第八十一幕 !?!?
「なあマサミチ。本当にこれが”マスク”というものなのか?」
「まぁ、”マスク”ではありますが……」
不安そうなワルプルギスに生返事をする。
ツクモがおふざけでワルプルギスに教えていたマスクからマサミチが教えたある意味正しいマスクに変化したのだが、その見た目は捉えようによっては般若面よりも怖いものだ。
鳥の嘴のような細長く湾曲したマスク。先端に香りのする何かを入れることでとある病気になるのを防いだとされる由緒正しきマスクなのだが……。
「ほ、本当にか? 私の感性がおかしくなければ悪化しているようにしか思えないのだが……」
ペストマスクを被ったワルプルギスは、不安そうな声を漏らす。
利便性は確か。匂いもマシになったし目に染みていた空気も血のレンズ越しなら問題は無くなったのだが。
「────」
俯瞰して見ると不審者極まりない。例え日本と違って治安が終わっているユグレシア王国でも警察駆け込み案件の不審者だろう。だがこの場所においてはこれが一番なのだから仕方がないと言えよう。
「と、言うかだな」
「はい? なんですか」
「君はマスクしなくていいのか?」
血のレンズ越しに困惑の感情が籠った目線が刺さる。
確かに、と思い深呼吸をしてみるのだが。
「──臭くはありますが……まぁ誤差の範疇……ですね」
鼻をすんすんと鳴らし、辺りの空気を吸い込んだマサミチはそう言ってのけた。
馬鹿な……! とでも言いたげな表情はマスクで見えないが、見事に体で現している。ガビーンというオノマトペが付きそうな、そんな仕草に思わず笑えてくる。
「っと、そうでした。目的地に着いたことで満足してました。では着いて来てください」
『わかった。して、どこに──』
マサミチに応え、差し出された手に自分の手を重ねた瞬間、自分の立っている足場が何なのか思い知らされる。
耳心地のいい快音を響かせ、身体に重力の恩寵を思い出させる。
『ぅぇ──』
微かに漏れた声はマスクを貫通する事がなく、飲み込んだ息がマスクの先端にある香りを運んでくるばかりだ。
『わあああぁぁぁ!??』
いくら純血の吸血鬼、ほぼ不死の存在だったとしてもいきなりの死の恐怖には拒否反応を起こすものだ。みっともなく手を上に伸ばし、崩れ去った足場に縋りつこうとする。
なんせ、ユグレシア王国で落下が原因で死んだ人など数えるほどしかいない。
ユグドラシルの管理を任された人が足を滑らせて死んだ例を除けば結果的に死因がそうなった、という例しかない。
この世界においてもっとも珍しい死の危険が落下死である。
「落ち着いてください! ちょっ! 暴れないでくだ──ぐぅえぉ!?」
手を握ったままのマサミチは、パニックになっているワルプルギスを何とか宥めようとしたところ、顎に良いのを貰ってしまった。ぐるぐる回り、目がチカチカしていながらも手は離さない。
それが、条件だから。
「世界の呼び声」
鈴の音のような声が二人の脳に響き、世界が一段階遅くなる。
「我、久遠の園を管理するもの。与えられし使命を基に、力の行使を乞う」
歪んだ歯車が嚙み合うようにまた一段と世界が遅くなる。
絶叫しているワルプルギスの声さえ、届くのが酷く遅く感じる。
「永久に輝く神秘、エターナル・ボレアリスの名において時廟の墓に時を宿せ」
空間を声が満たす。
その声が遠く、そして近くから響いた時、今までの速度が嘘だったかのように空中でピタリと止まった。空間に満ちる魔力が僕とワルプルギスを空中に留め続ける。
あともう少しで地面、という所だったのでヒヤリとしたが、ボレアリスは約束を守ってくれたらしい。
「ぁ──ふぇ」
いつのまにか血のマスクがドロドロに溶け、顔が露出したワルプルギスは子供のような眼で目をパチクリさせていた。
あまりの驚きで血のマスクがうっかり溶けてしまったのかと、そう思ったのだが。
改めて見ても凛々しく整った顔立ちが一瞬にしてくしゃっと変わった
「うわぁぁあん!!!」
「!?」
大粒の涙と垂れてきた鼻水をブレンドした顔をマサミチの胸に押し当て、声を大にして泣き始めた。
「うぅっ……ひっく」
「!?!?」
恥も外聞もかなぐり捨てて泣きじゃくるワルプルギスの姿にマサミチは絶句せざるを得ない。
170ほどある背丈の全てを使ってマサミチに抱き着き、恐怖を発露する。
短く、それでも男性より遥かに長い髪が顔に付こうと。
涙と鼻水がマサミチの服を貫通し肌に貼り付いてしまうほど泣こうと。
嗚咽を上げてみっともなく喚こうと。
マサミチは何も言わず黙って頭を撫でてあげる。
今、自分の胸で泣いている女性の姿が、今までキッチリとした格好いい女性像筆頭として挙がっていたのだが、それが今や見る影もない。
ただの、女児だった……。
見た目は大人! 中身は50歳(人間換算推定7歳)! その名も、バリオス・ワルプルギス!!




