41. お披露目
翌日の朝から女衆は屋敷に戻り、通常通りの仕事を始めた。お陰で朝食はまたバランスのとれた質のいい食事となった。今朝も和食だ。依二島は山も海も近く、食材はいつも新鮮で、シンプルな焼き物も非常に美味しい。
右斜め前に天贖、向かいに太智と、決まった配置でしばらく膳を囲んでいた。
障子を開け放しているので、朝の陽光が差し込み、畳に四角い光の枠ができていた。澄んだ空気が流れ込み、真新しいそれが胸の中に広がる。
太智に言わねばならないことがあるが、それは天贖に任せることにした。いつ言うんだろうなと呑気でいると、天贖が箸を止めた。
「太智、お前に言わなければならないことがある」
食べ盛りの太智は美味しそうに魚を頬張っていたが、食べるのを行儀よく止め、天贖の方向を向いた。
「何ですか。天贖様」
「容は俺の嫁になる」
「……?」
太智は理解が及ばなかったか、黙ったまま固まってしまった。
「よめ」
「そう、嫁だ。伴侶と、夫婦という意味だな」
太智は向かい合って座っている容を見て、わからないという顔をした。
「容、どういう意味?」
「私と天贖様、結婚するんだ」
苦笑いしながら容が言うと、今度こそ太智は得心したようで驚きに目を見開いた。
「ええー!!」
太智にこんな大声が出せたのかと容の方が驚いた。
「太智には一番に伝えなければならないと思っていた。驚いてしまったか?」
「……」
太智は呆然自失状態だ。
「あの、御家長。太智さんの声が聞こえました。いかがなさいましたか」
女衆数人が縁側から声をかけてきた。今は女衆も食事の時間だ。容は自分達の話が食事の邪魔になってしまったかと思い、心の中で恐縮する。
「大丈夫だが、お前達にも伝えることがある。入っていいぞ」
「は、はい。では失礼いたします」
「少し狭いが周囲にいる女衆も呼べ。あと、すまないが男衆を呼んできてくれ」
これは大事になったと容は身を縮ませた。小声で太智に呼びかける。
「私、天贖様の籍に入るから。あと、色々あって、私も太智の親になっちゃうんだよね」
「容、お前、ここに来て2週間とちょっとだろ!?」
太智はまだ衝撃が治まらないようで、目を見開いていた。
「人生急ぎ過ぎ?」
「天贖様は強いし優しいし、他にはいない良い男だ! 多分容は急いだ方がいいぜ」
「じゃあ太智もオッケー?」
「オッケーっていうか、ええー!」
太智がまだ驚いていると、女衆と楓、男衆がぞろぞろと集まった。男衆は全員いるようだ。40人程度が小広間を囲むようにして集まると、かなり窮屈だった。
「おっはようございまっす。朝から大事な話ですかー?」
義喜が不思議そうにこちらを見ている。
そう、朝っぱらから大変なんです。
天贖はそれに軽く頷き、何でもないことのように言い放った。
「容が俺の嫁になる。皆、よろしくな」
一瞬、凍りついたように皆が絶句した。
「どうした。皆、固まって。……ああ、言い方がわかりにくかったか。俺達は結婚し、容は俺の伴侶となる。次の精霊の儀を式とする。1週間後だな」
「皆様、ふつつか者ですがよろしくお願いいたします」
容は膳の前から離れ、正座で前に手をついて頭を下げた。このような大勢の中で座礼する機会が己の人生に訪れようとは、夢にも思わなかった。
顔を上げたところで、女衆の小さな声が聞こえた。
「……はうっ」
若い女衆が次々と腰を抜かして倒れ込む。するとドタドタと音が鳴り、それに驚いて悲鳴があがり、辺りは騒然とした。
「ちょっ、薫さん! 逸子さんまで! ちょっと皆! 担架担架!」
直志が一番先に動き、周りに指示すると、辛うじて無事だった女衆が担架を取りに行く。
「天贖様、後でご説明ください! 必ずですよ! ああ、皆しっかりしなさい!」
直大は女衆の身体を揺らした。直大と直志を先頭に、女衆が担架を持ち、倒れた者を運んでいく。
義喜はその様子を見送り、天贖の横に屈んだ。
「やっぱりこうなっちゃいましたね」
「そうだな」
天贖が苦笑いしてそう返した。
「俺にはわかってました。天贖様は逃れられないって」
義喜は暗い面持ちでそう言うと次には喜色を滲ませた。
「おめでとうございます」
「義喜。――ありがとう」
天贖が万感を込めたように言うと、義喜は容の方も見た。
「容ちゃんもおめでとっ」
「ありがとうございます」
「太智ちゃんもおめでとっ」
「義喜さん、何で俺もおめでとうって言われるんですか」
太智はようやく落ち着いてきたのか、いつもの調子でやりとりしていた。
「いいお母さんができてよかったじゃない」
「お母さんって……! そ、そもそも、俺は天贖様の子供じゃないし、だからお父さんとかお母さんとかじゃないっていうか」
よくわからないが太智が落ち込んでいっている。
「太智、ごめん。そんなにショック受けるとは思わなかった。私、太智の家族にはなれないかな。お姉さんにはなれるかな?」
「毎日夕飯一緒に食べてるだろ! 家族だよ……。おめでとう」
「ありがとう、太智!」
「抱きつくなよ、容!」
照れている様が可愛くて、つい太智の身体を抱きしめ、その肩口にぐりぐりと頭をくっつけてしまう。
「顔がくすぐったい!」
「あはは」
騒がしい中、広間の端に立っていた楓だけは落ち着いていた。こちらにゆっくりと歩を進め、天贖と近くで向かい合い、正座する。
「天贖様。おめでとうございます。お母様からお話は伺っておりましたわ」
「ありがとう、楓」
「容さんなら、きっと、天贖様は幸せになれます。容さん、天贖様をよろしくお願いいたしますわ」
「楓さん、ありがとうございます」
「ただ……」
楓が言いよどんだ。片方の手のひらを頬につけ、考え込むようにする。
「容さんが奥方様となるのですから、もう炊事や掃除などのお手伝いはご遠慮なさってくださいね」
「あ。駄目ですか」
「示しがつきませんから駄目ですわ」
また笑顔の楓から静かな迫力が感じられる。
「私、普段何してたらいいんですか。天贖様」
容は途方に暮れ、天贖に聞いた。太智の面倒が仕事ではなく親の役割となれば、余計に仕事が減る。ただでさえ太智と遊ぶのが楽しく、傍から見ても仕事をしているようには見えない。それに加えて炊事掃除洗濯の手伝いもできなくなると、自分の存在価値を見失いそうだ。
「もう結婚後の話か。本当に容は忙しなくて目が離せないな」
「突然『伴侶にします』とか言ってた天贖様自身を棚上げですか?」
容が目を顰めると、天贖は噴き出すように笑った。
「はは。悪かった。太智がいない時は俺のそばで時折仕事を手伝ってもらおうか」
「こきつかってください」
「お前にそのような無体なことはしない」
天贖は横にいる容に見惚れるようにして、微笑みかけた。
「うわ……。天贖様めろめろじゃないですか」
疲れて帰って来た直志がそう言う。続いて広間に入って来た直大は眉間を痛そうに押さえていた。
「驚いていてそれどころではないのですが、取り急ぎ、おめでとうございます。でも一体、いつの間に、どうしてこうなったんです」
「そうそう。最初は険悪だったじゃないですか! どうして! あ、やっぱり義喜さんが見た夜這いっていうのは嘘じゃなかったの……もがっ」
「直志ちゃん黙ろうね~」
義喜が後ろから直志を羽交い絞めにして口を押さえている。
「義喜。この手の話題でお前が口を堅くするとは露ほども思っていなかったからな。気にする必要はない」
「天贖様~。ありがとうございます~」
義喜は天贖にうまく貶されているのだが、わかっているのだろうか。
「だが義喜、見た物は忘れるべきだな。容の寝起き姿など俺以外には見せ――」
天贖が何を言い出すかわかったところで、容は悲鳴を上げて天贖の口を押さえる。
「照れ屋だな」
「天贖様は堂々とし過ぎです!」
膳の脇にいた直大がそのやりとりを見て、一瞬口を引き結んだ。
「おふたりとも明言は避けていらっしゃるようですが、言っておきます。容さん、貴女が天贖様の妻となられるのは、この島の御家長の後見人となることです。御家長の命の決定権を持つ貴女は、最高権力者と言っていい。お母様を除けばですが」
天贖の命を預かる『後見人』という言葉に、身の引き締まる思いと共に怯えも感じていた。だが、最高権力者とまで称されるとは思っていなかった。
余りの恐ろしさに青ざめていると、天贖が容の手を握って顔を覗き込んだ。
「狂化した時はよろしく頼む」
「洒落になってないです! 天贖様の馬鹿ー!」
楓が立ち上がり、手を前に出しぱんと大きく叩く。
「さあ、皆さん黙って! 容様、お食事が済みましたら天贖様の隣の居室へお引越しいたしますよ!」
「様って、それはちょっと」
「それくらいは受け入れてくださいませ。大丈夫です。呼び名が変わっても、私が容様を親しく思っていることは変わりません」
「私も、楓さんがとても好きですよ」
優しくて前向きで、時折可愛らしい楓が好きだ。それを伝えたくて容が笑んで言うと、楓は額に手をかざしてふらついた。
「……っ。そのような笑顔で。思わず惚れ惚れとしてしまいますわ……。これが天贖様を落とした技なのですね。勉強になります」
「楓ちゃん。やっぱりちょっと動揺してるでしょっ?」
「義喜さん、余計なことはおっしゃらなくていいんです」
楓が毅然な態度で義喜を制した。何だか今までより仲良く見えるのはなぜだろうか。
太智が白米を嬉しそうに食べている。
この笑顔はとても機嫌の良い証拠だし、太智の「おめでとう」は本気だった。太智は容が家族になることが嬉しいのだろう。
容も、口には出さない太智の祝福を幸せに感じた。
「わかった。皆、解散だ。全員食事が途中だろう。戻れ。呼びつけてすまなかったな」
天贖の一声で楓と男衆は頷き、また口々に祝いの言葉を言いながら、戻って行った。




