40. 後見人
天贖が前を、容がその後ろを歩く。今夜は女衆全員が暇を出されているため、廊下は静かだ。2人の足音だけが響く。その中で、容の気持ちは穏やかではなかった。
村の女性に聞き込みをすることはできない。以前聞いた義喜の話では、亡くなった男の話をするのはこの島では禁忌とされているということだった。となると、的を絞るしかない。やはりこの島の家系図を見つけて、誠吾の親戚を調べて事情を聞くのができることだろう。誠吾の親戚について、天贖なら何か知っているだろうか。
「天贖様、私の義兄に親戚っていましたか?」
「親戚か。……いなかったように思う」
天贖の静かに零したその声が、わずかに揺らいでいるように思えた。
「天贖様、誠吾って名前は、事件前は知らなかったんですか?」
「いや……」
その後、天贖は黙ってしまった。容はどうしてだろうと考えを巡らせる。
島の禁忌なのだから天贖としても、聞かれて気分は良くないのかもしれない。
この反応を見て、容は家系図探しを決意した。どう探すかはまた考えなければならない。
犯人探しでできることは、現時点ではまだない。
今は隣にいるこの男のことが大事だ。確認すべきこともある。
胸に手を当てて深呼吸する。
「天贖様、嫁って、聞き違いじゃなければ、お嫁さんのことでしょうか?」
「聞き間違いではない。その通りだ」
冷静な回答に、遮る余地はなかった。
もう少し照れてくれればいいのに、と思う。だが、それだけ固い決意なのかもしれない。容は軽く息を吐いた。
気づけば、天贖が真剣に容を見つめていた。
「島では妻や嫁とは後見人の呼称でもある。知っているだろうが、狂化しないように、または狂化したらすぐ報告するようにするのが後見人だ。悪いが、お前が嫁で後見人になってくれないか? ちなみに、言っていなかったが、直志は直大の後見人だ」
「へ? そ、そうだったんですか! 兄弟じゃ……」
彼らは夫婦なのだろうか。容は呆気にとられてその場で立ち竦んだ。
「結婚していない男の場合、その母や姉妹が後見人となる。通常は男が後見人になることはないが、直志は男衆で次男でもあり、狂化の可能性が低いことから、母上がそのようにされた」
結婚しているのではなかった。しかし驚きだ。直大が直志を溺愛しているわけがやっとわかった。弟であり、後見人なのだ。その愛は非常に濃そうだ。
後見人となることは、天贖の命を預かるということだ。
生殺与奪。恐ろしい言葉に急に鼓膜の奥で心臓の音が大きくなった。
背筋が凍りつく。
樹が狂化した時の、妻で後見人の「殺してください」という叫びを思い出す。
だから天贖こそ、その恐さをわかっている。
天贖がそれでも容に託してくれたことに、応えたい。
「わかりました。でも、天贖様は狂化なんかしないから大丈夫ですよ」
容が決意を込めて言うと、天贖が苦笑いした。
「いえ、そもそも」
容は大きく項垂れた。
「この屋敷で天贖様の嫁とか、女衆に無視されていびられて辛い毎日を送るんだ……嫌だ……」
「嫁になること自体は嫌ではないんだな」
天贖は立ち止まり、容と目を合わせた。安心したような、物柔らかな笑顔だ。
「何で先に私に言ってくれないんですか、天贖様は。しかも凄いいきなり」
「そういえばそうだな。悪かった。あの場で決めたんだ。承諾してくれれば、嬉しいが」
願いと愛情を込めた瞳で見つめられる。天贖から、はっきりとした言葉が欲しいと思った。
「じゃあ、ちゃんと言ってください。私を?」
「――嫁にしたい」
「もうちょっとロマンチックに」
「ずっとそばにいてくれ」
「もう一声」
天贖は難題を突き付けられたように黙り込んでしまった。
天贖は容の肩に両手をおいて、そっと引き寄せた。そのまま抱きしめられて天贖の胸に顔を埋める格好になる。すると天贖の体温が熱いこと、彼の鼓動が早いことに気がつく。天贖の緊張が、容に伝わってくる。容も緊張して、次の言葉を待った。
「すぐ男を翻弄するお前が1人では心配だ。俺が面倒を見てやろう。異論は受け付けない」
天贖は台詞を棒読みするようにして早口でそう言った。
「何ですかそれ!」
「はは」
「翻弄とか言いがかりですよ!」
天贖は不敵に笑んだ。
「そう言うならフェロモン男などという言葉は二度と口にしないことだな」
「天贖様は意外と執念深いですね」
「ああ。やっとわかったか。お前への執着も並ではないぞ」
天贖はふと甘さの含んだ声で囁いて、容の瞳を覗いた。お互いに目を瞑り、唇を合わせる。
「ん……」
天贖の口づけは、いつも容を酔わせる。
「舌を出せるか」
密やかな問いかけが、柔らかく耳に響く。容は言われるままに舌を出すと、天贖に優しく噛まれた。それから舌で絡みつくようにして包み込まれる。上顎を撫でられる。――ふわふわとする。気持ちが良い。
ちゅ、と小さく音を立てて名残惜しげに天贖の唇が離れた。
「お前が好きだ。どうか、生涯離れないで欲しい」
「合格」
容の判定に、天贖がおかしそうに肩を揺らす。
「はは、お前といると飽きないな」
「いい意味で?」
「もちろんだ」
「ふふ」
容は喜びを伝えるように笑うと、天贖も同じように笑った。離れがたさに抱きしめ合い、同じ想いを共有して、長い間そのままでいた。




