第十六話 私の帰る場所
「――ということで、世界意思から正式に都市認定『ローゼンバーグ・ホームティア』の承認が下りた以上、現在のこの城の構造計算は一ミクロンの狂いもなく、法的に、そして物理的に完全無欠です! エレノア様、もうどこにもリフォームの余地なんて残っていません!」
魔王城の最上層に位置する、二人の寝室。
アルカはベッドの脇に設計図のホログラムを広げ、いつになく熱弁を振るっていた。
監査官による大審査をクリアし、国からの強制没収の危機を完全に退けてから数日。
町はお祝いの祝祭ムードから少しずつ落ち着きを取り戻し、平和で穏やかな日常が戻ってきていた。
だが、そんな中で領主エレノアから「大至急、次のリフォームのオーダーがある」と部屋に呼び出されたため、アルカは職人としてのプライドを刺激され、首から魔導測定器を下げて息巻いていたのだ。
「いいえ、アルカ。まだ一箇所だけ、それも私たちの今後の生活の根幹に関わる、極めて重大な『構造的欠陥』が残されているわ」
応接用の椅子に腰掛けたエレノアは、お茶の入ったカップをそっとテーブルに置くと、いたずらっぽく、けれどどこか緊張を孕んだ青い瞳でアルカを見上げた。
「根幹に関わる欠陥……!? 馬鹿な、そんなログは測定器に出ていませんが! 一体どこの区画ですか、エレノア様!?」
アルカが慌てて立体図面をスクロールさせる。
すると、エレノアはゆっくりと立ち上がり、アルカのすぐ目の前まで歩み寄ってきた。
ふわりと、いつもの心地よい薔薇の香りがアルカの鼻腔をくすぐる。
エレノアは顔をぽっと赤く染めながら、自分たちが毎晩使っている、あの大きなキングサイズのベッドを指差した。
「ここよ、アルカ。この部屋、そしてこのベッド……二人でこれから『生涯を共にする』には、あまりにも狭すぎると思わない?」
「……はい?」
アルカの思考回路が、一瞬でフリーズした。
「な、何をおっしゃるんですかエレノア様! このベッドは私が【防湿断熱施工】を施し、幅二メートル以上の有効面積を確保した特級品です! 大人の人間二人が端と端に寝れば、互いのパーソナルスペースを完全に守れる構造計算に――」
「それがダメだって言っているのよ、このバカ建築士!」
エレノアは両手を腰に当て、ツンと顔を上に向かせながら、耳たぶまで真っ赤にして叫んだ。
「あの時の私たちは、まだただの『雇い主』と『職人』だったわ。だから、崩落のトラブルのせいで仕方がなく、お互いの距離を最低限保つための『仮設の共同就寝』として、そのベッドの一番端っこで縮こまって寝ていたでしょう? ……でも、今は違うわ」
エレノアは一歩、アルカとの距離を詰めた。
ドレスの裾がアルカの作業着に触れそうなほど、近い。
「私たちは、生涯を共にすると誓い合ってこの城の住民登録書に署名したのよ? お互いがなくてはならない、世界で一番大切なパートナーになったの。……それなのに、夜になったら『法第十五条に基づき防犯のための適切なディスタンスを確保します』なんて真顔で言って、ベッドの端と端でカチコチに固まって寝るなんて……そんなの、おかしいじゃない!」
「――っ!」
エレノアの、赤裸々すぎるクソデカ感情(本音のオーダー)。
アルカは頭からポッポと湯気が出そうなほどに顔を真っ赤に染め上げ、手元の魔導測定器を落としそうになった。
「つ、つまり……エレノア様は、その……もっと、私と物理的・空間的に密着して眠りたい、と……そういう構造のご提案ですか……?」
「そ、そこまでストレートに言い換えなくていいわよ、恥ずかしいじゃないの!」
エレノアは身悶えするように顔を両手で覆ったが、指の隙間から、潤んだ青い瞳でアルカをじっと見つめ返した。
「……私はね、寒がりなのよ。あなたが隣にいないと、夜中に寒くて目が覚めちゃうの。それに……あなたが隣で私の手を握ってくれていないと、もう安心して眠れなくなっちゃったのよ。だから、アルカ。これは領主としての公式なオーダー。この部屋を、私たちがただの同居人として耐える場所じゃなくて――二人で本当に幸せに、寄り添って暮らすための『本当の家』にリフォームして頂戴」
お嬢様の、可愛すぎる我が儘。
それを聞いたアルカの胸の奥で、職人としての、そして一人の少女としての感情が、限界突破を起こして激しく波打った。
(ああ、もう本当に、この人は……。私の心臓の耐久度を全く計算に入れていない……!)
「……了解、しました」
アルカは真っ赤な顔のまま、腰の魔導木槌を強く握りしめた。
「お抱え建築士として、施主様の要望を無視するわけにはいきません。第十四工区『二人の寝室・増築および空間意味変更リフォーム』、最大出力で施工します!」
ドン!! とアルカが魔導木槌を寝室の床に打ち付けると、部屋全体が、これまでにないほど温かく、優しい黄金の光に包み込まれた。
「建築魔法――【空間拡張】、および【内装愛着変質】!」
アルカが木槌を大きく一閃すると、部屋の奥の壁面が生き物のようにうごめきながら、パズルみたいに組み換わり、バルコニーへと続く大きな窓が新しく増築されていった。
そこから、城を囲む美しい町の夜景と、満天の星空が部屋いっぱいに流れ込んでくる。
カビ臭かった古い石壁の面影は完全になくなり、全体が温かみのある白ラベンダー色の漆喰と、高級感あふれるウォルナット材のウッドパネルによって、息を呑むほど洗練された「スイートルーム」へと生まれ変わっていった。
「さらに、問題のキングサイズベッドを【物質統合】!」
アルカがベッドに木槌を向け、魔力を流し込む。
すると、二台のシングルの骨組みを無理やり繋ぎ合わせていた古いベッドが融解し、中央の不自然な隙間(境界線)が完全に消失した、ふかふかの特製マリッジサイズベッドへと劇的ビフォーアフターを遂げた。
シーツの素材も、エレノアの肌に優しい最高級の魔導シルクへと変質している。
「仕上げに、法第百三十条『生涯を共にする二人の空間においては、互いの吐息や心音が心地よく共有されるよう、音響構造の反響率を最適化すべし』!」
アルカがパチンと指を鳴らすと、部屋の空気がカチリと変わり、外の町の賑やかな音が適度に遮断され、部屋の中の二人の呼吸の音だけが、耳元に優しく残るような極上のプライベート音響空間が完成した。
すべての光が収まり、リフォームが完了した。
そこにあったのは、ただの魔王城の一室ではない。
二人の少女の心が、完全に一つに溶け合うための、世界で一番甘くて安全な「愛の巣」だった。
「できた……。これで『生涯同居基準』、完全クリアです……」
アルカが真っ赤な顔でゼェゼェと息を切らしながら木槌を収めると、エレノアは新しくなった部屋のあまりの美しさと温かさに、ぽうっとため息を漏らした。
「素晴らしいわ、アルカ……。本当に、世界一の仕事ね」
エレノアは新しくなったふかふかの大きなベッドへと歩み寄り、シーツの上に腰掛けた。
そして、自分の隣のスペース――遮るもののない、アルカのための特等席をトントンと優しく叩いた。
「ほら、お疲れ様、アルカ。あなたもこっちに来て、一緒に新しいベッドの寝心地を確かめましょう?」
「うぐっ……、失礼、します……」
アルカは心臓をバクバクと高鳴らせながら、おずおずとエレノアの隣へと腰を下ろした。
新しくなったベッドは驚くほど柔らかく、二人の体重でわずかに沈み込み、自然と二人の肩と太ももが、ぴたりと隙間なく密着した。
部屋の天窓からは、美しい満天の星空が二人を優しく照らしている。
外の商店街からは、住民たちが楽しそうに笑う微かな声が聞こえ、自分たちが作り上げた「理想の街」がすぐ側で息づいていることを教えてくれた。
「ねえ、アルカ」
エレノアが、アルカの顔を覗き込んできた。
星空の光を浴びた彼女の青い瞳は、世界中のどんな宝石よりも綺麗だった。
「……はい、エレノア様」
「私ね、王都にいた頃は、自分の部屋っていうのは、豪華な家具で他人を圧倒するための『戦場』だったの。誰も信じられなくて、毎晩、夜の闇が怖くて、ベッドの中で一人で震えていた。……でもね、あなたがこの城を一つずつ直して、私の隣にいてくれたから……私、生まれて初めて、夜が来るのが楽しみになったのよ」
エレノアはそっと、アルカの手首を掴むと、指を一本ずつ絡ませるようにして、強く、優しく、恋人繋ぎで手を握りしめた。
「ここが、私の本当の『帰る場所』よ。あなたがいてくれるこの部屋こそが、私の世界でたった一つの『家』なの。……アルカ、私はもう、あなたのいない未来なんて、一秒も想像できないわ」
「エレノア様……」
アルカは、エレノアの手の温もりを、その強いクソデカ感情(愛)を、全身の構造体で受け止めた。
はっきりと「付き合ってください」とか「恋人になってください」という形式的な告白の言葉は、お互いに口にはしなかった。
けれど、繋いだ手の強さと、見つめ合う互いの瞳の熱さだけで、二人の気持ちはもう、言葉の限界(規定値)を遥かに突破して、完全に通じ合っていた。
「……私も、同じです」
アルカは少し顔を伏せ、けれど強く、エレノアの手を握り返した。
「私は無愛想で、法律と建物の話しかできないポンコツな職人ですが……エレノア様が作ろうと言ってくれたこの街が、そして、あなたが大好きです。……これからも、ずっとずっと、あなたの隣のこの『特等席』で、あなたのための建物を建て続けさせてください」
「ええ……! もちろんよ、私の、世界で一番大切な建築士さん!」
エレノアは嬉しそうに涙を浮かべて微笑むと、アルカの肩にコトン、と自分の頭を預けた。
アルカもまた、その愛おしい金髪の縦ロールの温もりを感じながら、優しくエレノアの肩を抱き寄せた。
かつて誰にも住めないと言われた最凶の魔王城。
その最深階の、新しく生まれ変わった暖かい部屋の中で。
少女二人の、生涯を共にする新生活が、今ここから、最も甘く、最も強固な形で、本当のスタートを切ったのだった。




