シゲルという男3
普段より優雅な時間が流れる外回りは、騒々しい荷馬車の音もどこか芸術的であった。
ラビンスキーはハンスの後ろについて歩き、ゴミを見つけ次第拾い上げる。ハンスは帽子を軽く持ち上げてカルロヴィッツ商会へ向かう貴族たちと挨拶を交わしている。大公広場は相変わらず人が密集しているが、貴族と世話話をするハンスの姿は目立って見えた。服装は紳士的な彼だが、貴族の服は色彩豊かなため、目立ってしまうのだ。
ラビンスキーは時折ゴミを拾いながら、道行く人の流れを観察する。誰もが作り笑いで店先に立ち、サボっている弟子は拳骨を食らわされる。貴族はよく手入れされた顎髭を風に靡かせながら歩き回り、妻への土産物を選んでいる。ハンスはそんな貴族に腰を低くして、にこにこしながら世間話をする。
(どこでも一緒だなぁ……)
ラビンスキーにとって非日常ではなくなったこの町でも、かつての日常とかけ離れたものは確かに存在するし、驚かされることもある。しかしどちらも本質は同じで、日常的に繰り返される光景は懐かしさも感じられるのだ。
そんな事を考えていると、ハンスが戻ってくる。彼は火挟でボロ布をつまんできていた。ラビンスキーが桶を差し出すと、ハンスはすいません、と言ってボロ布を放り込んだ。
「いやぁ、ラビンスキーさん、お待たせしました」
「いえ。先ほどの方は?」
「貴族議会の議員でいらっしゃる、コランド・ド・ゴール様です」
ラビンスキーはコランド教会の方を見た。ハンスは首を横に振り、楽しそうに続けた。
「あぁ、いえいえ。元はペアリスの方です。先先代の頃こちらに嫁がれまして。都市衛生課に理解のあるお方です」
「有難いですね。それはご挨拶しなくては」
ハンスは嬉しそうに頷いた。もしかしたら、かなり古くからの付き合いなのかもしれない。二人は再びゴミを拾いながら見回りを続けた。
それから暫く黙って見回りを続けていると、ハンスは織物通りの手前で突然口を開いた。
「ラビンスキーさん。アレクセイ君のことですが……」
「はい」
「彼の事を余り悪く思わないでくださいね。彼はいつも誠実で、労働と秩序にとても厳格な子です」
ハンスは空を見上げる。空は機嫌が良さそうだった。
「彼はブルジョワの家の四男で、上が父の跡を継ぐので、彼は官僚としての道を目指したそうです。親にとっても安定した収入は嬉しいのでしょう、喜んで送り出されたそうですよ。……ですが、彼は規律に厳格で、その事で家族と揉めていたようですね。家族とも疎遠になり、なんらかの力が働いて、すぐに都市衛生課に飛ばされ、今に至っています」
「はい」
「彼にとって、労働とは自分と社会を繋ぎ止める力でもあるんですよ。そして、労働する者には正当な対価を支払う事こそが、真に公平なあり方だと考えている。だからこそ、その逆は、許せないのでしょう」
ラビンスキーは火挟を桶に掛け、話を聞いていた。
「わかります、気持ちはわかります。ですが、初めから不平等なんです。失脚した人にせよ、手を差し伸べられれば、その人はまた力になってくれる。次の時代につなげてくれるんです」
ラビンスキーはハンスを直視して言った。ハンスはラビンスキーの方を見ないで頷き、黙ってしまう。長い沈黙の後、ハンスはポツリとつぶやいた。
「……個人にできる事は限界があります。それは国も同じ。今の財政がそれを賄えるのかと問われれば、やはり難しいのでしょうね。財政破綻を恐れるならば、やるべきではない」
ハンスの脳内には様々な数字が飛び交っているのだろう。算盤を弾くように自然と手を動かしながら、彼の持つ情報を最大限駆使して計算している。
「例えば……別の国を巻き込みながら、財政基盤を固めるとか、あぁ、折角獲れるアーミンを利用しない手はありませんね……兎に角、今の財源を広げる必要が有るでしょうね。もっとも、私たちの課ではそれもできませんが……」
「……はい」
乾いた冷たい風が道を通り抜ける。二人は体を震わせ、顔を見合わせた。ハンスは少し疲れたように笑う。
「今は、我々にできることをしましょう。幸い、貴方のおかげで心強いパイプができたんですから」
体を縮めながら小走りでかけていく貴婦人と、その後を追うような薔薇の残り香が、二人のそばを通り抜ける。貴婦人の靴は動きやすそうな底の低いものだった。町の隅々に至るまで、排泄物は見当たらない。ラビンスキーも、ハンスに倣って笑顔を返した。
「……そろそろ戻りましょう」
ラビンスキーは火ばさみをカチカチと鳴らす。ハンスは静かに頷いた。




