第七十八幕 死がありふれた世界で、それでも命を尊べたのなら(5)
とっても長ーい!(過去最高の長さを記録)
「───彼の今までを見ていると。まぁ、なんだ………与太話ではなさそうだね」
言葉を絞り出すように話すワルプルギスに肯定する様に頷く者は七名。
ワルプルギス。ベィリィーン。ラランジュ。メグリジェ。ツクモ。サンガツ。セイアン。
バリオス家族の幹部たちだ。
何故彼ら彼女らが一つの場所に集まり会議をしているのか、それは全員の視線の先にある一人の人物について話をしていたからだ。
約六日間、姿を見せなかった彼は別人のようにしか見えない。
足を組み、イスに深く腰を掛けている人物、ユイガマサミチ。
一か月間生活を共にした人物の変容ぶりに、全員が驚いている。
髪は白くなり、眼は黄色に、優しかった目つきはどこへやら、獣を思わせるほど鋭くなった目つきでつまらなそうに話を聞いている。
言葉遣いや態度も比べ物にならない程に粗野になっており、もはや別人だ。
だが当のマサミチ本人はケロっとしており、何も気にしていないように思える。
それこそが異常性を際立たせている。
まるでこれが本来の自分だとでも喧伝しているような物だ。
「儂らのことは覚えて居るようだし、頭に何らかの障害を負ったと言う訳でもないであろうし……うむ、誠に奇怪なり」
サンガツは顎に手を置きそう呟いた。
それに続いたのはツクモだった。
「彼は髪の色が変わっている。強いストレスでそうなる、というのは聞いた事はあるが実際目にするのは初めてだ。そもそもあの髪になった要因がストレスにあるかはわからないけどね」
「ふむ、もしストレス、だった場合、それが原因で性格が変わる、というのも聞いたことはあるけれど…………今回はその限り、ではないように思える。」
「ううん。あの人がお兄ちゃんであることは間違いないし、その可能性は十分にあるわ。そうでしょ? ワルプルギス」
「うん、彼が限無の塵に墜ちた事は間違いない。あそこから出て来た人間は彼が初めてだ。それ相応の精神的負荷があってもおかしくはない」
ワルプルギスの言葉に皆が言葉を切る。
限無の塵、ユグレシアに住んでいてその話を聞かないものはない。
約2000年間、ユグレシアのゴミ全てを内包できるほど巨大な”異空間”。
出口があるかどうかもわからない一方通行の地獄、という噂まである場所だ。
そこにどれほどの地獄絵図があるかなど想像もつかない。
「──難題、だね。ああ、そうだ。ユイガ、に話を聞いてみれば…………と思ったのだけど」
あまりのインパクトに一番手っ取り早く一番簡単な方法が頭から抜けていた。
それを実行しようと思ったのだが───。
「彼、いないね」
「あの小童、何処へ行きよった?」
イスに深く腰掛けていたマサミチは忽然と姿を消していた。
薄く開いた扉が、脱走したであろうマサミチの存在を示唆していた。
それの代わりになるかのようにソラが部屋にノックをして入って来た。
「あの」
「ああ、君か。すまない、今君の付き人は──」
「大丈夫です。私、その話をしに来たんです」
気を使った言葉を投げかけようとしたところを、ソラは毅然とした態度で全員に視線を向ける。
彼女自身もいろいろと混乱しているのだろう、心労が表情の節々から垣間見える。
それでも彼女は重要な何かを伝えるために来たのだと、全員が理解した。
「聴かせて、欲しい。君が何を、伝えようとしているのかを」
チェルは先程までマサミチが座っていた椅子を手を翳して引き寄せ、ソラに座るように促す。
それを断る理由も意味もなく、促されるまま椅子に浅く腰掛ける。
どうにもリラックスする気にはなれないらしい。
ソラはコホンと一つ咳ばらいをして口を開く。
「ここに帰ってくるまでに、マサミチ君に話を聞きました。中での話です」
「それってーとあの空間の中での話って事であってるかい?」
「はい」
ツクモの問いに、短く答える。
ソラは、マサミチに助けられた時のことをまだ鮮明に覚えている、それと──
「あの時、マサミチ君は──」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
僕の記憶にないのに、どうしてか見覚えがある。
僕は……いや、俺は、この人を……コイツを、知っている。
「ボレアリス──」
自分の意志とは関係なしに声が出た。
この感覚は前にもあった。
バリオス邸の中にあった二重の扉の前での詠唱。
あの時も、記憶にないのに驚くほどすらすらと言葉が出て来たのだ。
「エターナル・ボレアリス」
再び口が動いた。
その言葉に正座の姿勢から動かなかった女が反応を示した。
「────」
薄いヴェールの向こうで、美しい瞳がゆっくりと開かれた。思わず、息を呑む。
純白の宝玉を思わせる白い瞳。その表面には、身体の至るところに刻まれているものと同じ、歯車を思わせる精緻な紋様が浮かんでいる。右の頬にも同様の紋様が刻まれており、それは彼女の白い肌の中で異質な存在感を放っていた。
――ボレアリス。
彼女は、正座の姿勢を解くと、静かに立ち上がった。
それでも、僕の肩ほどまでしかない小柄な体躯。
彼女はわずかに首を傾けると、僕――マサミチの顔を見上げた。
ボレアリスは薄い唇を開き、マサミチの胸に優しく触れる。
「──会いたかった。どこに行っていたの」
鈴の音が鳴るような声が耳を打つ。
耳触りがよく、いつまでも聞いていたいと思うような、魔性を帯びた声。
「──っぁ」
不意に身体の内側に異質な感覚が巡る。
触れられている掌から何らかの影響を受けていると、辛うじて感じ取る事が出来た。
少しの苦痛と身体の中側から引っ張られるような感覚。
それを意にも介する様子を見せず、ボレアリスは首を傾けた。
「…………彼、いなくなったの」
「なんの……話を……」
目線は自分に向いている、のにも関わらず僕に向けて話しかけている気はしない。
彼女が見ているのは、視線は僕の瞳。
その奥にある──
(いなくなったワケじゃない、あの老いぼれはまだいる)
「そう……あ、わかった」
(お前ならすぐに気づくと思ってた、ボレアリス)
「琥珀……随分と過大評価」
(はン、事実だろ)
身体の中、正確に言うのなら心臓の鼓動に乗って奥から声が響く。
その声は目の前にいるボレアリスにも聞こえているらしく、会話を続けている。
紛れもなく自分の声。
けれど、この声はマサミチのではない。
自分の声でありながら、自分ではない誰かの声。
ヒバナとの戦いの最中、僕を奮い立たせるように言葉を投げかけてきた──あの声。
「あぇ?」
ぐるり、魔力が廻る。
自分ではない自分の意志が、表層にある意識が反転する。
「──ふぅ、悪いなマサミチ。中にいる事を黙っていてな」
(!?)
声がいきなり出なくなった。意識という広大な海に押し流され、自分が今どこにいるのかわからなくなる。天地がひっくり返り、平衡感覚など無くなっている。ただわかるのは、自分の身体の主導権が誰かに移った事だ。
「落ち着け、深呼吸をしろ。そして立つイメージを明確にしろ。じゃなきゃ酔っちまう」
言われるがまま、イメージを固める。だが如何せん不安定な足場だ。いや、足場があるかすら怪しい。
それでも何とか平衡感覚を取り戻し、やがて地に降り立ったような感覚を得る。
(──これ、は)
三人称視点、簡単に言い表すならそうだろう。自分の容姿を正確に把握している訳ではないが、十七年間操って来た身体だ、理屈ではなく本能でわかる。
髪が白くなっている事を除けば、自分の身体だ。幽霊にでもなった気分だ。そんな自分を”マサミチ”は正確に捉える。
「今、マサミチは自分でもわからないくらい不調だ。精神的な面でな。だからこの瞬間は意識を乗っ取らせてもらった」
マサミチ、と。自分の身体が他でもない自分にそう言い放った。
彼は、”マサミチ”ではない。
「琥珀……無視、良くない」
不意に声が鳴った。
コロコロと、心地の良い音色の様な声が咎めるように鳴る。
「少しくらいいいだろ、後で話し相手になってやるよ。緑玉と紅玉がな」
「菫青……駄目?」
「ああ、中にいるのが菫青だからな」
「違う……わかる」
「完全に同化しちまってんだ。相性が良すぎたんだ、能力の適性も性格も」
何の話をしているのだろうか。記憶違いじゃなかったら菫青や紅玉、緑玉、琥珀は全部宝石、石の名前だ。石、それが今なんの関係が……。
「石って言うなよ、俺らの名前だぜ? お前の親父、唯我凍夜が名付けた、な」
心が読めるのか?
その疑念はすぐに霧散した。察したのだ。
(なるほど……君も僕なんだね。)
「おっ、物分かりが良いじゃねぇか」
好感触の反応に体は動かないものの口角をあげる。
心臓の鼓動から感じ取れる”四つの違和感”。
今は自分がその一部。
あの時、初めて能力を使った時。アキラを助けた時、何かが呼び起こされた感覚があったのだ。
冷たい冷たい氷の中を、熱い熱い力が溶かす。
そうして初めて──
「俺たちが、お前の一部になったんだ」
また、頭の中。パリンと氷が割れた。
◇ ◇ ◇ ◇
「──トウヤ、本気でやるのか?」
「それ以外のやり方は、俺にはわからない」
「お前が決めた事に俺たちが口を出すことは無い、けど……マサミチの気持ちはどうするんだ」
ぼやけた記憶の中、琥珀と誰かが喋っている。いや、”誰か”だなんて他人行儀な言い方は辞めよう。
父、唯我凍夜が琥珀と喋っている。
「あいつがずっとここに居たら、きっと限界が来る。その前に何とかしてあの世界に送るんだ」
「不器用な奴だって知ってたけど……ここまでかよ」
「何とでも言えばいい。約束を守るには、こうするしかない」
「馬鹿が……! 昨日のマサミチを見ただろ? いない母親の幻覚まで見えてるんだ、ここで味方を失ったらアイツは……」
黄、蒼、朱、緑、四つの魔力の塊が、父さんの周りでピカピカと輝いている。その様はまさに宝石が光っているかのようだ。一際強い輝きを放っているのは黄色。琥珀の声に呼応するように光を増している。
「だが、ここに居続けたらいづれかはそうなる。早く、早くマサミチにお前達を渡して、あっちの世界に送るんだ。それしかない」
「──あの世界に行けば童には必ず能力が生まれる。それなのにやると言うのか坊主。二つ能力を持つ純人など、坊主意外におらん。どのような事が起きるか儂らにもわからんのじゃぞ?」
蒼が弱々しく光り、懸念点を訴える。それに追従する様に朱と緑が光り始める。
「汝は、親として如何なものじゃと思わぬかえ? わっちらが童に馴染むに足る者であったとしても、それなりの時が掛かりんす。ましてや、あの老木めが如何に良き世界を創り上げていたとしても、危うきものが存在することに変わりはありんせん。それを――いつ童に声が届くやも知れぬわっちらへ、丸ごと押し付けるなど……愚の骨頂とは思わぬかえ?」
「そうだよ! それにあの子が能力の仕組みに気づくには誰かしらの協力がいるわ! あの悪ーい狼の子孫とかきっと碌な奴じゃないわ、そんな奴らがいる場所に辛い思いをした子を放り出すなんて正気じゃないわ!」
明らかに不満の色を強く見せた朱と、強い否定を浴びせる緑。その言葉に父さんはバツの悪そうな顔をして唇を歪ます。
「朱雀、青龍。悪いがもう決めた事なんだ。俺の子とわかればユグドラシルの子孫が悪いようにはしないだろう。それに、マサミチをあっちに送ったら俺はあの世界へ行く手だてを失う。俺にはどうすることもできない状況なんだ」
「──わっちの名は紅玉。ゆめ、間違えなんし」
「あたいもだよ! かかさまが付けてくれた緑玉って名前になったって知ってるでしょ! 忘れないでねこのすっとこどっこいのお馬鹿ちん!」
興味が失せ、突き放すような声を残し、朱の魔力、紅玉から光が消える
緑の魔力、緑玉は怒ったように強く発光し、そっぽを向くかのように光が消える。
「トウヤ、俺はお前を軽蔑する。だが……マサミチに罪はねぇ。てめぇに言われるまでもなく助けてやるよ」
「儂、かかさまに名をつけられるまで主と喋れんかったからのう。主の息子である童もきっと冬の適性が高いじゃろう。力にはなれんが、しっかり見守っておく。そこだけは、安心するように──」
黄、蒼の順に光が消える。空になった宝石を前に、父さんはただ立ち尽くしていた──
◇ ◇ ◇ ◇
「また記憶を見たな。俺たちを通じて、凍夜の記憶を」
”また”という言葉に引っ掛かりを感じる。
アイゾメの能力で記憶を見た時の事だろうか。
「いや、あの娘の時じゃない。技を使う時、お前は基本的に深くイメージをする必要がない。それは菫青の能力から、凍夜が使っていた時のイメージを扱っているからだ」
と言うと『銀世界』とかの事と考えて相違はないだろう。
自分で考えていた能力の記憶、というのはあながち間違いではなかったのか。
「ま、そうだな。それより、ボレアリス」
僕との話を切り上げて、ボレアリスの方に顔を向ける。
「ん……何」
不思議そうに首を傾げ、あどけない表情で唇を震わせる。
「ここはもっと綺麗だったはずなんだが……どうしてこうも汚くなってるんだ」
「──」
汚くなっている。その言葉がボレアリスの耳に届いた瞬間、ボレアリスは唇をキュッと結び俯いた。
「…………凍夜との話だったらここはアイツらの墓になってる場所だろ」
「うん…………間違い無い」
琥珀はハッキリと言った。
アイツらの墓、と。
その言葉がトリガーになったのか、ボレアリスは拙い言葉を紡ぐように、忙しなく口を動かし始めた。
「最初…………ここ綺麗。でも………ゴミ来た。頑張った…………多い。ずっとたくさん…………外は知らない、けど…………多分一万年、頑張った。でも、無理。諦めた。守れない」
単語を繋ぎ合わせるような子供のような喋り方。
でも、一万年という言葉が本当なら、ここでずっと独りぼっちだったのなら、孤独という苦しみが、彼女から言葉を奪ったのだろうか。
誰とも会わず。
誰とも喋らず。
ただ、独りで。
(あ……)
そこで、初めて気づいた。そこら中にあるゴミの山、それは彼女が綺麗にするためだけに独りで運んだ結果の結晶だろう。
「ここは時間の流れが違うもんな。大体外じゃ二千年くらい、ここの体感時間じゃ一万四千年ってとこだろな」
「ん………最近、やめた。多い、どんどん………それ、全部」
指を刺した場所は周りと比べれば比較的小さな山。比較的に小さく見えるだけで、莫大な量のゴミが積み重なっている。そして今もまだゴミは落ちてき続けている。
「どうにかできなかったのか。空間と時間を支配する【時空支配】を持ってるのによ」
「時間………遅くできてる。でも、空間…………弄れない、壊れない…………するしか無理」
手を空中で遊ばせ、言葉以外の方法でも伝えようとしている。
だがその仕草には活力のようなものは見られない。
”諦め”という二文字を明瞭に伝えている。
それで言えば最初もそうだ。目の前にまで雪崩れてきているゴミすらも見て見ぬふりをして正座の姿勢を貫き通していた。あれも、諦めの表れなんだろう。
「──そうか。とりあえず、緑玉と紅玉は置いていく。話し相手にでもしてくれ。俺はこの身体の持ち主と外に出にゃならん」
無慈悲とも思えるその発言に、マサミチは意義を唱えようとした。
したのだが、それは可憐な鈴の音にかき消される。
「ん……そう。感謝…………琥珀。それと…………トウヤの倅」
朱色と緑色の魔力の弾が、自分の胸から現れ、ボレアリスの近くに飛んでいく。
その様子をただ黙って見ていて、それで。
「じゃあ、またなボレアリス。もし適性が変わったらそいつらを連れ出すことになっちまうが………」
「ん……問題無し。じゃね」
そう言って別れを告げて──
(ちょーーっと待った!!)
氷の足場を創り、外へ向かおうとしたマサミチを止めるべく、声を大にして引き留めた。
その反応に驚いた琥珀は魔力の流れを止める。
(琥珀、君は僕なんだよね。なら、僕の言いたいことわかるでしょ)
「──っあ、マサミチよぉ。自分の状況わかってんのか? いくらここが時間の流れが遅かったってお姫サマ達が心配してることには変わりないんだぜ?」
(お姫サマってソラの事? それも大事だけど、やる事がまだ残ってるはずだ)
どこまで行っても自分の意志は変わらない。何かを諦めた目を見るというのはいい体験ではない。
僕は、それを見て放っておけるほど薄情な人間にはなりたくない。
マサミチの思考は琥珀にも全て伝わっている。その真っすぐな心を、どうして邪の道に導けようか。
ガリガリと頭を搔き、マサミチの言い分に耳を傾ける。
そこから、外に出るまでの半日間、ボレアリスはずっと不思議そうな顔をしていた。
緑玉、紅玉を残していった僕は、綺麗になった墓地をあとにする。
そして──
はぁ……出てきてすぐこれか、と。琥珀は心の中でため息をつくのだった。
うう…………紅玉の廓言葉に手間取ったぁ。
なにあれムズぅい。




