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ラビンスキーの異世界行政録  作者: 民間人。
二章 社会福祉問題
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参事会の魔物3

 ラビンスキーは指南書を熟読していた。部屋は獣脂と玉ねぎの強烈なにおいで満ちており、時折アツシが唸りながら寝返りを打つ。日中は徐々に温かくなってきてはいたが、まだまだ夜は冷え込むため、ブリキ製の湯たんぽを安物の毛皮に包み、足元で弄んでいる。その様は寝ぼけた犬がお気に入りのおもちゃを抱えているようで、微笑ましい。


 ラビンスキーは真っ赤な疲れ切った眼でその寝顔を見て顔をほころばせる。子供にせよ、大人にせよ、昼間は忙しく働き、夜には疲れて寝息を立てる、そんな当たり前の光景が、許されるべきだろう。ラビンスキーは再び小ざっぱりした作業机に向かう。小さな窓の向こうから、綺麗な月光が差し込む。暖を取った後のような微かなぬくもりが、よく整理された部屋を包み込む。冬の引き締まった空気を再び引き寄せるように、ラビンスキーは真剣な面持ちで指南書に視線を下ろした。



 ミンミンという虫の囀りに目を覚ます。突っ伏した机から体を起こす。溶け切った蝋燭の搾りかすと、手に握られた齧りかけの玉ねぎを見て、ラビンスキーは自分が夢の中にいたことに気が付いた。手に握られた玉ねぎは乾燥しきっていて、指の触れる部分が少し黒ずんでいる。充満した獣脂の臭いを換気するために窓を開けると、ストラドムスから見える景色は陰鬱なもので、眼前には煉瓦が聳えている。ラビンスキーは小さくため息を吐いた。


(ここからでは、細かなことは分からないな……)


 アツシは相変わらず寝息を立てる。深夜の冷たい空気が獣脂にくすんだ空気と少しずつ入れ替わり、心なしか視界も徐々に明るくなっていくようだ。ラビンスキーは窓際で深呼吸をすると、アツシの方を見る。


 アツシの顔は多少なりともふくよかになり、お腹と背中がくっついているような平らな体は燕麦のパンで肉を得て、健康的な細さに戻っていた。小さな寝息は静かで、夜の澄んだ空気に似て美しい。


 ラビンスキーは鼻から息を吐き、コランド教会の方角を見る。立派な鐘塔が悪魔の右腕の様に陰になって伸びている。彼は多くの犠牲の上に建った荘厳さに身震いした。


 シゲルとの決戦の場所は未だ修繕されておらず、煉瓦もはがされて歩くこともままならない。それでも顧みられることはないのが、この町の現状であった。部屋のくすんだ空気が澄んでいく中で、切り取られた町の光景はどうしても報われない気がした。


(はぁ、カルロヴィッツさんは手ごわそうだよな……)


 ラビンスキーの脳裏には税の納付の際に見た彼の鬼気迫る様子が脳裏に浮かんでいた。



 参事会当日、会場は賑やかな歓談から始まった。参事会は毎月中日に一度行われる。議題に関心を持つ町の有力者が一堂に会する様は、圧巻というほかなかった。


 極彩色のタイツで彩られた男たちが、煌びやかなシルクで光を反射し、質素だが威厳のある椅子に腰かける。如何にも贅沢品を買い集めていそうな髭の男達が囲む円卓は、白いテーブルクロスがかけられ、各席にはまとめられた資料が上品に積み上げられている。部屋の四隅には繊細な金細工の柱があり、力強く、また奥ゆかしく聳えている。上品な香草の匂いが焚き付けられ、万全の防疫を誇っているらしかった。


 毎日を窮屈な部屋で過ごすラビンスキーにとっては、会場の豪華さは緊張を増すことだけに役立っていた。ルカが軽く肩を叩く。強張った表情のまま、ラビンスキー頷いて返した。


 続々と入場してくる中には、見知った顔の者も多少はいた。コランド教会の狸牧師は、シゲルからの連絡を待っていたのかそわそわしていて、動きもどこかぎこちない。トントンと机を叩く仕草は貧乏ゆすりと相まって、第一身分とは到底思えない。そこから右側へ四つ席を跨ぐと、しかめっ面の毛皮商人、カルロヴィッツ氏が座っている。資料を片手に腕を組み、今にも唸りそうに思索を巡らせている。税金に対する猜疑心からなのか、官僚にはすぐに食らいつくらしく、ラビンスキー自身も彼には多少嫌な思い出があった。


 今日の主役とばかりに足を組んでくつろいでいるのが、町有数の紙商人、イグナート氏である。細身で長身、丸眼鏡を掛けたこの男は、印字の魔法陣をムスコールブルクに持ち込んだことで名をはせた傑物である。司教とは対立関係にあり、その部下に当たる狸牧師は彼に対して明らかに冷ややかな視線を送っていた。


 ムスコールブルクの司教、クリメントは錫杖を片手に終始すまし顔で、イグナート氏を見下すように見ている。何事にも関心がなさそうなくたびれた顔は、まさにそこにいる為だけにここに来ているようだった。


 議題の記された記事を背にして、プレゼンターと向き合うのはエリザベータ王大公の側近、大蔵大臣のポストゥムスである。自信のなさそうなたれ目と、カールの酷い長髪が特徴で、口を結んで静かに腰かけている。議長である彼にもカルロヴィッツ氏は一目置かれているらしく、入場の際には恭しい挨拶をかわしていた。


 錚々たるメンバーにラビンスキーの緊張は絶頂に至る。そんな中、明らかに場違いな服装の男がラビンスキーの目に飛び込んできた。実験用の白衣を羽織り、動きやすそうな綿の服を着ている。如何にも眠たそうに机に突っ伏す様は、いっそすがすがしい。


「ねぇ、帰ろうよー」


「理事長に任されたんでしょ、ほら、しゃんとする」


「あの人は自分が行きたくないから当番制にしただけだよ。全く迷惑なことだね」


 見馴れた二人組のやり取りに思わず顔をほころばせる。視線に気が付いたルシウスは半分閉じた目を擦り、軽く会釈して見せる。ラビンスキーもそのように返した。


 シャンデリアに照らされた円卓の24席がすべて埋まる。ポストゥムスが静かに咳払いをすると、優雅な歓談の雰囲気ががらりと変わり、静寂に包まれる。静謐な会場の雰囲気を嚙みしめるように、ポストゥムスは宣言した。


「これよりムスコールブルク市定時参事会を開催します」


 ラビンスキーは、音を立てて唾を飲み込んだ。

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