39. 非常事態
東棟の大広間では綾乃が上座にゆったりと座って待っていた。相変わらず襖に描かれた絵も、床の間に立つ柱も、どれもが華麗だ。綾乃の豪華絢爛な着物と打掛に似合う部屋だ。
容と天贖は隣り合って綾乃に向かい合っている。天贖は綾乃と顔を合わせた途端無表情になってしまった。これまで受けて来た仕打ちがそうさせるのだろうか。
「久しぶりじゃの。容や。この屋敷の居心地はいかがか?」
「はい。お久しぶりです。こちらのお屋敷では、皆様よくしてくださって、とても過ごしやすいです」
「ふふ。容ならすぐに馴染むだろうとわらわにはわかっておったぞ」
綾乃は機嫌が良さそうに喉で笑い声を転がしながら、開いた扇子を口に当てた。
「天贖」
「はい」
天贖の声音は硬かった。初めてこの屋敷に来た時はわからなかったが、あの時天贖が無愛想で容の癇に障ったのは、綾乃の前だったことも大きかったのだろう。
「呼ばれた意味はわかっておろうの?」
「はい。容の力のことですね」
「話が早い。楓に聞いた。容、そなた、ずっと頭痛がしておったじゃろう?」
なぜわかるのかと思うが、それも楓から聞いたのだろうか。隠すこともないので、容は頷く。
「はい」
「島の女は、10代から20代の半ばにかけて、力が発現する。その際に頭痛が起きるのじゃ。また、力を行使する時も、頭痛と――そうじゃな、身体の痛みがある。何せ己を通じ精霊を天贖に降ろすのじゃ。生半可な痛みではない。1人では耐えられぬ。いや、1人ではできない技じゃ。のう、天贖や?」
綾乃はなぜか楽しそうに天贖へ話を振った。
「容、精霊を降ろす技は、女衆が30人は必要だ。女衆は女同士で意識を共有する術を持っており、それを共感と言うが、それによって唄を合わせ、精霊を降ろすのだ」
「さようじゃ。古き時代より精霊と通ずる者は、脱魂と憑依の技を得ておった。だが、それは本来同時にできることではない。それを共に叶えるために、山王司家は、脱魂――自らの魂を身体から離させ、精霊を連れてくる役目を女に、憑依――精霊を身に宿す役目を男に振り分けたのじゃ」
綾乃は顎を上げて容を見下ろした。
「精霊を降ろすのは器のある男にしかできぬ。器が小さいと精霊の力が暴走してしまうのでな。天贖は憑依状態の折、姿形が変わっておったじゃろう? あれを己の意識と記憶を保ちながら行うのは山王司家の正統なる後継者に与えられた天性の才能と己の人生で培った不屈の精神がなせる技じゃ」
初めて聞くことばかりで容は信じていいかどうか迷っていたが、実際に自分の身体に起きたことだ。
「そうなんですね。でも私が1人で精霊を降ろせたのはなぜでしょうか」
「そこじゃ。わらわもそこに興味がある。容、精霊を呼び出した折のこと、詳しく話せ」
「は、はい。えっとですね、まず、繋がりました。頭痛がして、『繋がった』ってわかったんです」
「遠くの女衆と繋がったのか?」
「いえ、私が繋がったのは生きている人じゃありませんでした。過去に亡くなった、精霊……塊みたいな女性達の意識です」
「――過去の女衆の精霊と繋がるとは予想外じゃ。ふふ、はは、ふははは」
綾乃は抑えきれない歓びを中に巡らせているように、両腕で自らを抱きしめ、大きく笑って身体を揺らした。
逆に天贖はさっと緊張を身体に巡らせ、黙り込んだのが容にはわかった。
「わかったぞ。そなたは過去の女衆の力を借りるか奪うかして1人で精霊を呼び出したのじゃ」
確かに、精霊を呼んだときに『よこせ』と念じた気がする。あの時、赤々と燃えるような心を感じていた。
「私は無意識に『よこせ』と念じて、それから、無意識によくわからない言葉を話して、精霊を呼び出したみたいです」
容は不安げに膝の上で手を握った。
「古くからシャーマンとは無意識に繋がるもの。山王司家はそれから大きく離れたが、本質は変わらぬものよ。そなたは深奥に触れ、無意識に言葉を紡いだのじゃ」
綾乃は音を立てて扇子を閉じた。周りに人の気配のない広間に響くそれに、緊張を誘われる。
「容、わらわがそなたを男衆の一員としたのはなぜかわかるか?」
「いえ……」
「そなたは、男の器としての力もある。意識を保つのは難しいやもしれぬが、憑依により体に変化を起こすことはできるじゃろう。更には元から女の力も得ておる。その結果、何が起きるかわかるか? 精霊を降ろせば、男のように姿形が変わり、女のように脱魂した状態で、精霊の意識を得る――身も心も精霊が生きていた頃の姿となるやもしれぬ。さて、なぜそなたがこの島特有の力をふたつも持っておるのじゃろうな? のう、天贖や?」
「……」
天贖は黙り込んで綾乃を睨み続けている。
「何でですか?」
容が問うても、天贖は頭を振るだけだった。
「天贖はだんまりか。この頑固者めが。ふふ、まあよい。容、天贖の宿す者としての力は計り知れぬほどじゃ。その天贖に影響を受けたのやもしれぬの」
「母上は、おわかりだったのですね」
天贖は全てを得心し、諦めを込めたように、綾乃を静かに見据えた。
「予感がしたのじゃ。わらわの勘はよく当たる。容や、そなたは面白い。そなたなら、いつでもわらわの部屋に参ってもよいぞ」
「……容を1人では来させません」
「何じゃと?」
綾乃が怪訝そうに天贖に問いかけた。
「容は俺が守ります」
天贖は隣にいる容と目を合わす。その後、揺るぎない視線で綾乃を見た。
「――母上。俺は容を次の精霊の儀で伴侶とします」
「へ?」
容は文脈を全く無視したその言葉に、一瞬自分の聞き違いかと思った。
「はんりょ」って何? 「はいりょ(配慮)」の間違いか?
わかっているからこそ理解が及ばないのかもしれない。とりあえず発言の元である天贖の涼しい顔を見つめる。絢爛な部屋に負けていないほど天贖は堂々たる様子だ。
「ふ、天贖や。わらわから容を守ると?」
「俺は誰からも、どの存在からも、容を守ります。そのために、伴侶とします」
天贖の真剣な様子に、容はこれが現実で非常事態であることを遅れて理解した。慌てて動いて座布団に転げる。
「えっ、はぁ!? 天贖様、何言って……!」
「天贖。そなたがそう言いだすのも時間の問題だと思っておったわ――わらわも望んでおった。なぜかわかるか?」
「……」
天贖は顔色も変えず、綾乃から目を逸らさなかった。まるで、わかっている、とでも言っているようだった。
「ふふ。よかろう。おぬしは一生嫁を娶らぬと思うておった。めでたいことよ」
「――では」
天贖が容の両肩を掴み、ゆっくりと立ち上がらせる。
「天贖、聞いたことがあるか? 精霊を宿す者と呼び出す者が深い繋がりを持てば持つだけ、力も強大となることを。古くから山王司の家長が何人もの女とまぐわい太い繋がりを得たように、お主達でもそれができるかもしれぬぞ? いずれは山ノ神でも降ろすがよい。ふふ、はは」
綾乃の笑い声を天贖は暗い面持ちで聞いていた。
「ご冗談を。神を降ろそうとして炭と消えた男が500年前にいたと、俺の祖父が酒に酔っておっしゃっていました。浄化の作用により狂化を抑制するそうですね。母上、貴女のことも。しかし、人間の身体に神が憑依することなどありません。器は壊れ、神はすぐに還ります。そもそも――呼び出せません。人間1人1人はそこまでの存在ではありません」
「まあ、同感じゃの。だが覚えておけ。容の力が増すことはわらわにとって僥倖じゃ。おぬしの望みとは裏腹にならぬよう、ゆめゆめ気をつけることじゃな」
なぜ、容の力が増すことが良いことなのだろうか。
わからなかったが、綾乃にはずっと聞きたかったことがある。やっと綾乃に会えたのだ。この機会を逃してはいけない。
「『繋がる』とは島の女性と意識を通わせることができるということですよね? 私はまだそれはできないけど、お母様はそれができるということですよね? 私の義兄のこともわかるでしょうか。お母様」
「……」
綾乃は眉を寄せて不機嫌に黙り込んだ。容はその静かな迫力に潰されそうになりながら、懸命に話を続けた。
「義兄が死んだ日の前後、狂化して行方不明になった人はいましたか? 村中の女の人に聞けば、それがわかるんじゃないかと思って」
「それ以上口を開くでない。『男は 帰らぬ 戻らぬ』。それを受け入れるのがこの島の掟じゃ。村の女に聞き込みをしても無駄じゃぞ。容、そなたはわらわを見くびっておるようじゃの?」
綾乃は口の端を少し上げるだけの笑みを浮かべ、袖口でそれを隠した。しかし容に注がれる視線は鋭く、思わず身震いした。容の発現した力のせいで、綾乃は容の意識に入ることもできるだろう。彼女の言うことに逆らうのは危険だ。
「行け。わらわは少し疲れた」
「は、はい……」
容は綾乃の華奢な身体に似合わぬ迫力を感じ、思わず頷いていた。
「行くぞ」
「は、はい、天贖様」




