シゲルという男4
ハンスとラビンスキーが部屋に戻ると、アレクセイは一人積もり積もった苦情の嵐をさばいていた。乞食が糞を狙うので、喧嘩が起こって眠れないとか、町は綺麗になったが、広場に不愉快なものが住みついた等、どれも似通った内容のものだった。アレクセイはお帰りなさい、と言って、直ぐにその山に埋まってしまった。
ラビンスキーはぬくぬくとした暖炉の前をわざとらしく通り過ぎ、上着を掛けた後、自分の席に着く。席は随分と冷えていて、折角朝に温めたのに、というやり場のない悲しみがこみ上げてきた。
アレクセイが郵便物を受け取ってくれていたらしく、ハンスの席には羊皮紙から安物のパピルス書簡まで、様々な手紙が置かれている。一方で、ラビンスキーの机の上には二通だけ、質素なものが置かれていた。
「あれ……?」
ラビンスキーは思わず声を上げる。アレクセイが顔を上げ、微笑んだ。
「初めてですよね。いいなぁー」
「ははは、君もいずれ仕事上の付き合いで来るようになりますよ」
ハンスが眼鏡を掛けながら、楽しそうに笑う。ラビンスキーは暫く放心状態で二通の封筒を見つめていたが、アレクセイが顔を下ろすと我に返り、手紙のあて名を確認した。
一通目には、懐かしい村長、マルコフの名前が刻まれていた。決して高額な紙ではなく、不要な紙の裏にでも書いたのであろう、裏には何かが書かれているらしかった。二通目は、こちらではあまり見られない、現世で慣れ親しんだ白く皺のない封筒であり、小さく丁寧な字で第46柱 ビフロンスと記されていた。
まずはマルコフの封筒を開く。古いインクと獣脂の臭いが混ざり合って漂ってきた。ビフロンスは思わず顔をしかめ、手紙を開く。独特の癖のある文字で書かれた文章は、小さな一枚の紙を覆いつくしている。
親愛なるラビンスキー様へ
お久しぶりです、お元気でしょうか。こんなみすぼらしい紙しかなくて申し訳ありません。しかし、どうしても早急に御礼したく、手紙を書かせていただきました。
我々の村の周囲に巣食っていたいた狼も去り、兎や鹿を食糧にしながら、何とか飢えをしのぐ日々ではありますが、燕麦の手立ても何とか間に合い、春には農耕を始められそうです。その際には、厚かましいことは重々承知しておりますが、是非ともお力をお貸し頂ければと思います。
ところで、私たちはこれまで、自分たちの畑を個人の所有物であるからと細切れにして各々農業を営んでおりました。しかし、この度、生産性の向上の為に、畑の区分けを取り去ることを決心いたしました。
それだけではありませんよ?三圃制ではなく、畑を一つにするのです。実はこれ、今は亡き村人の一人が行っていた農法なのですが、冬にはライ麦を育て、それからクローバー、大麦、カブ、と順番に育てるんです。初めは皆その奇行に首をひねっていたのですが、それによって休まずに何かを作ることができる事に、私たちはやっと気付いたのです。どうですか?凄いでしょう?大発見ですよ、これは。いつか生活が安定してきたら、大麦の代わりに小麦に換えられたら素敵だななどと、ひそかに考えているのです。ちょっと無茶ですかね……?でも、最早どん底にある私達には、ずっと前を向く事しかできないのです。夢を追いかけることは、むしろ苦境にあってこそ、価値があるのではないでしょうか。
……こんなことを書いていますが、実は、皆さんが見えた際には、何一つ信頼する気にはなれなかったのです。村の人々もどんどん気持ちが沈んでいき、誰一人希望を持てないまま、静かに死んでいくのだろう、そう考えていたのです。加えて、がりがりにやせ細った男たちに、狩りをしようなどというあの少年の話を聞いた際には、内心では我々を殲滅する気かと憤慨したものです。しかし、結果的には助けられてしまいました。彼はしっかり村人の安全を確認しながら、狼を追い払い、商業路を確保してくださったのですから。その姿を見て、私は貴方を信じてみようと思ったのですよ。貴方の言葉遣いや、器用ではないが随所に見えるお心遣いが思い浮かび、私を決心させたのです。こんな絶好の機会にこの村を終わらせるわけにはいかないと、背負った責任は、しっかりと返さなければいけない、と。
申し訳ありません。貴方には話したいことが沢山あるのです。それ程、あの時の出会いは私たちを、少しずつ変えてしまったのです。ですから、また機会がございましたら、ぜひ村にいらしてください。食べきれないくらいの豪華な食事を用意して、お待ちしております。村人一同、心よりお待ちしております。
マルコフ
思わず視界が霞む。自分が密接に関わった訳ではないと言われるかもしれないが、上辺だけの言葉かもしれないが、こうして形を持って礼をもらえる事は素直に嬉しかった。
(今度ユウキにご飯でも奢ろうか……)
ラビンスキーは村人が忙しなく動く様を想像すると、胸が熱くなった。手紙を静かにたたみ、鞄に大切に仕舞う。思わず綻んだ顔を引き締め、次の手紙を開く。教科書のような、一切癖のない文字が記されていた。
拝啓
冬の厳しい寒さも徐々におさまり、仄かな春の息吹を感じるこの頃、ラビンスキー様も益々ご清栄の事とお慶び申し上げます。
この度、異世界転生の特例に関する法律に基づきオリヴィエスに転生をされた皆様に対し行っております、アンケートへのご協力を頂きたく、お手紙を書かせて頂きました。
本アンケートでは、皆様の現状、異世界生活でのご不明な点や、異世界転生の特例に関する法律について感じたことなどを、ご回答頂くものです。頂いたご回答については審議の上、今後のご参考とさせて頂きます。
お時間のある時で構いませんので、ビフロンス公証人館にお越しください。
ご多忙の事と存じますが、地獄の健全な運営と皆様の安全な生活の為に何卒ご協力お願い申し上げます。
敬具
ビフロンス
(そういえば言ってたな……)
ラビンスキーは思い出すように顔を上げる。もはや昔の事のように思えるが、糞が頭上に降ってきたことが鮮明に思い出され、思わず自嘲気味な笑みを浮かべる。ラビンスキーは休日に向かうことを決めて、その手紙を大切に仕舞い、いつもと変わらない仕事に戻ったのだった。




