42. 部屋と着物
楓が案内してくれた容の新しい部屋は、今の居室とは比べものにならないくらいに広かった。洗面所、手洗い、内風呂、化粧部屋、収納、全てが揃っている。天贖の部屋をそのまま小さくしたような部屋だ。
「こ、こんな贅沢な部屋……」
「広過ぎるとお考えでしたら、天贖様と同じ居室で暮らしていただいても構いませんが。一応、部屋は必要かと。代々の奥方様がお使いになっていた部屋ですわ」
「いや、あのフェロモン男と始終一緒だと私は窒息死しますから、この部屋に住まわせてください……」
「うまく惚気られてしまいましたわ」
楓はそう笑うと、ふいに気がついたことがあるようで、あ、と声を上げた。
「容様、今後、お召し物はこちらになさってください」
楓は先に運んでおいたのか、部屋の隅に積まれている服を取って来た。容の前に広げて見せる。天贖や男衆が着ているような袴と、着物があった。
「今後、男衆と稽古されることもあるかもしれませんので、袴は一応持っていた方がよろしいかと。屋敷の中では着物でお過ごしください」
「楓さん」
「はい」
「気になってたんですけど、天贖様達はいつも袴姿ですよね。着物じゃないんですか?」
屋敷に住まう格好として、現代では男でも着物が主流だろう。袴を常に着ているのは珍しい。
「いつも袴なのは、容様もご存じの通り、狂化の対処や敵との遭遇に備えてのことです」
狂化の件は納得できるが、HEOについてはそれほど昔から天贖と関わりがあったのかと驚く。
「もちろん、山王司家の伝統でもあったそうですよ」
「じゃあ私も袴にします?」
「容様は、奥方様ですから、袴というのも、何となく色気がないと申しますか、雰囲気が出ないというか……ですから、着物は私の趣味といえば趣味なのですが、着物にしてくださいませ! お色はなるべく容様に似合いそうな中性的なものにしたいですわね」
楓は非常に嬉しそうに瞳を輝かせている。容のために一生懸命になってくれて、感謝したいと思う。それとも誰かを着飾ることが好きなのだろうか。
「着替えるの面倒ですし、私は袴でも」
「容様!」
「は、はい!」
「お願いでございます! 天贖様もお喜びになられますわ」
「そ、そうかな」
「ええ、きっと何もおっしゃらずとも、内心では容様のそのお姿に、よりお心を寄せられるでしょう」
手間を抜きに考えれば別に着物でも袴でもどちらでもいいのだし、天贖が喜ぶというなら少し努力して着ていてもいいかもしれない。
「楓さんがそう言うなら」
「では早速着ましょう!」
居間から移動して、襖の向こうの化粧部屋に行く。容は今着ているワンピースを脱いで部屋の隅に畳んで置いた。楓が薄い布を持ってきて、容の前に広げる。
「最初に肌着と裾除け。これをお召しになったら、次に長襦袢をお着せしますね。ご自身で着替えられるようになられるまで、私が毎朝お世話させていただきます。そうですね……ご朝食はご家族だけですので、寝衣のまま召し上がって、その後、きちんと私が着物をお着せするのはどうでしょう」
楓はそう言いながら、慣れた手つきで、よくわからない紐を幾重にも巻いた。白百合色の着物を羽織った後も、微調整を繰り返し、手際よく着つけていく。幾重にも巻かれて、身体が硬くなっていくようだ。
最後に帯を締め、楓が姿見の前まで容を連れてきた。七五三か成人式でしか着たことのない着物だったが、背筋が伸びるし、重いことを除けば過ごしやすい。既婚者用の着物らしく派手ではないが、蝶や花の模様が可愛らしく、帯は薄金で気品ある色柄だ。
「昼は暑いかもしれません」
「それでしたら、夏の間は浴衣でも結構ですよ。朝の気温とその日のご用事で決めましょう」
ふと、廊下の先で足音が止まるのが聞こえた。
「容?」
襖を開けて確かめると、居間の障子の向こうに天贖の影が見えた。
「どうぞー」
容が気の抜けた返事をすると、天贖が障子を開けて入ってきた。容は楓と一緒に居間に移動する。
「この部屋が気に入るか、少し気になったからな。――容、着物にしたのか」
「可愛いでしょう」
得意げにくるりとその場で回ると、天贖がじっと見つめているのがわかった。
「ああ、可愛い」
甘く低い声と、陶酔した表情の天贖に、容は顔が熱くなって俯いた。隣にいた楓が何度も頷く。
「ええ、お可愛いですよね。容様には何でも似合ってしまいますわ」
「ああ、容は可愛い」
「可愛い」の対象が微妙にずれていそうな2人だが、互いに頷き合っている。ますます頭に熱が籠るが、容は顔を上げて天贖を精一杯に睨んだ。
「容?」
困惑している天贖の背中を押し、障子の外へと押し出す。
「じろじろ見るのは禁止です!」
天贖は小さく容の名前を呼ぶが、容が譲らないとわかると、大きく笑いながら出て行った。
「天贖様が眩し過ぎる。なんだあのうっとりとした顔」
「あんな天贖様、私、初めて見ましたわ」
楓はそう言って笑うと、たすき掛けし、気合を入れた。
「さあ、いつも綺麗にしているとはいえ普段使っていなかった部屋です。掃除させていただきます」
「私がやりますよ」
「でも」
持って来た掃除機を抱え、楓は途方にくれたような顔をした。
「私、仕事ないのも寂しいですから。私の部屋と、天贖様の部屋くらいは、私が掃除しますよ。ちなみに太智の部屋はそろそろ自分で掃除させようと思ってます」
天贖が小さかった頃とは違い、今は男も家事をする時代だ。太智に良いお嫁さんをいただくためには、太智にも家事は覚えさせたい。結婚できなければ、それはそれで自分で生きていく術を身に付けられたということだからいいだろう。
「さようですか。確かに、太智さんはそろそろご自身のことを色々できるようになった方がよろしいですね。でも天贖様や容様のお部屋はいかがいたしましょう……」
「とりあえず毎日私が綺麗にしておきます。でも、私じゃ掃除しきれないところは、週1くらいで誰かにやってもらってもいいですか? その、やっぱりプロには敵わないというか」
「わかりましたわ。そういたしましょう。でも今日だけは私もお手伝いいたします」
「ありがとうございます。じゃあ、お掃除前に掛け声を」
着物の袖を上げて、二の腕まで出す。
「何でしょう?」
「はい、手を出して」
得心したのか楓も腕を出した。
「「えいえい、おー!」」
容と楓は手を掲げ、笑い合った。




