4-04 カケソラマチ商店街の人々
ここは異なる種族が当たり前に行き交うカケソラマチ商店街。
薬舗・青枝堂の薬師をはじめ、頼れる蜥蜴人の狩人、空を飛び回る配達娘、ひと癖ある古道具屋に、元気いっぱいの子どもたちまで、今日も住人たちはにぎやかだ。
広がりつづけるイカイの気配をすぐそばに感じながら、それでも人々は商い、ごはんを食べて、したたかに笑って生きる。
これは少し不思議な街で暮らす人々の、にぎやかで風変わりな拾異譚。
朝の空気は、一日のうちでいっとう澄んでいる。
私は店先の板戸を押し上げ、軒先に吊るした看板をくるりと表へ返した。
『薬舗・青枝堂』
木札には、丸っこい文字でそう書いている。
軒下の風鈴を指先で揺らせば、ちりん、と小さく鳴った音が、商店街の朝に溶けていった。
カケソラマチ商店街の朝は早い。
石畳の通りには、焼きたての薄餅の匂いが流れ、向かいの雑貨屋はもう戸口に籠を並べている。角の魚屋では、ぬらりと光る大魚が氷の上に腹を見せていて、その隣では背丈ほどもある茸を切り分ける音がこつこつ響いていた。
そんな通りを行き交う人も様々で、同時にもうずいぶん見慣れた顔ばかりだ。頭に角のある人、羽根の生えた人、犬の顔をした人、肌の色が藍や灰の人。様々な容姿の人々が、朝の活気の一部となって自然に風景に溶け込んでいる。
そんな中で、私は薬師としてこの店をやっている。
私自身、長い耳を持つ森生まれの種族だ。耳が長いからといって、べつに遠くの秘密話が聞こえたりはしない。そのかわり感情は出やすいようで、嬉しいとぴくぴくするし、驚くとぴんと立つ。はてさて困った体質である。
「せんせー! 行ってきます!」
甲高い声に振り向くと、近所の子どもたちが駆けてきた。箱鞄を背負った小鬼族の姉弟に、猫耳のついた女の子、翼をばたばたさせながら走る羽人の子。
「うん、行ってらっしゃい。走りながら薄餅を食べないこと。喉に詰まらせるからね」
「はーい!」
元気よく返されて、思わず頬がゆるむ。ああもう。案の定、耳もぴこぴこと勝手に動いた。
「先生、耳うごいてるー!」
「よそ見しないで行きなー。遅刻するよ」
子どもたちはきゃらきゃら笑いながら、通りの先へ駆けていった。私は手を振って見送り、ひとつ息をつく。今日も、いつも通りの朝だ。
(――いつも通り、か)
店の中へ戻り、天井から吊るしたランプの調子を伺いながら薬棚の点検をする。乾燥させた月見草の葉、黒樹皮、熱冷ましの赤根、咳に効く白花蜜。今のうちに少し薬を挽いておこうかと思ったところで、入り口の鈴が鳴った。
「おはようございます、先生」
低くよく通る声だった。
振り向くと、背の高い蜥蜴人の男性が戸口で軽く頭を下げていた。深緑の鱗に覆われた顔、縦に裂けた瞳孔の黄色い瞳、鋭い歯列の大きな口は威圧的だが、その落ち着いた所作からはひとつも険を感じない。
日に焼けた革鎧を身に着け、腰には短槍を2本差している。商店街ではすっかりおなじみの顔だ。
「やあ、タナカさん。今日は早いですね」
「朝のうちにと思いまして」
そう言って、タナカさんは肩から下げた布袋から包みをひとつ取り出した。断わってから油紙を丁寧に開くと、中から現れたのは半透明の、ぺらりとした皮――見事な脱皮殻だった。腕から胸にかけて、ほとんど破れずに残っている。
「おお、これはきれいに剥けましたね」
「我ながら、今回は上出来です」
私はそれを両手で受け取り、光に透かしてみた。質のいい脱皮殻は皮膚の再生を助ける軟膏の基材になるし、乾燥させて粉にすれば、いくつかの処方にも使える。非常に薬効あらたかな品だ。
「それじゃ、約束どおり軟膏ひと壺と――風邪薬を七日分」
「助かります。うちのちびが昨夜から鼻をぐずぐずやってまして」
「ああ、季節の変わり目ですからねえ」
私は棚から陶器の小壺を下ろし、包み紙にくるんだ風邪薬と一緒に卓へ置いた。ついでに薬缶に火を入れる。
「少し時間あります? サービスで一杯」
「いいんですか」
「脱皮殻が上物でしたから」
私が冗談めかすと、タナカさんは喉の奥で笑う。
乾燥した香草と甘みのある根を土瓶に入れ、お湯を注いだ。茶といっても、チャノキ由来ではない。あれはもうずいぶん前に変質してしまって、みなくなってしまった。
やがて店じゅうに、青い匂いとほのかな甘い香りが広がる。二つの湯呑みに茶を注いで卓に運ぶと、タナカさんは大きな手でそっと包むように持ち上げた。
「先生の茶は、ほんと落ち着くなあ」
「薬よりお茶を目当てに来てません?」
「半分くらいは」
「正直でよろしい」
私も向かいに腰かけ、湯気越しに通りを眺める。店先を人々が行き交い、笑い声と荷車のきしむ音が流れていく。この数年でずいぶん変わってしまった風景も、今ではいつも通りと思えるようになった。
タナカさんが茶をひとくちすすってから、ぼそりと言った。
「イカイ、どんどん広がってるらしいですね」
「らしいですねえ」
軽い調子で返す。
薬師としては患者が増えるから商売になるが、街の人間には厄介この上ないことだろう。毎月のように新しい菌だの胞子だの、体質変異だのの相談が増える。角が伸びたとか、夜だけ目が光るとか、その程度で済めばまだいいほうだ。
「そうお気楽に構えていていい話ではないはずなんですがね。どうにも」
「先生もですか」
タナカさんは自分の腕を見下ろし、鱗に覆われた皮膚をかりかり掻いた。
「俺も、こうなる前だったらもっと深刻だったんだろうけどなぁ」
その言い方には、諦めを通り過ぎた軽さがあった。
五年前の彼はきっと、私と同じで、耳の短い、鱗のない人間だったのだろう。いまさら確かめるような話でもないので、私はただ湯呑みを傾ける。
「ナガノのほうでは、自衛隊が頑張ってるそうですよ」
「ああ、聞きました。けどなあ……彼らの装備でどうにかなるものかなあ」
「ミヤコのほうでは奪還計画が動いてる、とも聞きますけど」
「どこから仕入れてくるんです、そんな情報」
「風の噂です。ほら私、エルフですから」
どちらからともなく、ふっと笑いがこぼれた。
それは例えるなら、地球の裏側でやっている戦争の話のような感覚だった。適当に茶を飲む傍ら、天気の話と同じ顔で、今朝の卵が高いだの、向かいの魚屋がまた妙な大魚を仕入れただの、その延長でイカイの話をしている。
五年という月日は、軽いようで重い。もしくは、重いようで軽い。つまりこの商店街で生きるというのは、たぶんそういうことなのだ。
「そういえば先生。この前もらった虫除け香、あれ良かったです。森沿いの小屋で寝るとき、あの羽音のうるさいやつが寄ってこなくて」
「毒針持ちの?」
「そう、それです。助かりました」
「それは良かった。じゃあ今度は少し強めの配合にしましょうか。最近は普通の蚊より、そっちのほうが多いですし」
「頼もしいなあ」
「その代わり、タナカさんはまた上物の脱皮殻を持ってきてくださいよ。お茶も出しますから」
「商売上手だ」
くすくすと、返事の代わりに笑みで返す。
そんなふうにとりとめのない話をしているうちに、通りの向こうから鐘の音が聞こえてきた。午前の第三鐘。午後の狩りに出る者たちが動き出す時間だ。
「あ、いけね」
タナカさんが立ち上がる。茶を飲み干し、薬の包みを大事そうに袋へしまった。
「そろそろ行かないと。今日は川向こうまで回る予定なんで」
「お気をつけて。赤い蔓には触らない、獣はすぐに解体しない、妙に甘い匂いがしたら逆方向へ逃げること」
「先生、毎回それ言いますね」
「毎回、誰かが守らないので」
「違いない」
タナカさんは戸口で振り返り、片手を挙げた。
「じゃ、また。今度は肉持ってきます」
「期待してます。柔らかいのが良いな」
「善処します」
鈴が鳴って、彼の大きな背が通りへ出ていく。朝日に照らされた鱗がきらりと光り、ブーツのかかとが石畳をこつりと打った。
私はその後ろ姿が人波に紛れていくまで見送り、それから湯呑みを片づける。
店の中がずいぶん静かになった。
私は戸口に出て、うんと背伸びをする。
空はよく晴れている。春と夏の境目みたいな、気持ちのいい陽気だ。雲ひとつない、と言いたいところだが、遠くには綿屑みたいな雲がいくつか浮いていた。
「んー……」
肩甲骨がきしり、耳の先まで血が巡る。目を細めて頭上を仰げば、この商店街を見下ろすように、一本の巨大な塔が空をつんざいていた。
近くにいると、逆に実感が薄れるくらい高い塔だ。なにせ、地上からそのてっぺんまでは634メートルもある。
青空を裂いて伸びたその先端には、今日も後光のような光輪が浮かんでいる。
金とも銀ともつかない淡い円環は、日中でもかすかな燐光を放っていた。塔の頂に冠を戴く姿は、誰もが見慣れた、けれど決して慣れきることのない光景だ。
五年前。
あの塔のてっぺんに雷が落ちた日から、世界は少しずつ継ぎ目を失った。
その一撃をきっかけに、塔はイカイへとつながってしまったのだ。
空の彼方か地の果てか。どこにあるとも知れない“向こう”から、さまざまなものが来た。植物が、風が、病が、法則が来た。人は変わり、街は変わり、地図は日に日に書き換えられていった。
変質はいまもなお、続いている。
それでも人は腹が減るし、風邪も引くし、子どもは学校へ行く。
だから商店街は今日も店を開ける。魚を捌き、靴を直し、金物を商い、薬を調合する。
私は青枝堂の看板を見て、それからもう一度、あの巨大な塔を見た。
あの塔のかつての名前を、知らないものはいない。記憶は変質の影響を受けないから。
けれど今のこの街で、あれを昔の名で呼ぶ者はほとんどいない。
人々はいつしか、あの塔をこう呼ぶようになった。
――『東京イカイツリー』と。
東京イカイツリー拾異譚
~カケソラマチ商店街の人々~
第一篇――青枝堂の風聞





