4-06 定時で帰りたい俺のダンジョン配信設計
七通目の不採用通知を受け取ったその日、三十二歳の元設備管理・橘迅は、偶然見ていたダンジョン配信で崩落事故の予兆を見抜く。しかも彼の目には、危険箇所と退路が“設計図”のように見えていた。コメント欄から指示を飛ばし、事故寸前の配信パーティーを救った迅は、安全管理役として臨時参加を依頼される。戦う力はない。だが、壊れかけた構造と、人が事故る動線だけはわかる。事故らない配信で再起を目指す彼だったが、ダンジョン内で見つけたのは、人為的に仕掛けられた崩落の痕跡だった。
ダンジョンが東京湾岸に最初の口を開いてから十二年。
失業保険の相談窓口の隣に探索者登録の案内が貼られるようになっても、三十二歳の元設備管理── 橘 迅を雇いたがる会社は、どうやらどこにもないらしい。
七通目の不採用通知を閉じた瞬間、スマホの向こうで誰かが叫んだ。
『うわ、待っ、天井──!』
反射で顔を上げる。
通知が来るまで眺めていた動画サイトのおすすめに流れてきたのは、登録者数千人にも届かないダンジョン配信だった。若い男女四人組が、地下二層の石通路でレア鉱石だの今日の同接だの、気楽に笑い合っている。
だが、俺の目には別のものが見えていた。
右壁の根元。
天井の噛み合わせ。
石材の継ぎ目に走る、細い白い筋。
ビルの配管でも駐車場の梁でも、壊れる前の構造は似た顔をする。荷重の逃げ方が一枚だけおかしい。
「……あれ、保たないぞ」
呟いた瞬間、視界の中に青い線が走った。
崩落範囲。
亀裂の起点。
退避に使える床。
現場で使っていた点検図みたいに、危険箇所がくっきり浮かび上がる。
わけがわからない。
だが、わかることはある。
今すぐ退かないと潰れる。
俺はコメント欄に打ち込んだ。
『右壁から離れろ。前に走るな。左後方、二本目の松明の横まで三歩』
当然、コメント欄は荒れた。
『誰だよ』
『指示厨きた』
『また有識者ニキ?』
画面の中で盾役らしい男──真琴が苦笑する。
「いやいや、いきなりそんな――」
天井が鳴った。
石と石が擦れる、あの嫌な音。
俺にとっては、残業確定の音だ。
「下がれ!」
思わず現実でも叫びながら、さらに打つ。
『左だ! 二本目の松明! そこだけ荷重が逃げてる!』
先頭の真琴が目を見開いた。
「由良、こっちだ!」
由良と呼ばれた最後尾の赤ジャケットの女の腕を掴み、四人がもつれるように飛び退く。
その直後だった。
さっきまで四人がいた場所へ、天井がまとめて落ちた。
轟音。
砂煙。
コメント欄が一気に流れる。
『うわああああ』
『当たった!?』
『今のコメなかったら終わってたろ』
『誰だこの人』
『録画残せ録画!』
俺自身が一番混乱していた。
だが青い線は消えない。
崩れた先の空洞。
次に割れる継ぎ目。
避難に使える床。
全部が図面みたいに見える。
画面の中の真琴が、カメラ越しにこちらを見るように言った。
「コメントの人、まだいるか。いたら、次も頼む」
三秒だけ迷った。
三秒で済んだのは、あの四人の運が良かったからだ。
異常を見つけたのに対応が遅れて、あとから事故報告書を書く羽目になる。あれほどみじめな仕事を、俺はもう二度とやりたくない。
『十秒待て。赤ジャケット、足首を捻ってる。肩を貸せ』
『次の角で上を見るな。羽音に反応して群れる』
『床の色が濃い場所は踏むな。下に空洞がある』
「え、なんでわかるの!?」
と由良が叫ぶ。それに対し、
「いいから従え!」
と真琴が怒鳴るように声を上げた。
四人は半信半疑のまま進み、俺の指示どおりに崩落と魔物の巡回を避けていく。
俺に見えているのは未来じゃない。
構造の弱点と、人が事故る動線だ。
前職で叩き込まれた最悪予測が、変な方向に伸びただけ。
それでも助かるものは助かる。
出口が見えたところで、俺は最後の一文を打った。
『今日は切り上げろ。これは撮れ高じゃなくて是正案件だ』
配信が止まる直前、コメント欄に別の空気が混ざった。
『事故芸じゃなくてガチ案件だった』
『この人固定で入れろ』
『安全管理の人、普通に必要だろ』
『スポンサー目線だと今日の撤退判断は正解』
スポンサー目線。
その言葉に、嫌な汗が滲む。
十分後、知らない番号から着信が来た。
「橘さん、ですか?」
聞こえてきたのは、先程の配信で聞いた赤ジャケットの女の声だった。
「配信の運営経由で連絡先を……すみません。今、協会の支部にいるんですけど、来てもらえませんか」
「俺は探索者じゃない」
「だからです。戦えないのに、一番事故を防いでた」
その一言が、やけに深く刺さった。
前の会社で俺の仕事は、だいたい“何も起きなかったから目立たない”で片づけられてきた。
防いだ事故は数字になりにくい。
何も起きなかった一日ほど、上には伝わらない。
けれど今日は、それを見ていた人間がいた。
口座残高を思い出し、俺は立ち上がった。
△▼△▼△▼
辿り着いた協会第三支部の面談室には、配信の四人が揃っていた。
盾役の真琴。
槍使いの蓮。
回復役の千景。
赤ジャケットの由良。
卓上にはペットボトルのお茶と、さっきの切り抜き動画の再生数。
「率直に言います」
真琴が頭を下げた。
「俺たちに、安全管理として入ってほしいです」
俺のお陰で助かったんだ、仲間になって欲しいというのも当然だろう。
だが、
「断る理由は三つある」
俺は椅子に座る前に言った。
「探索者資格がない。戦えない。あと俺は定時で帰りたい」
「ダンジョン配信で定時ってあるんですか」
由良が素で聞く。
「あるように設計するんだよ」
四人が揃って黙った。
俺は続ける。
「危険配信は切る。撤退判断は俺にも権限をよこしてくれ。事前にルートを引く。深夜潜りはしない。事故ったらバズるじゃなくて、事故らないから信用される配信に変える。できるなら一回だけ付き合う」
無口だった蓮が口を開く。
「……映えないぞ」
「映えないのに生きて帰る。それが仕事だ」
真琴は数秒考えてから、深く頷いた。
「わかりました。やりましょう」
△▼△▼△▼
その日のうちに、検証も兼ねた浅層配信が組まれた。
タイトルは《謎の安全管理、緊急参戦》。
もう少し言い方はあったと思うが、配信開始直後からコメントは早かった。
『例の人きた』
『今日は残業なしで頼む』
『指示厨じゃなくて有識者だったやつ』
『スポンサーも見てるっぽいぞ』
ダンジョンに入った瞬間、青い線が現れる。
床下空洞。
魔物の巡回線。
崩落予兆。
それだけじゃない。
今日は探索者たち自身の動線までよく見えた。真琴が前に出すぎる癖、由良が撮れ高を狙って死角へ寄る癖、蓮の槍線を千景が横切りかけるタイミング。
「真琴、二歩下がれ。蓮の刺線を食う」
「了解」
「由良、その画角はやめろ。三秒後に足場が鳴る」
「また!?」
「千景、回復より先にライトを左へ。羽音で寄る」
「わ、わかった!」
四人は言われるまま動き、驚くほどきれいに進んだ。
無茶をしていないのにテンポがいい。
危険を避けているせいで、逆に配信が事故待ちの間延びをしない。
コメント欄の空気が変わる。
『戦闘より段取りが上手い』
『こういうの見たかった』
『事故芸より安心して見れる』
『この人、社会人経験の圧がすごい』
『コンプラ配信で草』
笑いそうになる。
前の職場で俺が守ろうとして守りきれなかったものが、ここではネタになるらしい。
そのとき、通路の奥で足が止まった。
壁面の支え石の一つが、青ではなく赤く滲んで見える。
自然劣化の線じゃない。
工具で無理に削った痕だ。
荷重分散用の石が、意図的に痩せさせられている。
「切るぞ」
真琴が振り返る。
「敵か?」
「もっと面倒だ。人だ」
壁に触れる。
石の隙間に、金属片が噛んでいた。
整備用の薄刃レンチの先端。
現場を知る人間が、急所だけを削っている。
由良のカメラが寄る。
コメント欄が一瞬止まり、次に荒れた。
『は?』
『人為的?』
『録画残せ!』
『昨日の崩落もこれか?』
『洒落にならんだろ』
そのとき、俺のスマホが震えた。
表示された社名に、背中が冷える。
栄進メディアマネジメント。
前の会社で、点検費用を何度も削らせた相手だ。安全対策より演出照明を優先して、現場に“見栄えのいい危険”を押しつけた連中。
着信は鳴りやまない。
真琴が低く訊く。
「知ってるのか」
「ああ」
俺は壁の傷と、震えるスマホを見比べた。
「定時で帰れなくなる種類の案件だ」
コメント欄には、もう次の文字が流れ始めていた。
『この配信、保存しろ』
『消される前にミラーしとけ』
『安全管理の人、逃げて』
『いやここからが本番では?』
やめてくれ、と思う。
俺はただ、壊れるほど働かずに生き直したいだけだった。
なのに、どうしてこういう厄介事は、決まって定時の十五分前に顔を出すんだろうな。





