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4-13 蔦の家、白い弔い

子宮筋腫のため子宮を全摘出した香月織絵こうづき おりえは、術後も説明のつかない不調と喪失感を抱えながら、一人で暮らしている。買い出しの途中、蔦に覆われた廃屋を振り返った瞬間、事故に遭い、奇妙な白い空間へと引き込まれた。


そこでは、生き物のように這い動く蔦に身体を拘束され、すでに失われたはずの子宮の痕跡を探られる。やがて織絵は、白装束の葬列と白い建物の幻を目にし、自分が子宮の「弔い」の場へ招かれたのだと知る。


内側から切り離されたものを弔う幻想的な儀式。失われたものは、ただ奪われて終わるのではない。滅びの先に実を結び、種を残し、別の形で未来へ渡されていく。廃屋と蔦、白い弔いのイメージを通して、喪失と変容の意味を描く物語。

 信号待ちで足をとめ、背後の廃屋へと視線を廻らせた。

 塀に囲まれた庭の一角で咲き誇っていた大輪の薔薇は(しな)び朽ち、散った花びらは次々と地に還っていく。花びらのなくなった薔薇。葉は茂っているが、残された(がく)(しべ)の色合いは惨憺(さんたん)凋落(ちょうらく)そのものを具現化しているようだ。

 香月(こうづき)織絵(おりえ)は、そこに自らの姿を重ねていた。

 

 (みじ)めなものね……。

 

 心のなかで呟くが、それは花の終わった薔薇のことではない。

 

 子宮を失った。全摘出だった。

 子宮筋腫は進行し、選択肢などなかった。

 それでも、織絵はそれを深刻な喪失だとは考えていなかった。子どもがほしいと思ったことはなく、なにより仕事に誇りと生き甲斐を感じていた。

 なのに、なぜ?

 術後、体調は戻らないままだ。()うに痛みなどないはず、と医師は言う。だが手術翌日の痛みと疼きは、そのままに続いていた。起き上がれない日々。生き甲斐だった仕事も諦めざるを得なかった。

 痛みを抱えていても、一人暮らしの織絵は食材の買い出しは不可欠だ。

 

 廃屋は、崩れ落ちそうな塀ごと蔦に覆われていた。さらに放置され巨大化した植物たちにも侵食されている。

 春には野生化した白藤が魅了するように咲き誇った。晩春の燦々(さんさん)と降りそそぐ陽光に力を得て、樹木の葉は建物の形を覆い隠すように茂った。勢いよく萌える植物たちに埋もれ、小森のよう。

 季節ごとに、さまざまな花々が彩りを添え、美しい景色を作りだしていた。廃屋の存在など忘れさせるほど、植物たちは躍動し、うねっていた。

 夏には塀を包む生き生きとした蔦の緑が濃い陰影と煌めきを宿した。塀の内側では(くず)の葉が猛攻めいて茂り満ちていた。葛は大きな葉を広げ、時に樹木を枯らすほどに傍若無人に絡みつくのだ。

 秋には大きな蔦の葉は色づき、鮮やかな赤とオレンジのグラデーションで飾りたてた。

 そして、落葉の冬だけ廃屋は幽霊屋敷めいた姿を現す。

 

 薔薇の季節は終わった。けれど、今、萼の奥には微かにふくらみかけた気配がある。織絵には手に入らないものの象徴のようだった。

 

 信号が変わる。横断歩道を渡りかけ、織絵は廃屋の方向を確認するように振りかえった。呼ばれたような? だが周囲は閑散として人の姿などない。いや、呼ばれたと思ったが、それは声ではなかったかもしれない。

 ぞくり、と、理由のわからない悪寒が走る。信号を無視して突っ込んできたトラックが視界全体に拡がった。

 

 えっ! ぁ……避けられない……。

 

 衝突を覚悟する間もなく、意識が遠退きそうになっていた。衝突の恐怖が、白い記憶を浮かび上がらせる。

 それは、かつて命の境に立ったときの病院の天井の白だ。

 

 

 あの頃、呼吸困難に陥りながら走り回っていた。体調に苦悩しながらも、織絵は自分の体調を軽視していたように思う。いや、深く考えたくなかったのだ。月イチの動けない数日。どんなに超吸収長時間を使っても間に合わない。血塗(ちまみ)れのパジャマに寝具。


 こんなに出血して大丈夫なのかな?

 

 思案しつつも慌ただしさに忙殺された日々。

 そして久しぶりに受けた健康診断の際、いつ死んでもおかしくない状態だと深刻な表情の医者に告げられた。血液が限界を超えて少なく危険だと車椅子に座らされ、そのまま緊急入院。輸液したものの逆効果で更に悪化し、緊急輸血。

 診療室の天井を見つめながら、他の誰かが体内に満ちていくような錯覚をぼんやりと感じていた。点滴されていく(ふた)パックの濃い臙脂(えんじ)めいた血液。徐々に視野に映る景色が変化していった。

 

 誰かの視界を貰ったみたい……。

 

 命のカケラ、生命力、誰かの生き様そのものが注がれているように感じられた。

 

 世の中って、こんなに鮮やかだった?

 

 無機質な白い天井が、輝きをもった質感として感じられている。

 

 

 ふと、記憶を辿っていたことに気づいた。

 

 あれ? ここ、どこだろう?

 どうして、こんな場所に?

 

 記憶が曖昧だ。

 景色が霞んでよく見えない。歩きだそうとしたが、身体は思うように動いてくれなかった。

 あの時の、病院の天井みたいな白。ざらつくような光沢のない白い壁が目前にある。

 白壁には絡みつくように華奢そうな蔦の蔓が伸びてきていた。スローモーションみたいなのに、知覚できる速度で這い動いている蔦。くすんだ壁の白に対比して鮮烈な葉と茎、そして蔓の先端の色彩。絡みつくものを探るような、繊細で生々しい動き。思わず一歩、退こうとした。

 織絵の動きに気づいたように、蔓の先端は振り向くような動きを示す。目が合ったように射竦(いすく)められていた。

 

 逃げなくちゃ……

 って、どこに……?

 そもそも、ここは……?


 真っ白になりそうな頭のなかで必死に思考する。焦燥感ばかりが増していた。白壁を這っていた蔦は視界のなかでぐんぐんと伸び、増え、動く壁紙のように白い面を覆っていく。見回し、ようやく蔦柄の壁に囲まれた狭い場所に立っていたのだと気づいた。徐々に、視覚は鮮明になっていく。

 

 招き入れられた?

 迷いこんだ?

 巻きこまれた?

 

 窓も出口もない。見上げる白い天井も、蔦に埋まりつつあった。

 確認するのは怖いが、反射的に足元に視線は落ちる。白く艶のない大理石のような床を這う蔦は、今にも織絵の足に絡みつきそうだ。

 

 ひっ……!

 

 小さく悲鳴を呑み込み、ジリジリと蔦の少ない方向へと移動しようとした。だが弱々しく見えるのに蔦の動きのほうが早い。どのみち、逃げ場などなかった。

 ひんやりとした蔦の蔓が、触手めいて床から這い上がってくる。素足に淡く引っかかる付着根。悲鳴は上げられなかった。蔓は脚を擽るように巻きついてくる。葉が揺れ擦れ合う、微かな音。

 長く伸びてきた別の蔓が、ふんわりとしたロングの白いギャザー・スカートごと縛り上げるように脚に巻きついた。

 

 何をしようとしているの?

 

 あっという間に、バタつこうとする腕も動きを封じられていた。

 シンプルな白いブラウス越し、細い蔓の先端たちは何かを探しているような微妙な動きだ。

 その微かな動きは、やがて腹部に集中した。開腹手術の痕跡を拡げないように、と、医師に指示され身につけている医療用のコルセットに触れている。蔦はコルセットを撫でるように動いていたが、唐突に柔らかな先端のひとつが素肌に触れた。続くように、蔦の先端は次々にコルセットを突き抜ける。

 織絵は、ひとつ、深く呼吸すると身体を脱力させた。抗わないで、と、触れた蔓の先が告げている気がしたからだ。

 

 あなたが呼んだの?

 

 心のなかで蔦たちに訊いてみる。声はだせそうになかった。

 応えはない。

 だが、不意に、突進してくるトラックの映像がひらめき、直感した。

 ここは、あの廃屋のなかだ――。

 

 私、死んじゃったの?

 

 応えはない。

 しばらく腹部の切開痕を(まさぐ)っていた先端は、もう塞がっているはずの手術の痕跡から侵入してきた。一瞬だけ、ちくりと刺激を感じたような気がしたが、痛みはない。いくつかの蔓の先だけが、手術痕から次々に、体内へと潜り込んでくる。

 

 何をしているのだろう?

 蔦に絡まれた身体は全く動けない。だが全身麻酔されていたときとは違い、内臓を避けられ引っ張られる異様な内部の動きが鮮明に感じられていた。

 夢ではない。それは確信していた。

 蔦の先端は渦巻くような動きで内部を探り這い、細い蔓が折り重なるようにして存在しない子宮を形づくろうとしているようだ。

 

 内部に蔦の蔓が集まり、ひとつの形を造りあげるにつれ、視界の景色が変わっていった。

 目蓋を伏せたからかもしれない。瞬きはできなかった。

 

 草原? いや、草に覆われた土手のようだ……。

 

 見上げるように視線を移動させると、土手の上にあるらしき道を進む一行(いっこう)が近づいてきている。ぼんやりした視界に、白装束を身にまとった者たちが列を成しゆっくりと移動しているのが映った。

 先頭を歩く白い幟旗(のぼりばた)を重そうに抱えるのは、おかっぱ黒髪の少女。十歳くらいだろうか? やはり白装束。半ばに掲げた白幟が強い風に煽られ、少女は時折バランスを崩した。

 列の中程に、棺吊りの人々。つや消しの白い布に覆われた重々しい棺桶らしきを運んでいる。皆、裸足だ。

 厳かな気配が漂っているが、幻覚めいて現実感はなかった。老若男女、長い葬列だ。少女も、それに連なる者たちも、皆、頭に白い三角の布をつけ霞のなかを歩いていく。

 葬列……でも、どうして白いのだろう?

 

 その間にも、蔦は、どんどん織絵の体内へと入り込み続けている。

 幻影めいた葬列の者たちは、やがて白い建物へと吸いこまれていった。

 

 目蓋が開く。

 小部屋の壁や天井に這い回っていた大量の蔦は消えていた。くすんだ光沢のない白い壁、白い天井、艶のない白大理石のような床。扉も窓もない。

 

 何かが始まるらしい。

 小部屋の外には、あの葬列の気配が感じられていた。

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