第十一話 領主令嬢のお茶会
「――おーほっほっほ! これが噂の『魔王城の再建領地』ですって? 笑わせないで頂戴。ただの陰気な廃墟に、薄汚い魔物と行商人が群がっているだけじゃないの!」
魔王城の中層に位置する、新しく修復されたばかりの『迎賓室』。
そこに響き渡ったのは、ガラスを引っ掻いたような、高慢極まりない甲高い笑い声だった。
声を上げたのは、王都からやってきた視察団の代表――エレノアがかつて王都にいた頃、旧知の仲(そして一方的にライバル視されていた)貴族令嬢のクロエ・フォン・ガルトナーだった。
彼女の後ろには、エレノアの没落を鼻で笑い、現在の生活を嘲笑するために同行してきた、華美な衣装に身を包んだ元貴族たちが数名、扇子で鼻を覆いながら控えている。
「お久しぶりね、クロエ。はるばる王都からこんな辺境まで、私の領地を視察にきてくださるなんて、物好きなことですこと」
対するエレノアは、応接用のソファに腰掛け、凛とした態度でクロエを見据えていた。
身にまとっているドレスは相変わらず擦り切れて色褪せたものだったが、その気品に満ちた佇まいと、迷いのない青い瞳は、むしろ王都にいた頃よりも遥かに眩しく、圧倒的な「領主」の威厳を放っている。
クロエたちは、案内された迎賓室の内装を見て、内心では激しく動揺していた。
それもそのはず、アルカが急遽リフォームを施したその部屋は、魔王城の不気味さを完全に払拭し、磨き上げられた純白の石壁と、天井の天窓から差し込む美しい光によって、信じられないほど洗練されたモダンな空間へと生まれ変わっていたからだ。
「ふ、ふん、部屋の骨組みだけはそれなりに整えたようだけれど、ローゼンバーグ家の娘としての『見栄』はどこへ行ったのかしら?」
クロエは悔しさを隠すように、テーブルの上に並べられた家具や食器を扇子で指差した。
「王都の一流職人が作った金銀細工の食器もなければ、最高級のシルクの絨毯もない。並んでいるのは、そこらの平民が使うような粗末な木製の家具に、見たこともない安っぽいお菓子だけ。やっぱり、没落すると感性まで貧相になるのね!」
その言葉に、部屋の隅で控えていたアルカの魔導測定器がピクリと反応した。
だが、アルカが口を開くより早く、エレノアがそっとグラスを持ち上げた。
「ええ、その通りよ、クロエ。ここには、私が『見栄を張るためのもの』は、ただの一つも置いていないわ」
「は、何ですって?」
クロエが眉をひそめる。
「このテーブルと椅子はね、西側城壁に住むゴブリンの職人たちが、私たちのために一生懸命に木を削って作ってくれたものよ」
エレノアは愛おしそうに木目を撫でた。
「このテーブル、ゴブリン製ですって!?」
「ええ」
「がたついたりしないの?」
アルカが無言で測定器を当てる。
「水平誤差〇・二ミリです。王都の高級家具より精度が高いですね」
「ぐぬぬ……!」
悔しげに唸るクロエへ、エレノアがさらに言葉を続けた。
「そして、今あなたたちの前にあるお茶と焼き菓子は、城内の商店街に店を構えてくれた人間のパン屋と、魔族の少女ミナが、今朝一番に焼いてくれたもの。……王都の退屈な夜会で出される、誰が作ったかもわからない冷え切った高級品なんかより、何百倍も温かくて美味しいわ」
エレノアはクロエの目をまっすぐに見つめ、誇らしげに微笑んだ。
「私はもう、誰かを見下して自分の価値を証明するような、そんな空っぽな世界には生きていないの。この城の住民たちが、私のために作ってくれたものだけで、私はじゅうぶんに満たされているわ」
「――っ!」
エレノアの、一片の迷いもない「精神的成長」を叩きつけられ、クロエは言葉を失って顔を真っ赤に染めた。
視察団の他の貴族たちも、エレノアの放つ本物の『領主』としての器の大きさに気圧され、黙り込んでしまった。
お茶会(という名の完全な論破)が一時休憩となり、視察団の貴族たちが城内の庭園を渋々眺めに向かった時のことだった。
アルカは迎賓室の片付けをするため、トレイを持ってテーブルの前に立っていた。
そこへ、おもしろくなさそうな顔をしたクロエが、足音を忍ばせて近づいてきた。
「……ねえ、あなた。そこの建築職人の少女」
クロエはアルカの前に立つと、値踏みするような嫌らしい視線で、アルカの作業着や腰の魔導木槌を見つめた。
「……何でしょうか、ガルトナー様」
アルカは無愛想なプロの顔を崩さずに応じる。
「話は聞いているわ。この魔王城の驚異的なリフォームは、すべてあなたの『建築魔法』によるものなんですってね?」
クロエはアルカにさらに一歩近づき、耳元で怪しく囁きかけた。
「信じられないわ。あなたほどの若く、圧倒的な才能を持った一流の職人が、なぜあんな何も持たない没落令嬢なんかに縛られているの? あんな擦り切れたドレスしか着られない女の下にいたって、まともな報酬も名誉も得られないでしょうに」
「……」
「ねえ、私のガルトナー家へ来ないかしら? 王都に新しい劇場を建てる計画があるの。あなたのその魔法があれば、きっと素晴らしいものが建てられるわ。ガルトナー家の専属になれば、金貨なんていくらでも払ってあげる。王都の一流建築組合にも口を利いて、あなたを最年少の『宮廷建築士』の座に就かせてあげてもいいわよ?」
クロエはアルカの肩にそっと手を置き、甘い言葉で引き抜きを図ってきた。
王都で孤独に干されていた頃のアルカなら、あるいは喉から手が出るほど欲しかった条件だったかもしれない。
宮廷建築士は、すべての職人の憧れの極みだからだ。
しかし――アルカが口を開くより先に、部屋の入り口の扉が、激しい音を立ててバァン!! と開け放たれた。
「――そこまでよ、クロエ!!」
現れたのは、肩を激しく上下させ、青い瞳に怒りの炎(あるいはそれ以上のもの)をギラギラと燃え上がらせたエレノアだった。
「エッ、エレノア……!?」
クロエが驚いてアルカの肩から手を離す。
エレノアは凄まじい足取りで歩み寄ると、アルカとクロエの間に強引に割り込み、アルカの体を自分の背後へと隠すようにして立ちはだかった。
「ちょっと、私のいない隙に、人の大事な建築士に色目を使って、姑息な引き抜き工作なんてしないで頂戴!」
「い、色目なんて人聞きの悪い! 私はただ、優秀な職人にまっとうな将来を提案してあげただけよ! あなたみたいな貧乏領主に囲い込まれているなんて、この子にとっても不幸じゃないの!」
クロエが反論するが、今のエレノアには一切通用しなかった。
「不幸なわけがないでしょう! この子はね、私のローゼンバーグ領の、世界一の天才お抱え建築士なのよ! 王都の劇場なんかより、この最凶ダンジョンの底に理想の街を建てるという、世界で一番壮大で最高な仕事がここにはあるの! 金貨や名誉なんかで、この子と私の『契約』を買い叩けると思わないで! アルカは私の――!」
「私の?」
思わず聞き返したアルカに、エレノアは真っ赤になった。
「……専属建築士よ!」
「今、一瞬別の言葉を言いかけました?」
クロエが意地悪そうに口元をつり上げる。
「言いかけてないわよ」
エレノアは完全に激昂していた。
その様子は、単に「貴重な戦力を奪われそうになった領主」のそれではない。
自分の最も大切なプライベートな領域(心の拠り所)を他人に侵され、アルカという少女を他人の女に奪われそうになったことに対する、凄まじい、猛烈な『嫉妬』の嵐だった。
「……もう行くわよ! こんな無礼な視察団、これ以上この城に置いておく必要はありません! クロエ、あなたたち今すぐ王都へ帰りなさい! 出入り禁止(営業停止)よ!」
「な、なによあいつ……! 没落したくせに、相変わらず傲慢なんだから! 行きましょう、みんな!」
エレノアの凄まじい剣幕に恐れをなしたのか、クロエたちは捨て台詞を残し、逃げるように迎賓室から、そして魔王城から去っていった。
視察団が去り、再び静まり返った迎賓室。
エレノアはふんっ、と大きく鼻を鳴らし、腕を組んだまま窓の外を睨みつけていた。
その横顔は、見たこともないほどに不機嫌そのものだった。
「……あの、エレノア様」
アルカが恐る恐る、背後から声をかける。
「何かしら」
エレノアは振り返りもせず、ツンとした声で応じる。
「ガルトナー様の言う通り、私はただの雇われ職人ですよ? そんなにムキになって怒らなくても……」
「ムキになってないわよ!」
エレノアがガバッと振り返った。
その頬は、怒りと、そして自覚してしまった羞恥のせいで、綺麗に赤く染まっていた。
「私はただ、あなたが……あなたが、あの女の甘い言葉に乗せられて、王都へ帰っちゃうんじゃないかって……、私を置いて、いなくなっちゃうんじゃないかって、そう思ったら……胸のあたりが、信じられないくらいモヤモヤして、苦しくなっただけよ!」
エレノアはそこまで一気に捲し立てると、自分の言葉の破壊力(クソデカ感情)に気づいたのか、ハッと両手で口を覆った。
「……」
アルカは、そんなエレノアの姿を見つめ、心臓が波打つのを感じていた。
いつも強がって、プライドを盾にしているお嬢様が、自分を失うことをこれほどまでに恐れ、剥き出しの独占欲(嫉妬)を見せてくれたのだ。
職人としてではなく、一人の少女として、これほど胸が熱くなる構造はなかった。
アルカはゆっくりとエレノアの前に歩み寄り、その強張った細い手首を、優しく、けれどしっかりと掴んだ。
「エレノア様」
「な、なによ……。まだ私を笑うつもり?」
「笑いません。……私はどこにも行きませんよ」
アルカはエレノアの青い瞳を、まっすぐに見つめて微笑んだ。
「宮廷建築士なんて、今の私にはどうでもいい肩書です。私の建築魔法は、あなたが居場所をなくした人たちのために作った、この温かい城門や、このお茶会のためにあるんですから。あなたが私をクビにしない限り――いいえ、クビにされても、私はあなたの隣で、ずっと建物を直し続けます」
「アルカ……」
エレノアの瞳に、じわりと涙が浮かぶ。
彼女は掴まれていた手をすっと解くと、今度は自分から、アルカの作業着の裾をきゅっと握りしめた。
「……本当ね? 嘘をついたら、迷宮建築法違反で逮捕しちゃうんだから」
「嘘は言いません、プロですから。……あ、でも、エレノア様がさっき『大事な建築士』って言ってくれたの、構造計算(録音)しておけば良かったですね」
「も、もう! バカ! アルカのバカ!」
迎賓室に、いつもの二人の賑やかな、けれどこれまで以上に甘く、確かな絆の音が響き渡る。
初めての『嫉妬』という試練を乗り越え、二人の心は、コンクリートのように固く結びついたのだった。




