32. 敵陣の様子<浚地視点>
「浚地? ねえ、浚地」
「あ? ああ、悪い。何?」
何度も名前を呼ばれていたようだが、浚地はたった今気がついて、涼音へと顔を向けた。容の家の裏庭で鍛錬していた途中なのに、集中力を欠いてしまった。これから天贖と渡り合うのだから、多少は緊張感を持った方がいいと思うのだが、あまり湧いてこない。
容の家は、家自体もそれなりに大きいのだが、庭の大きさはそれ以上だ。25メートルプールが入りそうなくらいに広い。塀に沿って庭に植えられた小さな向日葵が満開を迎えている。
雨の日以外は、毎日浚地と清良で水やりをしている。清良は末っ子のせいか甘え上手だが、頼まれごとは楽しそうにしっかりとこなしてくれる。涼音は頼まれごとをしっかり断る長女らしからぬ気質だし、双子は思春期ゆえか何でも嫌そうにする。
水やりもそうだが、毎日のように、浚地と涼音は庭で格闘していた。今日は準備運動だけで、浚地も涼音も全く疲れていない。本番のために力を温存しておく必要があり、お互いに手加減していた。
浚地は涼音達と出会った時のことを思い出して、口元だけで笑った。
最初、容の家が無人と思われて涼音達に侵入されてから、それほど経っていない。しかし、浚地は一目見て彼らを気に入ったし、彼らも段々と心を開いてくれて、今日日では仲間同士だと思っている。
浚地としては、これから皆で家族のようになれたらいいと感じていた。特に、一見冷静に見えるのに、不可思議で直情的な涼音は、浚地にとって初めて出会う人種のようで、当初から気に入っていた。今では、愛おしささえ覚える。
4人は遺伝子操作で生まれたと聞いた。親の顔すら知らない彼らは、同じ父の遺伝子を持っているらしく、半分血の繋がった異母姉弟だ。
「空に何かあるの?」
天を仰いでいた浚地が珍しかったのだろう。涼音は一見無表情に見える整った顔をほんの少し綻ばせて、見上げた。今の時期、太陽の光はそのまま直視すると目も開けられないほどに眩しい。雲のないまっさらな快晴がそれを強くしている。
「いや、晴れてるなあって思って」
「なんだ、それだけ」
「うん。それだけだけど、それだけじゃないんだ」
浚地にはわかる。容は、今、耐えるようにして浚地をじっと待っている。幼い頃、暗い夜から連れ出してくれた浚地を、容はまだ信じている。
人に興味の持てない浚地にとって、幼い頃からそばにいて、興味を惹かれる容は大切な存在だった。面倒見が良くいつも真っ直ぐなくせに、時折真っ暗な目をする彼女が、自分と同類のように思えて仕方がなかった。恋人関係ではないが、お互いに支え合える貴重な親友だ。容もきっとそうだろう。
その容を、裏切りたくはなかった。だから――。
「浚地は本当にわかりやすくてわかりにくいよね」
涼音が横を向いて向日葵の花びらを指先で弄ぶ。浚地に向き直った顔は面倒そうに歪んでいた。
「なんだよ、それ」
「絶対、浚地は『浚地君の考えてることがわからないの。優しいのに、私のこと、本気じゃないんじゃないかって……』とか言われて振られるタイプでしょ」
「涼音。君は組織の研究所でテレビばかり見てるからそんな偏った思考になるんだ」
涼音は世間知らずを指摘されたのが癇に触ったのか、眉尻を上げた。
「じゃあ浚地が何考えてるか教えてよ」
「俺にとっては涼音こそびっくり箱だ」
「この一見優男!」
浚地はその言い方が涼音らしいと思って噴き出してしまった。
「一見ってことは本当はそうじゃないってことだよな」
「独善的!」
「あはは、光栄です」
浚地は言い合いもそこそこに切り上げた。笑ってしまうと、涼音が眼光を鋭くして刺すような視線を向けてくる。涼音は怒りを覚えると意固地になるのだ。そこも可愛いと浚地は思っている。
「涼音、行こうよ」
庭の草場に屈んでダンゴムシ捜しをしていた清良がいつの間にかこちらに来ていた。彼女が涼音の袖を引っ張ると、涼音はすぐに止まった。涼音は異母姉妹の妹の清良の言うことについてはよく聞くのだ。
「そうね。そろそろ時間ね」
「「涼音」」
縁側から、優二と秀二が合唱しているかのように同時に涼音を呼んだ。涼音の異母弟である双子の茶色の髪から覗く青い目が、不機嫌そうに顰められている。
「さっさと行こうぜ。この変なところで真面目な奴のおかげで、天贖とのデートが正門待ち合わせになっちゃったんだから、遅れないようにしないと、怒られちまう」
「ああ、ごめんね」
浚地が事もなげにそう言うと、涼音と双子が目を吊り上げて思い切り息を吸い込んだ。
「「「悪いと思ってないだろ!」」」
「三重奏! うまいね!」
「浚地が調査とか無駄だねってすぐ諦めて勝手にアポ取ったの絶対に忘れないからな! 恨むぞ!」
優二の真剣な様子を浚地は笑い飛ばした。
「いいじゃん。今日は誘拐しないというかできないし。まずは視察でしょ? お家デート取りつけちゃうなんて俺頑張ったと思うけど? それよりも涼音達はスピードと判断力と跳躍はいいのに、力が足りな過ぎる。天贖さんと戦う時はちゃんと気をつけろ」
涼音がふと浚地を見上げた。挑戦的な瞳が光を帯びて輝く。
「貴方も怪我しないようにね」
「ありがとう。そうだ、何度も言うけど、容には触れないで。怪我させちゃいけないからね。さあ、行こうか」
――だから、視察のついでに、親友を迎えに行こう。




