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27. 欲していた優しさ

 太智と手を繋いで帰って来た容を見て、誰もが驚いた。楓は炊事場に赤飯を炊くよう指示しようとするし、義喜は太智を高く抱き上げ喜びを表現するし、直大と直志は一緒に手を繋いで輪になり容のトラウマになったあの童謡を歌って歓迎の意を表するし、とにかく騒がしくて楽しい時間だった。


 そのことを伝え聞いた天贖は、夕食の間、始終笑顔だった。さらに太智が友達と遊んだという話を聞いては、よかったと繰り返していた。


 しかし、嬉しいことばかりではいられない。今日、浚地と会った時のことを話さなくてはならない。すぐにどうこうという話ではなかったようだが、早いに越したことはないだろう。


 寝衣で布団に寝転がりながら、天贖にどう話すか考えていた。そのうち、疲労が溜まっていたか、容は眠り込んでしまったらしい。





 また、夢を見ている。

 嫌だ。この唄は嫌だ。


 想え想えや 繋げ繋げりゃ


 ――今日も繋がったな――


 (おのこ)は 帰らぬ 戻らぬ

 山ノ神のいずこにあれど

 詮無きことよ


 ――そう致し方のないこと――


 帰らぬ 戻らぬ

 ならば生かさぬ

 詮無きことよ


 ――生かさないことが救いになることもある――


 ――何を見せてやろうか――





「お母さん」


 血だまりの中。


「お父さん、姉ちゃん」


 転がっている身体を、子供が小さな手で揺する。


「ねえ、動かないの……?」


 子供が血だまりを見つめる。


「母上、皆動いてくれない」

「死んでる。死んじゃってる……!」

「どうして、ねえ、どうして……!」


 血だまりの前にいた女が子供に鬼のような形相をした。


「そなたのせいじゃ。そなたさえいなければ――!」

「苦しい、苦しい……! 首、放して……!」


 子供は首を絞められ苦しそうにしている。


「殺してやろうぞ!」


 横から女の子の声が響いた。


「いけません! お母様! 大事な跡取りでございましょう!」





「天贖様!」


 容は自分の叫び声で飛び起きた。


「――はぁ、は、……」


 気がつくと、布団の上で何もかけずに無造作に寝転がっていた。


 また夢を見た。頭痛が酷い。


 天贖様。そう強く叫び、目が覚めたのを思い出す。


 あの子供は天贖だ。そして天贖を殺そうとした綾乃、それを止めた楓――


 あの夢はなんだ? 容の無意識が作った絵空事なのだろうか。それとも、夢の通り、誰かが容に語りかけ、見せているのか。


 屋敷に来て最初に頭痛がした日に見た結と誠吾の夢は、まるで自分の記憶が溢れるように詳細なものだった。夢の中で感触もあった。だが、先ほどは脳に誰かの記憶が入り込んでくるようで、詳細とはいかず第三者目線で見るような夢だった。今度は、感触はなかった。


 横向きで寝たまま、しばらく痛みに蹲る。


「そうだ。薬」


 上半身を起こし、布団の脇に置いておいたショルダーバッグの中を探る。もしまた頭痛がしたら飲めばいいと楓から貰った薬瓶を見つける。寝室から出て、机にあったコップを傾け、水で1錠飲んだ。


「すぐ効いてくれるといいけど」


 数分待つが、頭痛はまだ消えない。即効性の薬のはずだから、もう少しの辛抱だ。


「流石に、この夢の内容は天贖様には聞けないなあ」


 もし本当だったとしたら、天贖にとっては苦痛以外の何物でもない。そして、容はこの夢が本当にあったことだと半ば確信していた。それだけ、起きてもなお印象の薄れない、現実感のある夢だった。


「少し、治まってきた」


 天贖に話すべきことを思い出し、容は立ち上がった。


 時間は午後10時。まだ起きているだろう。浚地や涼音の話は、天贖が1人の時に話すしかない。天贖の自室は立ち入り禁止だが、声をかけるだけはいいはずだ。本人がよければ扉を開くだろうし、そうでなければそれまでだ。


 まだ少しふらつく身体を引きずり、縁側を通り、屋敷の最奥端にある天贖の部屋まで辿り着いた。ベテランの専属女衆しか掃除で入れないという部屋に行くのは、少し緊張する。


「誰だ」


 声をかける前に天贖に気づかれ、「容です」と小さく返事をした。


「容? どうした」

「天贖様だけに話したいことがあって来ました」

「わかった。入れ」


 あっさりと許可され、驚いてしまう。


 揺らぐ身体を持て余しながら部屋の戸を開けると、座っていた天贖が慌てて立ち上がった。ふらついて、容はその腕の中に倒れ込んだ。


「どうした! 容!」

「大丈夫です。頭痛が、ちょっと。薬、もう少しで効くはずだから」


 天贖は困惑しながらも容を肩にかけ、ゆっくりと共に歩いてくれる。連れられた先は寝室で、容は敷いてあった布団の上に横たわった。背に感じる布団には厚みがあり、身体が沈みそうで沈まない完璧な感触と肌触りだと思った。流石、御家長が使うだけの布団だ。頭痛で視界が回っているのに余所事を考えるのは己のふてぶてしさの表れだと言えよう。


 天贖が薄い掛け布団を容にゆっくりと掛け、その手が容の額に触れる。


「熱くはない」

「頭痛、気のせいですかね」

「これほど辛いなら、気のせいであるわけがない。話すのは少し待て。休んでいろ」

「はい……」


 寝室にあるたったひとつの上窓から月明かりが差し込む。痛む頭でその光を辿ると、布団の横に座っている天贖が浮かび上がって見えた。彼はまだ寝衣ではなく、いつもの通りの袴姿だった。


「お風呂も入らないで……まだ、寝ないんですか……」

「心配するな。それより自分の心配をしろ」


 普段なら嫌味のひとつでも言う天贖が素直に心配してくれたのが容は嬉しかった。容がそれほど辛そうに見えたのかもしれない。だが、痛みのせいで嬉しさを伝える余裕はなかった。


「はい。後で起こしてください」

「ああ。……髪に触れていいか?」


 遠慮がちな問いに、反射的に頷く。下手に出られると否と言えないのが己の性格だ。だがそれだけではなく、落ち着きのある声で請われると心が温かかった。


「どうぞ……」


 しばらくの間、気を失うように眠った。寝ていても、なぜか意識はある。その間、髪が梳かれるのを気持ち良く感じていた。手触りを楽しむような、愛おしい人を撫でるような、優しい手つきだった。頭痛は少しずつ治まっていった。


「天贖様。少し、軽くなった気がします」

「わかった。寝ながら話せ」

「でも、天贖様が寝てないのに」

「俺も寝ればいいのか?」


 天贖はからかうように片方の口の端を上げると、布団の横で肘をついて寝転び、容の顔を至近距離で覗き込んだ。見つめられて心臓が跳ねる。顔が熱いので赤くなっているかと思い、夏掛けを目の下まで持ち上げて隠した。月明かりしかないので、これだけで顔色は隠せているはずだ。


 しかしこの男は誰に対してもこういう態度を取るのかと思うと、小さな怒りが湧いてくるのはなぜだろう。


「そういうことするから、すぐ女性がのぼせ上がるんですってば」

「そう言うお前の方は全くのぼせ上がらないだろう」


 天贖はそう淡々と言ってから、表情を硬くした。


「話せ」


 それは天贖の長としての命令だった。王者たる迫力に、容は素直に従った。


「はい。今日、太智と私の家へ行ってきました」

「そうだったな。太智がお前と手を繋いで、嬉しそうに帰って来た。礼を言う。……ありがとう」


 天贖は最後のお礼だけ、優しい声で言った。


「ふふっ、天贖様の貴重な『ありがとう』だ。あ、すみません、それで私の家には私の友達となぜか他に4人いて、この島では山ノ神信仰があって、その中心にいる人が高い身体能力を持っているんだって知っていたんです」


 天贖の表情に緊張が走ったのがわかった。布団の横で起き上がり、胡坐をかいて容を見下ろした。


「そうか。それで?」

「とりあえず知らないって言っておきました。その4人は、話が本当なら、異母姉弟で、日本に来るのは初めてで、親戚もいなくて、なのに島の秘密を知っているってことになってしまいます。自分達も不思議な能力があって――それが何なのかは教えてくれなかったんですけど――それで困ってるから相談したいって言ってました。私は、うさんくさいな、と思って」


 4人の言うことは道理が合わず、まるでとってつけたような話だった。


 容が痛む頭に手をやりながら言うと、天贖が頭を撫でてくれた。子供にするような仕草で、不思議と嫌ではなかった。


「同感だな」

「私の友人が真剣に私の様子を観察していました。多分、私が知っていることがバレてて、あと、あいつが、浚地が私の嘘を見破ろうとするくらい、4人には大事な目的があるんだろうって思いました。あとは、よくわかりませんでしたけど、早めに天贖様に伝えた方がいいんだろうなって思って……すいません、遅くなりました」

「いや、遅くはないだろう。話してくれて助かった。具合が悪いところ、無理をさせたな。しばらくここで休んでいろ」

「はい。……ありがとう、ございます」


 天贖は柔らかい表情で容の髪をまた梳いた。


「絹のような髪だな。寝顔も綺麗だった」


 何だか恥ずかしいことを言われたようで、容は返事ができなかった。顔が一気に熱くなる。また夏掛けを持ち上げて、目の下まで隠すようにする。何と返事すればいいかわからず、代わりに、事務的な話をすることにした。


「天贖様は、何か心当たりはありますか?」

「正直に言うと、ある。だがそれは他言するな。今俺に話してくれた内容も言うな」


 容の予想が当たっていた。この島には、やはり何かが『ある』のだ。今それを問い正したいところだが、まだ自分は新参者だ。打ち明けてくれるのを待つしかない。


「太智も知ってます」


 だから、これだけしか言えなかった。


「太智も他言してはならないことはわかっているだろう。だが、一応俺からも一言言っておこう」

「お願いします」


 静寂の中で、夏虫の声だけが小さく聞こえる。天贖と自分の微かな呼吸音が耳に届く。この一定リズムの音が逸りそうな感情を宥めてくれた。


 天贖はふと思いついたことをそのまま口に出したように静かに言った。


「このままここで寝るか?」

「だからそれがフェロモン男だって言うんですよ天贖様は」


 天贖の株が容の中で少しだけ上がっていたところ、それが一気に下がった。


「信用がないな。フェロモン男はもう止めろ。少なくとも、お前の具合が良くなるまではここで寝ていろ……何もしない」


 容がくすりと笑う。


「じゃあ、おやすみなさい」

「ああ、いい夢を」


 そう言った天贖は、まだ袴姿だからか、ただ隣にいてくれた。


 不思議だ。恋しいくらい恨んでいると思っていた相手と、こうして穏やかな時間を過ごしている。容の欲していた天贖の優しさが自分に向けられるのが嬉しかった。


 瞼が重くなってくる。うとうとと眠りに入ろうとしたところで、こちらに早足で駆けてくる音が聞こえた。


 天贖は寝室から出て自ら戸を開けると、その早足の主に声をかけた。


「義喜か。入っていい。なんだ。何があった」

「天贖様!」


 寝室の前まで来たのは義喜だった。容も起き上がり、急いで天贖の横に並んだ。


「えっ、ちょおお……! 容ちゃん、夜這い!? す、すみません、そうとは知らず」


 義喜は見てはいけないものを見てしまったかのように両手で顔を隠した。


 天贖はそれを気にする様子は一切なく、強い口調で話した。


「そのようなことを今は話しているのではない。何があった!」

「七櫓町の樹が狂化しました!」


 天贖は衝撃を受けたことを隠しきれない様子で、地鳴りのような声を上げた。


「すぐに行く! 今どうなっている!」

「直大と直志が止めてます! でも力が強過ぎて抑え込めません。天贖様」

「わかっている! 走るぞ! 容、お前は残っていろ!」


「嫌です、行きます!」


 頭痛が辛いなどとは言っていられない。容は歯を食いしばって天贖達について行った。

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