4-02 機械少女は恋をする
対怪異鎮圧人型兵装。通称“機械少女”。それは、陰陽師なき時代に人類が怪異と戦うために生み出した人型兵器であり、自らの犠牲を恐れず、陰ながら人々の生活を守る最後の砦である。
そんな“機械少女”であるユキは、怪異に襲われていたとある女子高生、江添美琴を助けて──
「あのね、今日のお礼がしたいから明日学校に来て!」
ユキの事情を知らない美琴は、そう提案してきた。ユキも断ることができず学校に通う羽目に。そしたら美琴は怪異に魅入られやすい体質で──「所詮、あなたは保護対象ですから」ユキは今日も、美琴に振り回されながら彼女を守る。
「対象まで距離200。……間に合う」
突然に日が隠れ、暗い緑に覆われた河岸。
全速力で走るユキの頬をかすめる風は、少しの湿り気と特異な黒を帯びていた。
少女の目線の先に映るのは、ユキと同じ高校の制服に身を包んだ少女と──
剪定鋏よりもずっと大きな鋏を振り上げる、全身がぼろ布のような灰色の人型怪異。
“髪切”
低級怪異ではあるが、一般人を襲うには十分すぎる力を持っている。
ユキは体勢を低め、速度を上げた。
「へへっ。ようやく陰陽師のやろうがいなくなった。何年もいい髪を喰べてねぇから、腹ペコなんだよなぁ」
「お、お腹が空いてるんですか?」
少女は慌ただしくリュックの中に手を入れ、銀紙に包まれた何かを取り出した。
(……チョコレート?)
対象が逃亡を図らない。作戦を変更、まずは彼女の保護を最優先にする。
あと数メートル。ユキは学生鞄から慣れた手つきでサバイバルナイフを取り出し、舗装された地面を削るように蹴り込む。
「その、チョコです。おいしいですよ──」
震えた声を上げる少女に手を伸ばし、大きく後ろへ引っ張った。
直後に飛び散るくすんだ火花。鼻につく鉄錆のにおい。
「クソがッ! もう勘付きやがったのか」
最初の二撃を受け流し、少女と怪異との間に割り込んだ。
「まずはお前の銀髪から食ってやるよッッッ」
ユキの頭目掛けて薙ぎ払う髪切の一撃。
体を逸らすと、目の前を鈍色の刃が切り裂いた。
「早く逃げてください。振り返らず、全力で」
まだ固まったままの少女に向かってそう叫び、勢い余って体勢を崩した怪異の首元へ鋭い蹴りを放つ。
ダメだ、皮膚が硬い。
致命打のような感触はなく、ユキは足を抜き去った。
この硬さ、少なくともサバイバルナイフでは勢いなしには切れそうもない。
2、3歩距離をとり、作戦を練り直す。
「ついてねぇが、ふたり食えると思えばましか」
バキリ。と首を鳴らす怪異。
ユキは巻き取り式ワイヤーをナイフに装着して、構えなおす。
「警告します。人間界から去りなさい。従わないなら命はありません」
眉を顰める髪切の顔を見返して、さっきの少女の足音に耳を澄ませた。
150メートル、安全圏への到達を確認──
「へへっ、集中してねぇと首ごと切っちまうぞ」
咄嗟に重心を落とす。鋭い鈍色が振り下され、ユキの銀色の髪がパラパラと宙を舞った。
「警告の無視を確認。目標を排除します」
ユキの投げたワイヤー付きナイフは、怪異の首元を通り遥か遠くへ飛んでいく。
「どこ見て投げてんだッ」
髪切の振り上げる一撃が頬を掠めるのも気にせず、ナイフを追って全力で踏み込んだ。
髪切の首に、ワイヤーが絡まる。
「なにしてッ──んが?!」
ワイヤーを断ち切ろうと閉じた髪切の鋏が甲高い音を上げて弾かれる──ワイヤーの強度は、鋏のそれを上回っていた。
一息にワイヤーを巻き上げる。
「こざかしいまねを、クソがッ」
ユキは髪切の周りを円を描くように回り、鱗のように硬い体にワイヤーをぐるぐるに巻きつけた。
返ってきたナイフは、一切の狂いなく怪異の胸へと突き刺さる。
だが、髪切はむしろ口角を上げ不敵に微笑えんだ。
「はっ! この程度で俺を倒せると思ったのか? 笑わせやがって」
深々と食い込んだナイフ。にも関わらず一滴の血も流れないのだから、怪異というのは確かにこの世界の生き物ではない。
「いえ、あなたの負けです」
ユキは鞄から1枚のお札を取り出す。
髪切の目が白黒している間に、ナイフの刺さった胸元へ静かに貼り付けた。
「ま、待て待て、式神に、お前の式神になってやってもいい。どうだ? おい、待っ──」
『我が律令に従いて、直ちに昇天せよ』
静謐な声が空へ溶ける。
怪異は断末魔の叫びすら上げることもできずに塵と消えていった。
漂う黒が風に流され、夕陽で赤く染まった河岸に静寂が戻る。
地面に落ちたナイフとワイヤーを手早く鞄にしまってから、ユキはお札を拾い上げた。
「目標の消滅を確認。帰還しま──」
「あ、あの!!!!」
気づけなかった。咄嗟に振り返ったユキの前で、さっきの少女が爛々と目を輝かせてこちらを見上げていた。
「用事があるなら手早く頼みたい」
日が沈むまでに時間がない。ユキは前のめりな少女に水を差すように投げかけた。
「すっっっごく、かっこよかったです!」
全身で突風を受けたみたいな衝撃だった。
まだあどけなさの残る少女の、様々な感情の入り混じった言葉。
その言葉以上に、向けられた視線はユキをその場にはりつけ、彼女の世界へ引きずり込んでくる。
この子と長く話すのは危険だ。直感が胸の中でけたたましく警告を鳴らす。
「ありがとう。今度は気をつけて」
ユキは丁寧に腰を折り、きびすを返した。
「待って、ほっぺに怪我してますよ! 私、絆創膏持ってますからっ」
去ろうとしたユキの片手を、熱を帯びた白い手が掴む。ギョッとして振り返るユキと、器用に片手でバッグをガサゴソとあさる少女。
掴まれた手首から、人の温もりを感じる。
「あった! 傷はそのままにしてちゃダメってママが言ってたから」
目じりの下、頬の薄く盛り上がった場所に少女の手が添えられた。
目前に迫った真剣な顔を前に、ユキはサッと目を閉じる。
「これで──よし!」
少女の影が離れてから、ユキは自らの頬に貼られた絆創膏をなぞってみた。
「ありがとう。気が付かなかった」
今度こそ、と一瞥して固まる。
少女の手が、いまだにユキの手首を握って離そうとしなかった。
「……どうか、した?」
「そのリボン、藤高の1年のだよね」
ユキは一歩後退り、少女の目線の先、自らの制服の赤いリボンを見下ろした。
「……そう、ですね」
少女の首元にも、ユキと同じリボンがある。
運が悪い。ユキは佇まいを正して、声のトーンを上げてみた。
「やっぱり! 私江添美琴っていいます。あなたは?」
にしても、ついさっき命の危機にあったとは思えない。神経が図太いのか、いわゆる天然なのか──
(……子犬みたいな子だ)
ユキは1歩引いてから、小さく答えた。
「栗原」
「下のお名前は?」
遠ざかった分だけ江添美琴は距離を詰めてくる。少女の甘酸っぱい匂いに、ユキは顔を背けた。
「……雪です」
「雪ちゃん! ん? 栗原……雪、栗原雪、くりはら、ゆき……あああ! 不登校の栗原雪ちゃんなの?!」
ドキッと、心臓が跳ねる。
確かに雪は高校へ籍を置いている。しかし、4月も終わりに差し掛かった今日まで1度も登校したことはなかった。
だが、それはユキが『機械少女』であるから。
「そうですね。でも、江添さんには関係ないでしょう」
「あるよあるよ、大アリだよ! だって私、雪ちゃんと同じクラスの学級委員なんだもんっ!」
怪異との戦闘では上がらなかった心拍数が、ほんの数秒で跳ね上がる。
美琴はユキの手を掴み、ブンブンと振り回す。
「やっっっと会えた! しかも私を守ってくれるなんてっ! クリスマスとお正月が一気に来たみたいだよ!」
(……クリスマスと正月はほぼ一緒でしょ)
美琴に振られて頭がぐわんぐわん上下しながら、ユキは内心そうツッコんだ。
「そうだ! あのね、今日のお礼がしたいから明日学校に来て!」
目を輝かせる彼女に、狼狽えて声も出ないユキ。
学校に行く必要なんてない。教師にもそう伝えてある。なのに、間近でキラキラとした瞳で見つめてくる彼女を前に息が詰まった。
断る言葉が、見つからなかった。
「……わかった。わかったから離して、ほしい」
ぱああああああっと、顔を緩める美琴。
「約束だよ! 絶対、ぜっっったいだからね!」
「わかった」
人間に絆されることなんて今までなかったのに。
面倒な約束事を、引き受けてしまった。
*
玄関を開けて薄暗い廊下の電気をつける。
靴箱の上に置いてある、ユキの知らない少女がふたり写った写真。
前任者からの急な引き継ぎだったせいもあって、ワンルームに続く廊下には開けていない段ボールが積んだまま。
その合間を抜け、さらに洋服の散乱した部屋の中を縫うように歩く。
「えぞえ……みこと」
制服のままベッドにダイブして、天井にそう呟いた。
「不思議な感覚、だった」
頬の絆創膏を確かめるようになぞり、ユキは瞳を閉じる。
明日は、彼女に会いに──
学校に行ってみようかと。





