34. 大技
屋敷の玄関から出て真っ直ぐに行くとある、正門の前に容達は立った。
天贖の横に容は立ち、後方に男衆が立つ。直大は気を張っているようだったが、天贖、義喜、直志はいつも通りに見えた。自らの力にも、仲間の力にも、自負があるのが感じられた。
上部に家紋の飾り彫りのされた歴史の深い正門の前で、天贖が朗々と声を上げる。
「中津。約束通り待っていたぞ」
直大と直志が門のかんぬきを抜き、両扉がゆっくりと開かれていく。重厚なその門の正面に、浚地は、他の4人と共に既に待っていた。仲間の中で無表情な女の涼音がリーダーだろうと思っていたが、中心にいるのは浚地だ。だが容に驚きはない。浚地は自然と人を集め、誰よりも先陣を切る。今回も、その位置に選ばれ、涼音の前にいるのだろう。
「浚地でいいです。容がそう呼んでるだろうし、その方が呼びやすいでしょ?」
「浚地!」
天贖の傍らにいる容が必死に名を呼ぶと、浚地は一瞬怯んだ。
「……容」
「天贖様をどうするつもりなんだ」
「最終的には、俺達についてきてもらうつもり」
「さらう、の間違いじゃないのかよ」
「じゃあはっきり言おう。HEOに来てもらう。でなければ、ここにいる俺の仲間が殺される」
なぜ浚地の仲間が殺されるのかはわからないが、浚地はあらゆる方法を考えたうえで、今ここに立っているはずだ。だが、だからといって容がそれを許すことはあり得ない。
「だからって、人1人の人生を狂わせていいのかよ!」
「容。俺自身が大切なものと、世の中の――世界が大事にするものと、ふたつあったとして、どちらかを選ばないといけないとしたら、どうする? 俺は迷いなく選べる」
浚地は一度深く息をして、堂々と前を向いた。
「世界なんて要らない。天贖さんの命なんて、どうでもいい」
浚地は昂然と言い放った――恐いくらいの、いつも通り過ぎる笑顔で。
その笑顔を見て、容は悟った。悟ってしまった。
今、浚地はやっと己のやるべきことを見つけ、真っ直ぐに狂っていっている。それが、浚地の本来の姿であることを、彼自身が誰よりも知っている。いや、浚地は以前から、変わっていないのだ。ただ本当に大事なものがなかっただけで。
浚地は、血の通った人間ではできないような残酷な判断すら軽々としてしまう。
以前、中学生だった容が帰り道に数人の男子高校生からいじめを受けていた時、浚地は駆けつけて両手を挙げ、2人の男の首を見せしめのように絞めて吊るしたことがあった。天使のような笑みで、高校生1人1人を捕まえて証拠の画像と共にその親に引き渡し、容の目の前で土下座させたほどの情熱など持っていないはずなのに、なぜそうしたのか? 浚地は、容のことについては十二分に用意された笑顔で、恐ろしいことをやってのけるのだ。
だが、ここには涼音達という大事なものを見つけ、容を害することを決心した浚地がいた。
――ここで分かたれた。お互いにもう、いつのまにか、遠くへ来てしまったのだ。
容は慄く身体を呼吸で抑えて、零れそうな涙を強い意志で止めて、天贖を鋭い目線で見つめた。互いに頷き合うと、容は周りに叫んだ。
「義喜さん達、天贖様から離れるんだ!」
言うや否や、義喜、直大、直志は前庭の奥へ避難し、天贖が後ろへ跳躍して屋敷と正門の間の中心に移動した。天贖とは違い、彼らは昨日受けた傷が残っているはずだ。なるべく戦闘に参加させない方がいい。
正門を一歩越えたところに、涼音が立っている。天贖と彼女の視線が引き合う。
法螺貝を待つような間だった。戦いの始まりは、おそらく、浚地だ。
浚地が容の予想通り、仲間に指示する。
「涼音、君が最初だ!」
前を守るのが浚地から涼音に変わり、天贖へと突進する。
速い――が、天贖は構えるだけだ。
涼音はナイフを腰から抜くと、高く跳び、真上から突き立てる。
――天贖はかわせる、と容は思った。
「――っ」
天贖は息を詰めるが、紙一重で避けた。
その隙に背後へ回った浚地が退路を断つように足払いする。
「最低でも2人がかりは予想していたがな……!」
天贖は足を引っかけられるのを避け、片手を地面につける。
容は呼吸を忘れて上を向く。
気づくと、天贖の身体は涼音の上――空にあった。
約5メートルもの高さだった。
涼音が息を呑んで固まっていた。
後方にいる義喜達の前、優二、秀二、清良はそれぞれの前で直立不動の状態のようだった。
「邪魔、させない」
「手を出せば死ぬのはそっちだ。普通の人間には俺達の攻撃は耐えられないよ」
双子の片方の言葉に、歯ぎしりするように義喜の顎が強張った。
本当は目の前の敵を倒し、天贖に加勢したいはずだ。
「3人とも、待って」
「容さん……!」
直大が悲痛な声を上げた。だが、容の中には天贖への煌々と燃える信頼があった。
「天贖様は大丈夫! 信じて!」
天贖は縁側に立て掛けてあった木刀を持ち、それでナイフに応戦した。
「来い!」
「言われなくても行くわよ!」
涼音が振り下ろしたナイフを、天贖は木刀を滑らせるようにして流す。
一瞬の間で、音すらしなかった。
天贖が涼音の目の前にいる。
天贖の木刀が涼音の袈裟に入り、涼音がよろける。
二撃目、わき腹を掠った空気が裂ける。
三撃目の殴打が涼音の腹に深くめり込んだ。
――重い衝撃のように見えた。遅れて爆音が響く。
涼音の身体が屋敷の石垣に吹っ飛んでいた。
重たげに立ち上がった涼音が腕で顔を擦り、言い捨てる。
「この、怪力」
「――存分に味わうがいい」
天贖が涼音目掛けて一直線に走る。顔面を狙い一気に突こうとする。
その速さは目にも止まらない。
「……っ、危ない」
そう言いつつも片足を後ろに引き、危なげなくかわした涼音は、天贖に対しまたナイフを構えようとした。
「甘いぞ!」
天贖が右手から左手に木刀を持ち替える。
真っすぐに涼音の顎目掛けて、右の拳を突き出した。
左手の木刀も同時に薙ぎ払うように肩を狙う。
ふたつの動き。容も認識が遅れる。
「まるで二刀流ね……!」
近い距離での二重攻撃に、涼音は顔を引きつらせる。
だが、反射的に屈み横に跳んで避けきったようだった。
容が認知できなかった攻撃を避けるとは、涼音も人間離れしていると感じた。
刹那、天贖と涼音が睨み合う。
「大した力だ。……お前の名は」
天贖が冷静にそう問う。問われた涼音は口惜しそうに一言だけ零した。
「涼音」
「お前は、何のために戦っている? 組織のためか?」
天贖の発言に涼音は動揺を見せた。両の手のひらを、ほの暗く見つめながら零す。
「私……、私は、殺されないため」
「それでは何も守れない。――俺自身がそうだったがな」
「守るもの。私にも、今ならきっと、あるわ」
涼音が独り言のように静かに呟いた。
「天贖さん、俺も忘れないで!」
浚地が涼音の背後から現れ、天贖の鳩尾目掛けて拳を繰り出す。
天贖が一瞬止まったかと思うと、動きが鈍った。
「――くっ」
浚地と涼音の息が合っている。軽やかな2人の足音が耳に響く。
今度は天贖が防戦一方になる。
天贖は涼音より攻撃が速く、一歩先を行く。
厄介なのは浚地だ。なぜ、あんな人間離れした天贖の動きについていけるのか。
浚地が涼音の肩に手を置く。
「涼音、少しの間だけ1人で耐え切れ」
「わかったわ」
涼音が頷くのを見た天贖が声を張る。
「何が狙いだ!」
「天贖さん! 少しどいて! ――容!」
前蹴りをぎりぎりで天贖が避けるのを見届けると、浚地はその場を走って離れる。
容は屋敷の玄関前に立っていたので正門との間にいる天贖や浚地とは20メートルほど距離があるはずだ。けれども浚地の足は速すぎて、避ける暇がなかった。
一瞬のうちに浚地が近づき、容の首を背後から締めるように掴んだ。段々とその手のひらに力が込められていく。
「容に触れるな! 放せ!」
天贖の顔は歪み、声音は底を這った。
浚地はその叫びに軽くため息を吐く。
「容、大丈夫。本当には殺さないよ」
「何、言って……! ぐっ」
「ぎりぎりのところで止めてあげるから。容が気を失ったら、そのまま連れて行く」
浚地の耳元からの小さな囁きに怖気たつ。
「天贖さん! 容を殺されたくなかったら、今ここで、貴方の両足に涼音のナイフを突き立ててください。――涼音。今できるならそれに越したことはない。天贖さんがやらないなら、君がやれ」
「そうね。さっさと済むならその方がいい。何度も通いたくないわ」
霞む景色の奥には、縁側に追いやられている義喜の顔が怒りに満ちているのが見えた。義喜が目の前の双子の片方を睨んでから、浚地に対し吠えるような大声を出す。
「てめぇ! 何言ってやがる! 天贖様、俺達が……!」
「――駄目だ!」
「何で。天贖様……!」
直志の泣きそうな声を余所に、天贖は容を見たまま目を離さなかった。
彼は大きく身体を後ろへと翻し、涼音のナイフが振り下ろされるのを避ける。涼音の隙をつき、容の元へ走る。
「俺が行く!」
「浚地くらい見逃しなさい」
涼音が勢いよく振り上げたナイフが、容に気を取られていた天贖の左腕を深くえぐった。血が腕を伝い、流れて指先までぼたぼたと落ちていく。地面に水溜まりのように血が集まっていく。
「くっ」
天贖が怯むと、涼音が薄ら笑いで見下ろした。
「弱点はこんな身近にいたわね」
涼音が恍惚とも思える瞳で、その流れる血を見ている。
「非現実的な力を持ってるのに心は超越していない、人間らしいもの。――非現実的かつその脆さ故に現実的な普遍人間。浚地とは逆ね。私とも相性悪そう」
涼音がナイフを手のひらの上で回す。
――駄目だ。皆、こちらへ来ては駄目だ。貴方達のことが露見してしまう。
「3人は動くな……てん、しょう様は、涼音を何とかして。私のことは、大丈夫だから。浚地は私を殺さない……」
容の言葉を、天贖が目を見開いて聞いている。
まるで、時が走るのを忘れたかのように感じた。
気道を締められ息が短くなり、意識が徐々に薄れていく。
ふっと世界が白くなる。誰かの記憶が頭の中を巡っている。既にこの世にはいない、夫を失った女達の連綿と続く記憶だ。
夢で聞いた童謡が、意識の底で生き返るように響いた。
想え想えや 繋げ繋げりゃ
そう、繋げよう。
お前達の力をよこせ。
男は 帰らぬ 戻らぬ
後の唄のことなんか知らない。
私のために繋げろ。
「……大気にたゆたう精霊達。聞いてください――」
激しい頭痛がする。夢と同じく、誰かと繋がっているのかもしれない。
首に絡みつく浚地の手を掴み、力を込めて微かに開く。
「私の声を聞いて。ここに貴方方の代わりに全てを守ろうと戦う男がいるから。貴女方を統べる山ノ神の息子だ」
「容……?」
天贖が容の視界の端で立ち尽くしている。
直志の裏返った声が小さく響く。
「うそ、女衆30人でやる大技だよ……!?」
「どうかこの男の身に宿って。力を貸して。その力を、私は誇るよ」
言葉が意識の奥から自然と出てくる。何かの力に身を委ねている。
「道を開け。繋げる。想いをのせる。……私の声を頼りに、通って!」
容の全身を、裂くような痛みが、その奔流が、通り抜けるのがわかった。
頭痛がどくどくと脈を打つ。四肢の痺れを伴う激痛で目の前が酷く歪む。
容は渾身の力で、声を枯らして、知らしめた。
「さあ――ここにあらせられるは精霊を宿すお方なり!」
天贖は、天に真っ直ぐ右腕を振り上げた。
「容が繋げてくれた力だ! 舞い降りるがいい!」
稲妻が幾重にも重なり、収束して天贖の腕に落ちていく。強烈な光の後、地鳴りのような音がした。地震でも起きたかのような地面のいななきに、土埃が舞い上がり、その中心を隠すように漂う。
「げほっ、ごほっ」
やっと締められていた首が解放され、容は地面に倒れ込んだ。
「容、大丈夫か……」
浚地がすまなそうに容を覗き込んで、首を撫でようとする。
「触るな。それよりも、天贖様がお怒りだよ? 自分達の心配をした方がいい」
稲妻を受けた天贖は、赤色になった長い髪を靡かせていた。土と岩の精霊を降ろした時のように、爪に変化が起き、小さな突起のような角が頭から生えている。
瞑っていた瞳を見開く。――鮮やかな赤だ。
「初めて会うな。火の精霊だ。容と相性がいいのだろう」
天贖はひと跳びで前庭の中心へと戻った。よく見ると、先程深く傷つけられた腕はもう血を流していない。また精霊の力で治ったのだろうか。
天贖が腕を振り、自分の周囲の地面に円を描いた。すると油もないのに炎はとぐろを巻き円状に広がった。
それから彼は足元に転がっていた木刀を手にする。高く挙げられたそれを、瞬く間に炎が包み込む。焦げたような音がして、たちまち炭になって消え去った。
「俺が触れるだけでその者は焼き尽くされるだろう。俺は怒っている……殺したくはないのに殺しそうだ。退け」
「ごめんな、容」
浚地は小さく呟くと、声を張り上げた。
「これ以上は危ない! 退くぞ!」
呆然自失となっていた涼音達が目覚めたように気がつく。後ろ髪を引かれるように天贖を見つめながら、浚地に従ってついて行く。それから門の外へと向かい、走り去って行った。
「よかっ……た。天贖様……」
空を赤く切り開く炎を前にして、痛みのあまり、容の意識は沈んでいった。




