄は突如激しくなる。女衆は首を左右に傾けてリズムを取る。全ての動きが皆一致している。
『男は、精霊の乙女として伴侶を選びました。どうかこの男の身にお宿りください。貴方方のお力をお示しください。道を開きましょう。繋げましょう。私達の声を頼りに、お通りください』
女衆の周りに光が満ち始めた。
『さあ、ここにあらせられるは精霊を宿すお方なり!』
光の束が轟音を立てて天贖が掲げた右腕に集まった。右腕が光り輝き、いつしかそれが全身に広がった。そして、土埃のような竜巻が、天贖の周りに生まれた。身体にはまた牙や角の変化が起きていた。きっとまた瞳の色が変わっているに違いない。
天贖が右手を差し出しそっと横に薙ぐと、土が盛り上がり、岩柱が生まれ、祭壇の周りを取り囲む。
それを目の前にした群衆からどよめきが起きる。
「これが高位精霊の力……!」
「御家長、何と高貴な」
手を組んで感動を露わにする者、平伏す者と様々だった。
天贖が口を開く。
「土と岩の――」
静まり返った瞬刻の後、天贖がのびやかに上を向いた。
「――精霊よ。此度の降臨を有難く存ずる。どうか、この島の山で起こる、森で起こる、土の災害から守りたまえ。どうか、しばしこの身に留まり、私と私の伴侶の繋がりをもって、我らの婚姻を認めたまえ。長たる私との縁を深くし、この島へより一層の慈悲を賜りたし」
群衆と女衆が天贖に向かって頭を垂れる。天贖の周りを囲っていた土の竜巻が小さくなり、消えた。
天贖からは角と牙も消えているが、髪が長いのは変わらない。まだ精霊は降りたままのようだ。
「皆、精霊の儀は成った。俺は精霊の道を遡り、精霊の乙女を伴侶とする。皆、下がれ」
女衆は円陣を解くと、一列になり、天贖が通って来た道を去っていく。
途中、天贖の結婚を悲しむように、何人か息を殺して泣く女もおり、女衆に肩を支えられながら何とか歩いて行った。
容は胸の痛みを覚えるが、天贖は容を、容は天贖を選んだのだ。譲れるわけがない。
群衆が全て立ち去るのを見届けると、天贖は炎の揺れる白い道を辿って、階段を上がっていく。容は階段の上の丘にある小屋の横で待つ。距離が狭まるごとに、緊張感が増していく。見つめ合う天贖の瞳はやはり先日と同じく金色で、見慣れない姿に容は心が騒いだ。
天贖は階段を上りきると、跪いて容を見上げた。
回廊から見ていた恵を含む数人の女衆が、驚きの声を上げる。
「精霊を御身に宿して跪かれるなど!」
天贖は跪いたまま、厳かに言った。
「俺自身が、そして俺の中に宿っている精霊が言った。最愛なる者を前にして、己は無力だと――跪けと」
どう言葉を返すべきかわからない容に、天贖は手を差し伸べた。導かれ、容はその手に自らの手を重ねた。
「――お前を愛してやまない俺を、許してくれ」
金色の瞳の中に、天贖の強い意志と不安が入り混じっている。容は、不安を消してあげたくて、その強い意志をこの身に受けたくて、愛を誓うように囁いた。
「許します。貴方を、許します――だから、愛してください」
天贖は容の手を握り、立ち上がった。そっと、容の白色のベールを上げる。薄ぼんやりとしていた視界が天贖だけになる。その瞳が閉じられ、天贖から唇に触れるだけのキスをされた。
唇の柔らかい感触が、今、ここで天贖の妻になった証のように感じられて、目の奥が少し痛んだ。
天贖がそれを幸せそうに見て、淡く微笑んでいた。
――ああ、どうしようもなく私はこの人が好きなんだ。
嬉しさが心から溢れ出しそうで、喉が詰まる。
「誓いは成った。容、ここに来い」




