4-23 人の温度に乗るキノウ
檳榔子キノウは文字を書くのが好きだった。
綺麗に字を書けるから、図書室の片隅で代行業をこっそり営んでいる。
授業ノートの清書版。履歴書の代筆。それから、主に恋文の清書。
報酬は、自販機のいちごミルク、チェーン珈琲店新作のトール、それから、私が集めてる猫関係のグッズ。
秘密は厳守。
思念の読み取りと再生の技術が発展していく中、少年たち、少女たちの、できることと、したいことを巡る話が、今始まる。
たぶん、人の熱に乗っていたからだろう。
熱の入手源が減りつつある今、なんとはなしに喪失感が胸を占めていた。
物悲しげな夕日を受けて、私はボールペンを走らせる。
自分一人であれば書く内容なんて、たいして思いつかない。
文章を書くのが好きなんじゃなくて、手を動かしているこの瞬間のことが、好ましいだけだった。
幼い頃はもっと字を書くのが好きだった。書写の時間が一番好きだっただなんていうと、理解不能なものを見るような顔をされたけれど、私にとっては嘘偽りのない気持ちだった。体育よりも、算数よりも、書写が一番嬉しかった。
毎日全部の時間が書写か国語になりますように、と七夕の短冊にも書いたものだった。
おかげで、字を書くことは今の私のアイデンティティにさえなっている。
夕日のさす図書室の隅の席で、目の前のラブレターを、左側の下書きから右側の清書版に書き写す。
下書きの、味のある丸っこい字も味があって素敵だ。ただ、私は私なりに丁寧な字を転写するだけ。
好きこそ物の上手なれ。
この言葉はたぶん間違いではないんだな、と思う。好きな人ほどそれに打ち込む時間も増える。増えれば増えるだけ、触れれば触れるだけ、ある程度物事はうまくできるようになるのだと思う。自己紹介の趣味欄に、字を書くこと、と書いてもいいくらいには私の字は綺麗になった。
ただ、ある程度で満足をした。
綺麗な文字というものに、なんとなくこんなものかと受け入れてしまった。これ以上素敵にできることは少なくて、もし頑張ろうとするならとてつもない努力がいるとわかった頃に、熱は冷めた。だから、字が綺麗という惰性のアイデンティティで私は今も生きている。
熱が冷めたままで、こんな代行をきっかけに、人から熱をもらって生きている。
それも……いつまで続くのだろう? 手元のスマートフォンが目に入って、おもわず、少しばかりのため息が溢れた。
「……な、なにか、ダメですか? 檳榔子さん」
「あ、ごめんね」
私は慌てて、明るくこっそりと返す。
目の前に座るのは依頼者。フェイスラインを隠すような、防御的で丸っこい髪型。守りたくなるような、おどおどした可愛らしい子だった。きっちり着込まれた紺のブレザーの袖口にベージュのカーディガンをのぞかせている。穏やかで、和やかな雰囲気をまとっていた。
図書室で見かけていたけれど、依頼は今回が初めて。
私は、バイト禁止のこの学校で、公然の秘密のような仕事をしている。
彼女が今回のお客様。
そして今回の仕事内容は、例にもれず、恋文代行であった。
♡
秘密厳守。
報酬は、自販機のいちごミルク、チェーン珈琲店新作のトール、それから、私が集めてる猫関係のグッズ。
どれかを引き換えに恋文の清書をするのが私のこっそりとした仕事だった。
今回は前払い。報酬は、可愛らしい猫が彫られた、木彫りのボールペン。それから、これで書いてほしいというオーダーでもあった。重さも、インクの滑らかさもいつも使っているものによく似ていた。手に馴染まなければ断ろうと思っていたけれど、猫のボールペンはずっと前から使っていたかのように手に吸いついていた。
「ごめん、本当に全然気にしないで、ちょっと嫌なこと思い出しちゃっただけ」
努めて明るく振る舞う。クライアントに、暗い顔を見せてもいいことはない。ただでさえ減る顧客だ、悪い感情を持たれていいわけなんてない。
「あ、あの、内容におかしなところがありましたか……?」
「ないよ、とっても素敵だと思う。あと……」
言葉を継ぐように、彼女は口にした。
「内容どうこうに口出しをしないのが私のポリシー、ですよね。で、でも、事前に見てもらって問題ありそうなら言っていただきたいです……」
おずおずと伝えてくる彼女の手は小さく震えていた。
「良く知ってるね、えっと、上橋さん?」
「時折、拝見してたので……」
「あ、ごめん、うるさかった?」
図書室でやるのはあまりよくないと思いつつ、気づけば図書室が私の仕事場として広まってしまっていた。だから変に変えるわけにもいかず、隅の席でこっそり作業をしている。
「いえ、全然聞こえないです、目に入っていただけで……」
「そう? でも考え直さないとね」
「いえ、大丈夫です。私のほかにどうせあまり人も来ないので……それより、内容、ダメですか? ポリシーはわかるんですが……何人もの、その、ラブレターを見てきたんですよね、私のなんて」
震える手。きっとかなりの熱量を込めて考えてきたのだろう。
それなら、どうか少し自信を持ってほしい。
震える人の背中を押さないことは、決して私の好きなふるまいじゃない。
そのくらいなら、と私はポリシーを折り曲げることにした。
『大好きです。あなたの、ひたむきな努力が素敵です。人からの頼まれごとを真摯に、綺麗に仕上げる姿に、憧れました。』
いつ見ても、こういうのは悪くないような気がする。横から見ていて、素敵だな、と思う。姿勢を見てもらって好意を持たれるというのは悪くないことなんじゃないか。
「このあたり、とってもいいと思う」
「本当ですか?」
「でも、あくまで私の意見だからね。相手にもよるだろうし」
「あなたに言ってもらえれば、百人力です」
「軽快に清書屋のいうことなんて信じちゃダメだよ?」
「ダメ、と言われると……自信なくしちゃいますよ」
言葉と裏腹に、先ほどよりも穏やかで安堵感のあるな笑顔で、彼女は微笑んだ。
「それにしても……珍しいね? ほら、最近さ、スマホからでもできるようになったじゃない」
「思念の読み取りと再生ですか?」
「その呼び方も、違和感あるけどね。テレパシーとかじゃないのって思うんだけどさ」
「そうですね……読み取られる私たちはモノ扱いなんだ、とは思うんですが……あぁ、珍しいのは、今更恋文でってことですか?」
「そう。純粋な思念の生データを贈って受け止められるのが一番強固で素敵、みたいな話があるでしょ?」
「そうらしいですね。で、でも、実際に紙で実物があった方がいいというのもあるんじゃないですか」
「そうだといいな」
と思いつつ、語尾には力が抜けてしまった。もうどうしようもないのだとはなんとなくわかっている。
「いやぁ、技術だけじゃダメなんだろうなって思うよ」
「そうなんですか?」
「これができるから、だけだと、他に簡単に素敵にできる技術が出来上がったら苦しくなるもの。あなたも、迷わなかった?」
「……」
おどろくような、それでいて少し考え込むようなそぶりだった。
途端に、正しい図書室のあり方が戻る。静寂。
司書の靴音だけが響く、静謐な空間。
急に訪れた沈黙に、少しばかり困ってしまう。
「えっと、困らせるつもりじゃなかったんだよ、大した意図のない雑談で……」
「いえ、そう、そうなんですね、わかってなくて」
「あはは、大した話じゃないの。私は単に機能としてこれをやっているみたいなものだからさ。清書はうまくできるけど、清書自体が別の技術で要らなくなったら、なんだか私らしさの部分が消えてくみたいでちょっとねって」
「そんなことないですよ、私、檳榔子の姿勢、とても素敵だとおもいますし。素敵なことをしていると、その、その、近くで支えたいと思います。」
「ふふ、好きなんだ、その言い回し」
今しがた清書の終わった恋文の末尾は、付き合ってくださいでは、なかった。
付き合ってくださいなんてテンプレートではなく「あなたの好きなことを、一番そばで手伝わせてください」であって、なんだか真摯で素敵だと思った。
叶えばいいと思う。叶わない恋なんて、なくたっていい。それがゴールじゃないけれど、その一瞬のひたむきさは、なんらかの形で報われてほしいと思う。
「その、頼みたい人、他にもいると思いますよ?」
「じゃ、いたらぜひ口利きをお願いしますね。まぁその前にあなたは本当に支えたい人がいるでしょう? まずはそっちに集中して。はい、これ清書版」
私はたぶん、別の熱を見つけないといけないのだと思う。技術じゃなくて、心で身を立てないといけないのだと思う。
とはいえ、例えば、目の前の彼女みたいに誰かを好きになるとか、私にできるだろうか?
ないな、と苦笑が漏れる。
素敵なものに見えるけれど、そこに私がいるイメージは全然浮かばなかった。
「そういえば、宛名はなかったけど、どうする?」
「必要でしたか?」
どちらでもいい。流石に恥ずかしいという人も多い。ただ、自分で書くとそれはそれで自体が不揃いで嫌だという人もいるから、この点だけは口を挟むようにしている。
「じゃあ、今書きます」
「わかった」
するりと彼女は同じ猫のペンを取り出して、宛名を書く。
あまり目にするのも悪くて、目を逸らしながら、私は口にした。
「でも、どっちにするかは選んでね、あなたの直筆だって可愛らしいから」
「いえ、こちらにします。あなたが書いてくれたのがいいんです」
言い切りつつ、彼女は綺麗に封をした。
「では、その、こちらで」
彼女は、綺麗に封のされた手紙を、私に差し出していた。
わからない。返却?
不備だろうか?
だとして、封をされてしまっては困る。
修正してから封をしなくてはいけないだろう。
「あなたのひたむきな姿勢に惚れました。一番近くで、支えさせてください」
真摯な目つきで、上橋アスホはそういった。





