37. 失恋か?<義喜視点>
楓は容を見舞おうと居室の廊下までやってきたようだったが、太智の様子を慮ったか、そっと翻す。
「楓ちゃん」
「何でございましょうか」
つんけんとした態度でとぼける楓に対して、義喜は苦笑を隠せない。容の部屋まで声が漏れないよう、そこから離れ、廊下の中で少し外れたところに行くと、渋々楓がついてきた。
「仕方がないって。いずれは耳に入ることだって。それに、お母様は多分予想がついてたんだろ? 容ちゃんが太智係なんて理由つけて屋敷に来させた理由のうちのひとつなんだろ?」
「私には、お母様のお考えはわかりませんわ」
あまり否定的な本音を言わない楓だが、義喜の前では感情を露わにしながら正直になることが多かった。恋愛感情を抱かれていないことはわかっていても、楓が素を出してくれるたった1人が自分かと思うと、嬉しいことこの上ない。
「楓ちゃん。忘れないでね。何かあった時に相談すべき人は、絶対に、天贖様か俺達だ。ずっと味方でいるよっ、なーんて照れちゃうなあ」
真剣な話をする時、つい笑いで誤魔化してしまう己に、情けなさを感じる。しかしこれが長年の屋敷育ちで染みついた処世術だった。簡単にそれを変えることは難しい。
「義喜さんは信用できません。いつもヘラヘラと。なんです。私がおかしいのですか。お母様は難しく哀れな方。私にとって良い道が、お母様にとって良い道でなかったら、私はお母様にとって良い道を選ぶしかないのです」
楓は語気を荒げて、義喜を睨む。ヘラヘラ笑う男だと認識されていたのが悲しい。
「楓ちゃんがそうしたいなら、そうすればいい。楓ちゃんがどんな道を選んでも、俺はそれを応援するよ」
「貴方方にとってよろしくない結果になってでもですか!」
激昂する楓を、義喜は宥めるように頷く。笑っていても、怒っていても、しなやかで愛情深い楓が美しいと思う。
「楓ちゃんがちゃんと俺達に相談して、自分自身で考えた時の選択が、そうなってしまうなら、そうなんだろうねえ。――きっと俺は応援するしかないさ。惚れた弱みだ」
直後、義喜は固まった。そろそろと手で己の口を押さえる。
「あっ、……言っちゃった。隠してたのに」
「義喜さん、お気持ちは……」
楓が気の毒そうにするのを義喜は予想していたが、やはり切ない。せめてどうかチャンスを与えて欲しいと思う。
「はいはい、ソッコー振らない! しばらく置いておいて。楓ちゃんは優しい人だ。ちょっとくらいは、情けをかけてよ、頼むからっ」
「そ、そんなに私のこと……」
楓は両手で胸を押さえて、一歩後ずさった。
「義喜さんがヘラヘラと馴れ馴れしいのは」
「楓ちゃんはやっぱり凄いね。言葉のナイフで俺、心が壊れそう~」
「私が好きだから、そうしていたのですか?」
楓は赤い顔をして頬を両手で包み下を向いた。あまりの可愛さに義喜は焦り、考え無しにしゃべり続けた。
「いや、楓ちゃんだからヘラヘラしてるわけじゃなくってさ、俺は誰に対してもそうというか――」
楓は義喜の頬を片手でねじった。かなり力が強く、表情筋が千切れると思った。
「痛えー!」
「そこは肯定してください! もう、知りません!」
楓は力拳を握って義喜に怒る。義喜は楓に縋るように手を伸ばした。
「楓ちゃん~」
「天贖様と容さんにお母様からのご伝言を頼みます」
楓は拗ねたように唇を噛むと、後ろを向き、去って行った。後姿さえ綺麗で、義喜は見惚れながら己の切ない心を宥めた。
16歳でこの屋敷に来て14年、天贖を支えるその横にはいつも楓がいた。お互い、積み上がってきた情がある。
しかし、だからと言って楓に好かれるというわけではない。もう少し、もう少し後なら好かれるかも――そう思って14年だ。
自分は、そろそろ、恋心を隠す苦しさが限界まで来てしまっていたのかもしれない。
廊下の角に隠れていた直大と直志が姿を現す。もちろん、義喜には彼らがそこにいるとわかっていた。
「馬鹿じゃないの。勢いで言っちゃうなんて、楓さんに対しては慎重にいかないとって言ってた義喜さんはどこ行ったのさ」
「直志ちゃん~」
「全くです。この阿呆が」
「直大くんまで~」
義喜は情けない顔で2人を見た。
「だって、もう抑えきれなかったんだよ~。でも楓ちゃん、誰かが自分を好きなのって、少し、元気出ない?」
「気持ち悪っ、って思う人が大半じゃない?」
「直志ちゃんも言葉のナイフの寸法長いね!?」
義喜は悲壮感も露わな顔で直志に詰め寄った。どうも直志は若さのせいか歯に衣着せぬ物言いが凶器のように鋭いのだ。フェロモン男と呼ばれた天贖が皆の意見を聞いた時にも、直志の言葉で天贖が深く傷ついていたことは、あの時、皆よくわかっていた。
「ほら、直志、義喜さん。太智が落ち着いたようです。見舞いに行きましょう」
「はーい」
直志が返事をしたので、傷心の義喜も小さく返事をしてとぼとぼと歩いて行った。




