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必然の因果【クラウィス・カウサ】


 アシャの右腕が紅い渦に包まれた。


 肩の上に浮かぶのはネオンのように瞬く魔法陣。


 そこから溶岩のような紅い光を湛えた筋が流れ出し、上腕を伝い、前腕へと伸びていき、それに沿うようにして屈強な筋肉が盛り上がっていく。


 紅い渦が晴れる。現れた右腕は、【力という(イシス・)概念の(エニア・)放棄(アポスタシア)】と呼ばれる屈強な紅い腕へと変化していた。


「ふむ――それが、ドミジウスを倒した【力】か――だが、しかし」


 (サソリ)の男、サイカスは短く言うと手にした弩を構え、再び詠唱した。


「穿つ死は慈悲(ミセリコルデ)、冥府に浸すは心臓(カルディア)、射抜くは必然(クラウィス・)の因果(カウサ)――!」


 詠唱を終えると同時に、サイカスの手にした弩から、鈍い銀色をした鋭い針のようなものが勢い良く射出された。


 アシャは顎を引き、自身の胸を狙って一直線に飛んでくる鋭い針を睨むように凝視する。彼は瞬きする間もなく拳を握りしめ、その太い腕をぶんと振り払うように薙ぐ。懐まで迫った針は、紅く沸き立つ屈強な腕によって弾き飛ばされた。


「何かと思えば、呪いを帯びた矢じりとは――こんなもので、俺をどうにかできると思ったか、貴様」


 呆れたように呟くアシャへ、弩の先端を向けたままサイカスは剥き出しの歯を擦るかのような掠れた嗤い声を響かせた。


「思ってなどおらんよ。お前たちの【能力(チカラ)】は把握しているからな」


「なんだと――?」


 その時だった。


 ヒュンヒュンという乾いた音が見上げた先から。それは、先程アシャの腕によって弾かれたはずの鈍い銀色をした針。とっくに地面へと落ちていたと思われていたそれは、不自然極まりない軌道を描いて、アシャとミズホの目線の先でくるくると宙を舞っていた。


「そうか――必然の因果(クラウィス・カウサ)とは、そういうことか」


 何かに気付いたのかアシャは舌打ちし、再び紅い腕を突き出して身構えた。


 くるくると空中を漂っていた銀の針が止まる。ただ弾かれたまま、地面にも落ちず、そこから何にも触れていないにもかかわらず、針はまるでそれ自身が意思を宿しているかのように空中で静止し――そして、呪いを帯びた鋭い先端を、もういちどアシャの胸元へと向けていた。


「えっ、この針――まさか――」


 ミズホが困惑に満ちた声を発するよりも早く、針は再び銃口から射出されたかのような勢いで、アシャの胸元を貫かんと空を切り迫っていた。


「つまらん、小細工を――!」


 紅い腕をぐおんと振り回し、いまいちどアシャは針を弾き返す。だが、その言葉とは裏腹に、彼の口調は苛立ちと若干の焦りを帯びていた。


 アシャは上方を見上げた。憎々しげな視線の先に、弾き飛ばされた針が先程と同じようにくるくると回転し――そして、また先程と同じように、その先端をアシャの胸元へ定めるようにして、空中に静止している。


「何度弾こうが、無駄だ」


 サイカスの言葉に、ミズホは咄嗟に男の顔を見た。(サソリ)の顔は相変わらず歯を食いしばって、しかしその口の端は引き攣ったかのように吊り上がり、歪な笑みのカタチを作っていた。


必然の因果(クラウィス・カウサ)――【放たれれば、必ず相手の心臓を穿ち、それ以外の結果には成り得ない】という因果そのものによってカタチ造られた、呪いの射出」


 愉しむようなサイカスの語りを完全に無視して、アシャは拳を突き出す。拳を這う溶岩の筋が、紅い輝きを放ち流動し、白煙が漏れ出る。


「【溶かせ(リオノ)我が熱よ(ゲオセルミア)】――!」


 アシャの詠唱と同時に、眩い熱線が拳から迸る。その熱線は三度迫りくる呪いの針を飲み込み、そして跡形も無く溶かし尽くした――かに思われた。


「人の話を聞いておらぬか――それは、必然として定められている――【お前の心臓を貫く】という結果に至るまで、(かわ)すことも、防ぐことも出来ぬ――ゆえに必然の因果(クラウィス・カウサ)。針の呪いにより心臓を穿たれ、その身を砂と散らすがよい」


 アシャは何かを察したように目を見開き、咄嗟に身を屈める。その途端、少年の肩から鮮血が噴き出す。まるで射抜かれたかのように。


「ショウマさ――いえ、アシャさん――!」


 ミズホは小さな悲鳴を漏らしつつ、アシャの肩を貫いたそれを眼で追った。彼の背後に浮かぶのは、先程熱線で溶かし尽くしたはずの銀色の針。


「く――やはり、【結果ありき】ということか。それは必然であるがゆえに、途中経過である防御も回避も無視され、やがては必然としての結果に至る、と。そして心臓を貫かれることにより砂化の呪いが発現し、身体の内部から砂化して崩れ死ぬ、その【結果ありき】であると――だが、しかし」


 アシャの心臓から僅かに逸れ、代わりに肩を貫いた鈍い銀の針は、彼の背後でくるりと反転し、今度こそその心臓を貫こうと勢いよく迫り――。


 その刹那、白い閃刃がアシャの背中を掠めた。


 ミズホは素早く針の射抜く先へと回り込み、手にした剣を振るっていた。針が彼の背中へと喰い込まんとする直前のところで、それを撥ね上げる。


 ポトリという音。両断された針が地面へと落ち、転がっていた。再び動き出す様子はなく、鈍い銀色が陽の光を反射し、ただ妖しく光っているだけ。必然の因果と呼ばれたモノは、もはやそこには存在していなかった。


「ふぅ……、一か八かでしたが、なんとかなりました――か?  難しいことはわかりませんけど、その針が【放たれれば】【必ず命中する】という因果そのものであるのなら、その因と果を【断ち切れ】ばいいんですよね――?」


 剣を構えたまま、少女は肩越しに自信なさげな表情をアシャへと向けた。


「そうだ。お前の【その概念(ルナイレイズ)は因果を殺す】からな――だがな」


 アシャは不快そうに金色の瞳を細め、鋭い視線を返して。


「小娘、一応言っておくが、せっかくの能力(チカラ)だ。何が出来て、何が出来ないかくらいはもう少しちゃんとわきまえておけ。鉄屑人形(ドミジウス)の時も、先日の領域・白(アルバレア)の時もそうだが、そんなことでは救えるものも救えなくなる」


 要は、それができるならとっととやれということ。ミズホはそう言われることを予期していたかのように、叱られた子供のように少し首を竦めてみせる。


「うっ――タイミング遅くてすみません。でも、確かにそうですね――今まで自分に関係するものしか斬ったことがなかったので。でも――」


 ちらとミズホは、澄ました顔をした金眼の少年の横顔から視線を逸らし、その奥に立ちはだかる(サソリ)の男、サイカスの様子を伺った。


「ククク……それが【神秘斬滅(ルナイレイズ)】とやらか。なるほど因果を殺すとは、確かに我ら魔の者にとっては脅威となろう。

 高速で射出された針を正確に捉え両断する、その動体視力と剣技も見事と言える。しかし――」


「あの様子だと、私の能力(チカラ)も折込済みのようですよ」


 少女はアシャにだけ聞こえるように囁くと、サイカスへと向き直った。その青いツインテールが再び白い輝きを帯びていく。


 (サソリ)の男の手にした弩が、再びその標準をアシャの心臓へ定めていた。


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