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44. 義母の記憶

 1週間後、精霊の儀の直前、容は綾乃に広間へと呼び出された。天贖は同席すると言っていたが、綾乃に出ていけと強く命じられ、部屋の外に控えている。


「あまり大きな声では天贖に聞こえてしまう。小声で話すぞ。容、そなた、天贖の女遍歴が気になっておろう」

「な、何でわかったんですか」

「楓がそのように申しておった。正確には、気になっているのではないか、と楓が心配しておった」


 容は熱くて真っ赤になっているだろう顔で俯く。綾乃は天贖の育ての母だ。容にとって一応は義母になる。その義母にこのようなことを言われようとは情けない。


 天贖と出会う前の事柄など、どうしようもない。天贖の過去を責めるなどしてはならない、とは思っている。


「そ、そんなに気にしていまべっ、……いません」


 動揺のあまり台詞を噛んでしまった。


「ははは!」


 綾乃が腹を抱えて大笑いしていた。部屋の外でがたんと物のぶつかる音が聞こえた。天贖が驚いて思わず物に当たってしまったのだろう。今だけどこかに行ってほしいと容は切実に願った。


「では意識を繋げるのじゃ、容」

「繋げる? もしかして」


 綾乃は妖しく口元を上げる。


「そのまさかじゃ。わらわとそなたで意識を繋げるのじゃ。この島の女衆ならほとんど誰でもできること。ちと頭痛で辛いやもしれぬがな」

「意識を繋いで、どうするんですか」

「天贖の嫁になるならば、わらわが覚えている記憶を伝えてやろう。力の強いわらわなら映像と音と、うまく伝える技を心得ておる。匂いや触感等は伝えられないがな。天贖から聞いておろう。わらわが天贖を愛情深くは育てなかったことを」


 天贖の苦しみと、もしかしたらあったかもしれない綾乃の事情を考えると、気軽に返事はできず、容は黙り込んだ。正座の上で握った拳に視線を落とし、何を言おうか考えているうちに、綾乃が声を出して笑った。


「ふふ、容は優しいの。わらわはそなたには天贖の全てを知り、天贖と相容れたしと願っておる。さあ、楽にせい。目を閉じるのじゃ」

「はい」


 遠くから耳鳴りのような音がする。それに伴い、頭の奥の方にちりちりとした火種が生まれる。次の瞬間にはそれが大きくなり、激しい頭痛となる。それでも耐えていると、ふと、目の前が白くなった。





 真っ白い光が点いたり消えたりする。徐々にそれは弱くなり、目の前が晴れるように世界の彩りが蘇る。


 身体の感覚がない。容には映像だけが目に入る。


 ここは――今いる西棟の大広間だ。


「屋敷外の友人と遊ぶとは何事じゃ!」


 太智くらいに小さい男の子が、頬に激しい平手打ちを受け、真横に崩れ落ちた。頭に衝撃が響いたのか、少年はよろよろと立ち上がった。


「でも、母上、たった1人の親友なんです」

「ええいっ」


 今度は扇子で強かに顔を叩かれ、崩れ落ちる。少年が起き上がった時、自らの鼻から血が垂れているのに気づき、手の甲で拭った。――殴られ慣れている。上半身を起こすと、今度は背中に一撃をくらう。


「口答えをするな! 楓、その友人と天贖が交わした本、玩具、何でもよい、燃やせるものは燃やせ!」

「か、かしこまりました」


 蒼白な顔で、楓と呼ばれた少女――小学校高学年くらいだろうか、楓が頷いた。


「やだ! 燃やさないで!」

「母に向かって嫌だとは何じゃ! このっ」


 天贖は蹴られて蹲り、苦しそうに咳き込んだ。


「楓、目障りじゃ。こやつを連れて行け!」

「は、はい。只今」


 楓は天贖の腕を持ち、声をかけながら、足取りの覚束ない天贖を部屋の外まで引きずっていった。


「何と、おぞましき子よ。楓、すぐに燃やすものを持って参れ!」


 すぐに楓が本や紙飛行機、小さな玩具などを抱えて持って来る。


「これだけか? 楓、そなたが持っていたものもあるじゃろう」

「は、はい……持って参ります」

「天贖、母は燃やしさえすれば許してやるぞ」


 まだ襖の外にいた天贖が返事をする。


「……はい……」


 手招きされ、天贖は綾乃のそばに寄った。


「外へ行けぬ母の代わりに、楓と一緒に、燃やして参れ。燃えかすを母に見せるのじゃぞ」

「はい」

「二度とその友人とは会うな。そやつの父母兄弟の無事を願うならな」

「わかりました」

「そうじゃ、いい子じゃ。ほんに天贖はいい子じゃのう。可愛い子じゃ」


 傷だらけの天贖は、頭を撫でられながら、表情をなくした人形のように動かなかった。


「ほれ、行って参れ。夜8時には蔵に着くよう、遅れてはならぬぞ。今日も両手の錠を女衆につけてもらうのじゃぞ。寒いからと逃げたりなどすれば、女衆の意識に繋がることのできるわらわにはすぐにわかるぞ」

「はい」


 頷く以外何の反応も示さなくなった天贖を、綾乃が楽しくて堪らないといった目で見ている。


「そう、これは母の思いやりじゃ。ふふ。――耐え忍べ、天贖」





 容の見ている画面が切り替わるような感覚がした。また、同じ部屋だ――。


「お母様、天贖様はまだ12で……!」

「わらわは天贖はいらぬ! 早う跡目となる子供を作ってわらわの前から消えるがいい!」


 楓が狼狽えていると、襖の外から子供の声がした。


「天贖です。母上、お呼びですか」


 天贖は平静な様子だ。綾乃の大声は聞いていたはずなのに。


「入れ。――近う寄れ。本当に可愛い子じゃ、天贖。だからの、早く幸せになって欲しいのじゃ。わらわが良い嫁を選んでやったぞ。籍はまだ入れられぬがどうせすぐじゃ。まずはその女に子ができるか否か確かめなくてはなるまい」

「――はい」


 天贖の表情は暗く、声音も低かった。だが瞳には、諦めの中にどこか煌めくものがあった。





「失敗したとはどういうことじゃ!」


 憤怒の形相を向けられた中高生くらいの年齢の楓は、怯えながらも畏まって言った。


「天贖様が露ほどもご興味を示さなかったと、薫から聞いております」

「ええい、慈悲で年の近い女子にしてやったのに、天贖めが……!」

「薫は天贖様に想いを寄せておりましたので、落ち込んでおります」

「そうか。天贖は年の近い女子が好きではないのじゃ。よい、今回は諦める。天贖が精霊の儀を行えるようになってから、毎回別の年上の女子を見繕ってやろうぞ!」


 高らかに言う綾乃に、楓が恐る恐るといった風に話す。


「天贖様は、年の近い女子が嫌いというわけでは……。ただ、まだ幼く、真面目でいらっしゃるのです。15になっても、毎回別の女性をあてがってしまっては天贖様のお心を痛めるかと……」

「楓」


 楓は呼ばれた途端口をつぐみ、身震いした。


「お前は女子故、天贖と違ってしつけをしておらぬのだぞ?」

「は、はい」

「口答えは許さぬ。天贖よ、年を経る毎に、心を病み、ねじ曲がるがいいわ。ふふ、楽しみでならぬわ!」


 綾乃の異常な執着がその笑い声から溢れ出ていた。





「何事じゃ。このような夜更けに。――楓、いかがし……た……」


 綾乃が寝室から出て広間に行くと、青年手前まで成長した天贖が両腕から鎖を吊るし、手首から血を滲ませ、立っていた。


「母上。俺は16になりました。この歳で、やっと、蔵から出ることができるくらいの力を得ました」

「なんじゃ……と。――楓!」

「ほ、本当ですわ。蔵の柱と壁が壊れ、鎖ごと引き千切られたのです」


「母上。貴女のことは、これからは俺が守りましょう。山王司家の跡取りは俺です」


 真っ直ぐに綾乃と対峙した天贖の瞳には強い光が宿っていた。


「代わりに、俺は俺のしたいようにします」

「なんじゃと?」

「今、嫁を娶るつもりはありません。愛なき行為にも意味を見出せません。儀式は、村々の心をひとつにする重要なものであると認識しております。精霊に乙女を差し出す必要も、決してないとは言いません。しかし、俺の心持ちは精霊に伝わるのです。俺自身がその女性を愛していなければ、意味などありません。俺は今後一切儀式で女性に手を出しません」

「そなた、最初だけは従っていたようだが、すぐに『振り』をしておったことは知っておるぞ。女が嘆いていたからな」


 綾乃は天贖を睨んだ後、にやりと鋭く笑った。


「まあいい。わらわも飽きた。――今後は『おぬし』の言う通りにしようぞ。山王司家は真面目な良い跡取りを持った」

「では、失礼いたします」


 天贖が広間の襖を開けて出ていく。その途端、天贖にも聞こえるようにか、綾乃の大声が響く。


「何と憎らしきことか! あやつの子供などいらぬわ! 天贖の後の跡目は男衆の誰かでよいわ! 楓、わらわは女衆と意識を繋いで能力のある男を見つけるぞ! 義喜以外に何人もな!」

「また、自ずからお力を使われるのですね」

「ふん、その方がよかろう。姿が見えなくとも、勝手に意識を取られるのじゃ。これほどに脅威な存在、他にありはしないぞ! ふふ、はは」


 笑い声を腹で転がすようにして綾乃は上半身を曲げた。


「天贖があそこまで申すからには、あやつには島の厄災の矢面に立ってもらおうぞ。わらわは陰から操ってみせよう。楓、そなたには天贖の見張り役を続けてもらうぞ」

「かしこまりました」

「楓、そなたは良い側近じゃ。女衆としての力が弱過ぎる故、そなたの意識をわらわは読めぬが、信頼しておるぞ」

「はい……今後ともよろしくお願いいたします」


 楓の表情は暗く、感情は隠れて見えなかった。





 また、容の目の前が一面真っ白になる。意識が天井から一気に地面へと戻るように感じられた。頭痛がする。それで自分が戻って来たことを知る。


 目を開けると、畳の上でうつ伏せに倒れていたことに気がついた。頭を押さえながら、容は身体を起こし、正面を見た。


「何で、こんなものを、見せたんですか」


 天贖は、辛い少年時代を送っていた。綾乃は常に天贖を蔑み、いい子と褒めちぎって混乱させては、その心が揺れてねじ曲がるのをずっと待っていた。天贖は義母を憎み、だが憎み切れもせず、苦しい思いをしていたに違いない。


「貴女にとって、天贖様にとって、どちらにとっても良い記憶とは思えません」

「ふふ、天贖を哀れに思うじゃろう。わらわに恐怖を覚えるじゃろう」


 綾乃は陶酔とも歓喜ともいえる表情をして、くすくすと笑い続けた。


「わらわへ恐怖を覚えているのは女衆全員じゃ。だがな、容、そなたがどう思うかは別に何でもよいのじゃ。そうだな……天贖を哀れに思い、心を一身に傾けて、深くわかり合い、そなたが手を離せば天贖が破滅するくらいの、それこそ儚い夢のように満ち足りた濃密な愛情を育むがよいわ」


 綾乃は立ち上がり、大広間から奥へ続く襖を開けた。


「わらわは天贖の義母じゃ。そなたにとってもな。義母(ぎぼ)と書き、同じくわらわのことはお義母様(おかあさま)と呼べ、容。天贖のことが知りたくなったら、また参るがよい」


 襖を閉め、綾乃が立ち去る。


 その瞬間、容は広間の外にいるだろう天贖の元へ行くべく、頭痛も忘れて駆け出した。天贖は容が広間から出てくると立ち上がり、心配そうに問いかけた。


「容、どうした――」


 容は何も言わず、ただ天贖を強く抱きしめた。


 ――離さない。貴方だけは、何があっても。


「母上に何か言われたのか。お前が辛い思いをしたのなら、そう言え。母上は俺がお諫めしよう」

「いい。そんなことしないで大丈夫です」

「しかし……」

「お義母様に天贖様の女性遍歴を聞いたんです」


 正確には綾乃と天贖の残酷な記憶だったが、それを言うのは憚れた。


「……っ」


 天贖は気まずそうに黙り込んでしまった。


「すまない。きっと、あまり良い話ではなかっただろう」

「そうですね。あまり良い話ではなかったです」


 吐息で笑うと、天贖は面食らったような顔をした。


「なぜ笑う?」

「良い話がひとつもなかったから、きっと、私が初めて、良い話になれるって思ったんですよ」

「――ああ。そうだな」


 天贖の綻んだ顔から、今きっと、彼の苦しみの一端を抱きしめられたと思った。


 天贖は容の髪を優しく梳いて、撫でてくれた。


「午後4時だ。7時から儀式だから、まだ間に合うな。俺の部屋で茶でも飲むか?」

「いえ。大浴場に入ってきます。あと、楓さんに手伝ってもらって衣裳着てきます」


 天贖が屈んで容の顔を覗き込む。睫毛の一本一本まで見えそうな位置に、天贖の凛々しい顔がある。胸の動悸を抑えて見つめ続けると、天贖が容の額に自らの額を合わせた。


「次に会えるのは儀式か。容、俺の花嫁となったお前に、早く会いたい」


 容は膨らむ想いで胸が苦しく、喉が詰まって何も言えなかった。代わりにもう一度きつく天贖を抱きしめると、彼は満足そうに顔を容の肩に埋めた。

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