35. 突然の告白
波にたゆたうように、ゆったりと、身体が揺れている。心地良い温かさを感じている。掴んでいないと温かさが去ってしまう――待って。
「待って……、置いて、行かないでよ……」
心中した両親のように、結と誠吾のように――浚地のように、離れないで欲しい。
「置いてなど行かない。お前が奪われたものを取り戻すことができるまで、共にいる」
「……天贖様?」
覚えのある声に段々と目覚め、声の主を呼んだ。
「ああ」
段々意識がはっきりとしてくると、胡坐をかいた天贖の上に抱かれ、寝かされていることに気づいた。今いるのは多分中棟の大広間だ。この巨大な広間の中、自分達はぽつんと真ん中にいる。
「え、何で、す、すいませ――」
「気を失ったお前を俺が運んでいる途中に、力が入らないくせにお前が首にいきなり抱きついてきて、バランスを崩した」
それで容を横抱きにしたまま座っていたのか。置いて行かないで欲しいと願う余り、目の前の存在に縋ってしまった。
「布団まで遠い。しばらくこうしていろ。俺が抱きとめておいてやる」
小さな子供が甘えているような格好で情けない。しかし身体に力が入らず、動けない。
「すいません。じゃあ……ちょっとだけ」
「ああ」
身体の力を抜くと、天贖の首筋に頭を埋めるような格好になり、途端に楽になった。呼吸が穏やかになり、疲れが取れていく。
精霊を呼び出すのにはかなりの体力を要したのだろう。それでも天贖に抱かれ休んでいたから、少しは回復していたのではないだろうか。
視界は広く、障子の向こうが遠く感じられる。広間には一段高い上座が奥にあり、何かあればそこに天贖がつくのだと予想がついた。
「天贖様、腕は大丈夫ですか? 精霊を降ろしたら治ったように見えました。あ、でも、他に怪我とか……」
「腕の傷だけは精霊が治してくれたらしい。他の傷は放っておかれたがな。火の精霊を降ろすのは初めてで体力を消耗したが、俺は丈夫な男だ。容、心配するなら、自分のことを心配しろ」
優しく諭されるように言われて、容はこの温かさは身体だけで感じているものではないと気づいた。
「浚地は、もう、いなくなってしまったんですね」
「そのようだ。お前の家に帰っているのではないか。また改めて攻め込むつもりだろうが、来なければそれが一番いい。命のやりとりは御免被りたいからな」
浚地が容より仲間を選び、とうとう、これまで培ってきた友情を捨てた。涙が零れそうになるのを、やっとのことで堪えた。その己の情けなさにも泣きそうだ。
「容。浚地達がいなくても、お前には、俺がいる」
「え……?」
「俺がそばにいることを、お前が許してくれるなら。片割れとなって、そばにいよう」
天贖の顔は真剣だった。そばにいてあげようと言っているのとは逆で、まるで、そばにいさせて欲しいと請うているようだった。
「何で、そこまでしてくれるんですか」
「それは……太智の世話係だからだ。いや……お前が大切だからだ。いや……島民も大切だ」
「わかりました。私が大切なんですね? ついでに、照れてるんですね?」
そっぽを向いた天贖を覗き込もうとすると、さらに顔を逸らされた。
「お前ははっきりとものを言い過ぎだ」
「天贖様も大概ですよ」
そう笑ってから、容は表情を重くした。
「それは……恋愛という意味で?」
天贖には惹かれている自覚はあるし、嫌ではない。だが、容にとってはそれ以前の問題だ。
「もし、恋愛という意味なら、それは苦しみでしかないです。欲しがると、相手は身を切って与えなくちゃいけない。お互いがお互いを削り合って、最後は苦しみながら、自分も周りも不幸にするものと……どうしても考えてしまいます」
両親の不和が苦しみだったからか、結が亡くなって消沈した誠吾を見るのが辛かったからか。容は恋愛から逃避している。
「俺は、俺がこれから生きていくために、お前が必要だ。お前を大切にし、お前に大切とされたい」
「大切にし、大切にされる……」
容が少し顔を上げると、覗き込む天贖と目が合った。
「お前が自動人形というものなら、自らの心臓を見失っていよう。俺の鼓動を分けてやる。そうして、お前の家族よりも、義兄よりも、浚地よりも、大切にしよう」
天贖の優しい誓いが、容をたじろがせた。
「それに、お前はもう俺を大切にしてくれている。俺の冷たさを受け止め、俺の孤独をやわらげ、俺を叱咤し、俺を命がけで助けてくれた。……ここまでされて、お前を大切にしない人間はいるか?」
「私は、貴方が心から離れなくて、辛いです」
そうだ。ずっと天贖が容の心の中を占めていた。
自動人形としての過去の経験がまるで役に立たなかった。初めてのことばかりで、心を騒がせることばかりで、まるでいつも生身を引きずり出されているようだった。
「それは、恋愛という意味で?」
「だから、今のうちに、太智を育てる運命共同体で、恋愛関係ではない島を共に守る同志になりたい」
今のうちに――などと、恋愛を忌避しながら、それに溺れそうな言い方ではないか。このような滅茶苦茶な願いなど、天贖が受け入れるはずがない。
「恋愛そのものをすっ飛ばして大事な人になってくださいって言ってるんです。滅茶苦茶言ってる自覚はあります」
「そうだな。容、お前は俺の運命共同体で、同志で、誰よりも大切な人だ。だが、『今のうちに』? 難しいな」
天贖は意地悪そうに口の端を上げた後、いつかの台詞をあの時の容と同じように笑って言った。
「『残念でした』」
容はこう意趣返しされるとは思っておらず、呆れた。
「俺の方は、もう、手遅れだ。お前の可憐さに、強さに、もう俺は落ちている」
笑みの中に真剣さを隠すようにして天贖はそう言った。
「手遅れって」
思わず赤面してしまいそうだった。天贖がこれほど情熱的だったとは初めて知った。
「――キスをしても?」
しかし、どう答えたらいいか迷っていると、思考がそのまま口をついて出た。
「う、え、えっと、えっと、まぁいいですよ――わっ」
天贖に至近距離から見つめられ、心臓が跳ねた。
しばし見つめ合う。天贖の本気から逃げないと、今度こそ容は決めた。
天贖が、恐る恐る、容の唇に唇で触れた。しっかりと互いの唇を合わせ、刻みこむようなキスを何度も繰り返す。
精霊を呼び出したために、まだ重みを感じる自分の頭を、精一杯、天贖の元へと持ち上げる。
逃げないと決めた自分がどうなってしまうかわからず、恐いと感じた。
だが、結局、容は身体の感覚に任せることにした。それが一番、嘘がない。
天贖とのキスには嫌悪感が全くなく、むしろ幸福感に満たされている。今までこのような熱情を抱いたことがなかった。
「大切にする。キスくらいは甘んじて受けろ」
「んん」
「口は開けない。合わせるだけだ。安心しろ」
「ん……」
いつの間にか流され、むしろ喜んで受け入れているかのように、容は素直にキスに応じた。ひとつひとつに天贖の想いがこもっている。瞳を見つめ合って真摯に愛するような、そっと優しく大事にするような、胸の震えるキスだった。あまりにも幸せな、気持ちの良い行為に、容は正体のわからない気持ちに感極まって、泣きそうになった。
「酷い。心から貴方が離れなくて辛いって言ったのに」
「あれは殺し文句だったな」
天贖はちゅっ、と音を立てて軽くキスをした。
「1人で抱えようとするからより辛いんだ。――分けてくれ。運命共同体で、同志だろう?」
天贖はからかうような、優しく包み込むような、淡い笑みを浮かべた。その凛々しく真っすぐな眉と、柔く細められながらも揺るぎない双眸と、高く美麗に形の整った鼻梁、そして弓幹のように勇ましげな唇、身体の線と力強さ――それらは容が出会ってきたどの男よりも美丈夫だと言っていいほどに見惚れてしまうものだ。要するに天贖の顔貌に、身体つきに、魅力を感じずにはいられない。自分がかなり面食いだったことに気がついて、己のことなのに思わず呆れた。
それから容はほくそ笑んで、天贖を見上げた。
「じゃあ、天贖様も辛くなっちゃえばいいです」
「ああ、もう辛い。安心しろ」
「安心しろって言って黙らせるつもりですか?」
「ばれていたか」
天贖が言う冗談は、本人にあまり似合っていない。だがその似合わなさも愛すべきところだと感じた。
容は目の前の男が自分のものだと思うと陶酔してしまい、妖艶に笑んだ。
「口、開けて。天贖様」
半ば勢いで言った。止められなかった。
容の言葉に、天贖は仰天して声を失った。
「お、前……。舌の根の乾かぬ内から」
「乾かないように濡らしてください」
「この……、憎らしい!」
天贖は言葉とは裏腹に笑顔を浮かべて、今度は深く容と唇を合わせた。
口づけの快さに支配され、抱きしめられたままの身体を更に天贖に密着させた。
――離さない。
もし先に好きだとだけ言われていたら、天贖の気持ちを受け入れるのに時間がかかったかもしれない。しかし彼は、片割れだと、大切だと。自動人形の容に鼓動を分けてくれると――そう言ってくれたのだ。
天贖の心臓は、きっと力強い鼓動を打つだろう。天贖の命と同様に。お互いに身を削らず、命を共有できたら、きっとそれは今まで見たことのなかった夢のように安心で幸せなことだろう。
天贖は目を顰めて呼吸が乱れていた。熱で浮かされたような顔をしている。
「も……、やめ」
容が身じろぐと、天贖は唇を離して囁いた。
「止めるのか?」
「……察してください」
顔が真っ赤になっているだろう。この熱さで予想できてしまう。
「ああ。確かに真っ昼間にお互い興奮状態にはなりたくはないか。義喜達もどこかにいることだしな」
「忘れてました……っと、うわ」
立ち上がった天贖にひざ裏と背中を両腕で支えられ、横抱きにされた。通常なら「私は重いでしょう」と言って遠慮するところかもしれない。しかし怪力の天贖にとっては全く気にならない重さだろう。天贖が本当に羽のように軽いとでも言い出しそうで、口をつぐんだ。
「今度こそお前の部屋まで運ぼう」
「もう、大丈夫ですから」
「皆の目があるとあまりお前に触れられない。今は貴重な時間だ。抱くぐらい大目に見てくれ」
そう請われたら、恥ずかしいが強く言えない。
天贖は容の居室まで連れて行くと、片手で容を持ち上げ、もう片方の手で押入れを開けて布団を敷いた。
天贖は筋肉のついた身体をしているが、この剛力に見合うほどではない。これが異脳の証拠なのかもしれない。
天贖はその布団の上に、容をゆっくりと降ろしてくれた。身体はもう辛くなかったが、天贖が心配しているように見えたので、容は大人しく従って布団に入った。
「ゆっくり休め」
「はい」
「太智を迎えに行ってくる」
「いってらっしゃい」
容は布団の中から手を振った。
「あ、天贖様!」
容が上半身を起こし、声をかけると、縁側にいる天贖が振り返った。太陽の下にいる彼はその光で眩く、1人では身に余る背負うものを背負った上で、それでも輝いていることに、愛おしさと切なさで心が潰れそうに思った。
「これから、毎日、私は貴方の胸の鼓動が聞きたいです。天贖様、貴方が私を大切にすると言ってくれて、本当に――嬉しかった」
天贖の前では自動人形ではいられなかったのだから、前から惹かれていたのだろうと思う。その天贖が、言葉で、態度で、容の頑なで孤独な心を溶かしてくれた。
天贖だからこそ、大切に愛し愛されることを、信じられる。
「私は貴方ほど孤独だけどそれに苛まれず、愛情深い人を知らない」
心拍が早い。想いを伝えることはこれほどに緊張するものなのかを、初めて知った。
天贖は衝撃を受けたように顔を固める。照れているように顔を背けてから、真っ直ぐに容を見て、口を開いた。
「お前に褒められるとは、天にも昇る気持ちだ。恋愛嫌いのお前が俺を受け入れるには勇気の要ったことだったろう。嬉しいのは俺もだ」
天贖はそう言って微笑を浮かべると、また踵を返して行った。




