第十話 魔王城に店を開こう
「――ちょっと、アルカ! これを見て頂戴! 私の目に狂いがなければ、あそこに並んでいるのは『不法占拠の露店』ではなく、本物の移動行商人の馬車よ!」
魔王城の白銀の城門前。
エレノアは興奮を隠せない様子で、新しく直した堅牢な城壁から身を乗り出し、荒野の向こうを指差した。
そこには、数台の頑丈な幌馬車が列をなしていた。
魔王城が「安全で快適な場所に生まれ変わっている」という噂、そして「どんな怪我もたちまち癒やす極上のスライム温泉がある」という奇妙な話を聞きつけ、王都の周辺から命知らずの行商人や、訳ありの職人たちが様子を伺いにやってきたのだ。
「……確かに、人間の商人が集まってきていますね。エレノア様、彼らの数値を測定しましたが、不信感と、それ以上に『この場所で一儲けしてやろう』という旺盛な商業意欲が検出されています」
アルカはゴーグルを指先で叩きながら、冷静にカルテに数値を書き込んだ。
馬車から降りてきたのは、丸い腹に革の前掛けをした髭面の老行商人だった。彼は白銀の城門の美しさと、西側城壁のゴブリン長屋から漂う平和な空気に目を丸くしていたが、同時に、首を横に振ってため息をついた。
「噂は本当のようだな、お嬢ちゃんがた。これほど安全で、水も空気も綺麗な魔王城なら、仕入れた商品を並べる価値はある。……だが、やはりここに定住するのは恐ろしい。これだけ広い城なのに、風雨を凌げる『まっとうな店舗』がどこにもないじゃないか。青空市場じゃあ、夜の魔霧で商品が痛んじまうよ」
商人たちの言葉は、もっともだった。
彼らは城の快適さに驚きつつも、「商売の基盤」となるインフラがないため、定住を足踏みしていたのだ。
「店舗、ですか……」
「店は欲しいが、家賃は安くしてくれよ」
「では建物の安全等級を下げますか?」
「命まで値切るつもりはない!」
アルカが顎に手を当てて考え込んでいると、隣に立つエレノアが、不敵で、かつ最高に気高き笑みを浮かべて一歩前に出た。
「だったら、作ればいいだけじゃない! 商人の方々、よく聞きなさい! この魔王城の領主であるエレノア・フォン・ローゼンバーグが約束するわ。あなたたちが誰の目を気にすることもなく、最高の商売ができる『世界一安全な商店街』を、今からこの城の中に建ててみせるわ!」
エレノアの大胆不敵な宣言に、商人たちは「まさか」とざわめき立った。
アルカはそんな彼女の横顔を見て、呆れ顔の裏で、胸が激しく高鳴るのを抑えきれなかった。
「……言うと思いました。エレノア様、またとんでもない大規模オーダーですね」
「あら、できないと言うの? 私の天才建築士さん」
エレノアが挑発するように上目遣いで覗き込んでくる。
「まさか。法第九十条『多数の者が往来する商業用複合施設においては、円滑な通行を担保する動線計画、および各店舗の独立性を保証する防火区画を設けねばならない』。……ちょうど、一階の『旧・魔王軍兵舎エリア』の広い空き部屋群が使い道に困っていたところです。あそこを丸ごと、最先端の魔導モールに大改修しましょう!」
アルカは巨大な魔導木槌を肩に担ぎ、不敵に微笑んだ。
「第八工区『旧兵舎跡地・魔王城中央商店街設立工事』、適合改修を開始します!」
ドン!! とアルカが魔導木槌を旧兵舎エリアの入り口に打ち付けると、城内の構造材がメキメキと音を立てて激しく駆動し始めた。
「建築魔法――【大空間間仕切り(エリア・パーティション)】、および【多機能店舗ファサード構築】!」
アルカが木槌を大きく一閃すると、かつて魔王軍の槍や盾が雑然と転がっていた広大な石造りの大部屋が、魔法の光に包まれて滑らかに融解していった。
続いて、中央に幅五メートルの広い「中央通路」が走り、その両脇には、それぞれ独立した頑強な『防火耐魔レンガ』によって区切られた、十数軒もの美しい店舗用テナントが規則正しく並んで構築されていく。
「法第九十三条『飲食店、鍛冶場など、火気を多量に使用する店舗においては、個別に一時間以上の耐火性能を有する隔壁を設けるべし』! パン屋と鍛冶屋の予定地には、特別仕様の『二重耐火魔導炉』を最初からビルトイン(埋め込み)で施工します!」
アルカが床を叩くと、特定の区画にピカピカのオーブンと、赤く燃え盛る鍛冶炉の素体がズドンと出現した。
「わあ……! すごいの! お店がいっぱいなの!」
後ろからは、魔族の幼女ミナと、西側城壁から様子を見にきたゴブリンたちが「きゅきゅー!」と目を輝かせて歓声を上げている。
それだけではない。
アルカの工事を手伝うため、ゴブリンたちが小さな手で木材を運び、ミナが「がんばれー!」と応援する。
ただの「アルカ一人の建築」ではなく、城の住民たち全員が協力する、活気あふれる現場がそこにはあった。
「仕上げに、法第九十五条『商業施設における床面は、長時間の歩行による疲労を軽減し、かつ、物資の搬入が円滑に行える平滑度を維持すること』!」
アルカが通路の床をトンと叩くと、デコボコだった黒い岩肌の床が、歩きやすく、見た目にも美しい、温かみのあるテラコッタ調のタイル床へと一斉に変質していった。
各店舗の入り口には、可愛い木製の看板が掲げられ、いつでも開店できる状態に整う。
すべての光が収まり、大工事が完了した。
そこにあったのは、かつて禍々しい軍勢がひしめいていた、陰惨な兵舎の面影ではない。
王都の市場よりも機能的で、どこか温かい活気に満ちた、素晴らしい「城内屋内商店街(魔王城モール)」だった。
「できた……! これで商業建築基準、完全クリアです!」
アルカが満足げに額の汗を拭うと、様子を見ていた人間の商人たちは、完全に腰を抜かして驚愕していた。
「な、なんてこった……。これほどの店舗が、ものの数時間で……」
「おい、この鍛冶炉の魔導排気システムを見てみろ! 王都の一流工房でもお目にかかれない代物だぞ!」
「ここで商売をさせてくれ! いや、させてください、領主様!」
商人たちは手のひらを返したように、エレノアの前へ群がり、口々に定住と出店を懇願し始めた。
エレノアは気高く胸を張り、彼らを見渡した。
「ええ、歓迎するわ! ただし、この城のルール――人間も魔物も関係なく、互いを尊重し合うこと。それを守れる者だけよ!」
「もちろんだ!」
「ゴブリンの旦那、よろしくな!」
人間の商人と、ゴブリンたちが、新しく完成した商店街の真ん中で、おずおずと、けれど確かに握手を交わす。
工事を通じて、ただの「二人(と一匹)の隠れ家」だった魔王城が、ついに多くの人々が息づく、本物の「町」へとその産声を上げた瞬間だった。
☆
夕方になり、新しく開店したパン屋から、香ばしく優しい匂いが商店街いっぱいに広がっていた。
人間の行商人が持ち込んだ珍しい果物や小物が並び、ミナがゴブリンたちと一緒に楽しそうにそれを選んでいる。
アルカは商店街の様子が一望できる二階のテラスの手すりに寄りかかり、心地よい賑わいを見つめながら、そっと息を吐いていた。
「……ずいぶんと、遠いところまで来てしまいましたね」
「何がかしら、アルカ」
背後から、薔薇の甘い香りと共に、エレノアが歩み寄ってきた。
彼女の手には、商人から領主への挨拶代わりとして贈られたという、温かい果実水が二つのグラスに入って握られていた。
「はい、お疲れ様。世界一の建築士さん」
「……ありがとうございます、エレノア様」
アルカはグラスを受け取り、喉を潤した。
甘酸っぱい果実水が、疲れた体に心地よく染み込んでいく。
「最初はね、ただ一晩眠れる場所があればいいと思っていたのよ」
エレノアはアルカの隣に並び、手すりに細い腕を預けて、下の商店街を見下ろした。
その青い瞳には、新しく生まれた町の灯りが、キラキラと美しく反射していた。
「でも、あなたの魔法で門が直り、寝室が暖かくなり、地下牢が美味しい食堂に変わるたびに……私、欲張りになっちゃったのね。あの子たちの笑顔を見ていたら、この温もりを、もっとたくさんの、行き場のない人たちに分けてあげたいって、本気で思うようになったの。……すべては、あなたが私の隣にいてくれたからよ、アルカ」
エレノアはふっと顔を横に向け、アルカの横顔をじっと見つめた。
「ねえ、アルカ。あなた、本当は……最初の頃より、ずっと楽しそうに仕事をしているわよね? あなた、本当はこの城のことが――いいえ、この場所のことが、好きでしょう?」
「――っ」
アルカはグラスを持つ手をピクリと震わせ、慌てて視線を逸らした。
「……何を、おっしゃるんですか。私はただ、雇われた職人として、契約以上の仕事を……」
「嘘をつきなさい。あなたのその測定器を覗かなくたって、今のあなたの顔を見ればわかるわ」
エレノアはくすくすと意地悪に笑うと、アルカの顔を覗き込むように距離を詰めた。
「王都にいた頃のあなたは、誰にも理解されずに、ただ黙々と建物を直すだけの人形のような職人だったって、自分で言っていたじゃない。でも今のあなたは違うわ。あなたが作ったこの商店街で、人間も魔物も、みんなが『すごい』って喜んで、笑っている。……それを見ているあなたの目、すっごく優しくて、キラキラしているもの」
「……」
アルカは反論を試みようとしたが、喉の奥で言葉が仕え、結局、小さくため息をついて白旗を上げた。
「……ずるいです、エレノア様。本当に、構造計算(ひとを見る目)が正確すぎます」
アルカは少し顔を赤くしながら、けれど隠すことなく、自分の本当の気持ちを口にした。
「……ええ、そうですね。認めますよ。私は、この城が好きです。王都の商人たちのように、見栄や利益のために建物を値踏みするんじゃなく……私が作った場所で、みんなが本当に幸せそうに暮らしてくれている。建築士として、これ以上の贅沢はありません。……そして」
アルカは、勇気を出して、エレノアの青い瞳をまっすぐに見つめ返した。
「その場所を、私に『作ってほしい』と言ってくれたエレノア様のことが……私は、その……」
「私の、何かしら?」
エレノアが、いたずらっぽく、けれどどこか期待に満ちた目で、アルカの次の言葉を待つ。
「……なんでもありません! とにかく、お抱え建築士として、この街を世界一安全な場所に保ち続ける責任がある、と言いたかっただけです!」
「ふふ、また法律の裏に隠れたわね。可愛い子」
エレノアは嬉しそうに笑うと、アルカが持っていたグラスをそっとテラスの台に置き、空いたアルカの右手を、自分の両手でぎゅっと握りしめた。
「いいのよ、言わなくても。あなたのその手の温もりだけで、私にはじゅうぶんに伝わっているから。……これからも、私の隣で、たくさんの理想を形にしてね、アルカ」
「……はい。仰せのままに、私の領主様」
夕暮れの光のなかで、手を繋ぎ合う二人の十代の少女。
ただの荒れ果てた魔王城の廃墟だったその場所は、彼女たちの絆の深まりと共に、誰しもが笑って生きていける、世界で一番温かい「町」としての土台を、完全に完成させた。




