4-09 センチメンタリア
高校生になってもやりたいことなんか見つからなくて、ただ言われた通りに生きてきて、いきなり外のことを言われてもわからない。緩やかな憤りを抱えながらも不自由のない高校生活を送る彼のひと夏の日常を切り取った短篇
太陽が昇る晴れた日の昼下がりだった。背中に貼り付く鞄の重みで肩が悲鳴を上げている。三年間同じ道を同じ重さで往復しているだけなのに重さから来る汗と鈍い痛みに慣れないのだからとことん向いてない。
俺の通う高校は殆どが家から数分くらいの距離で往復できる人が殆どで、俺だけが電車通学だった。俺の住む地域には高校が何故かなくて、車社会だから当然親が送迎するのが前提の社会だった。せめて原付免許さえ取れたらいいのにと思うが、何年経っても原付免許が取れる高校は少ないを通り越して絶滅危惧の高専か、定時制高校だけだった。
高校生なんだから一人でも大丈夫だ、と親から言われたし、大学行かないとな、なんて言われたし、そもそも未来のことなんか何一つ分からない俺には親父とお袋の声援が絶対だった。
高校がある校舎から歩いて一キロメートル弱くらいある道を歩いて駅にたどり着いた。
スマホを取り出してなんとなく駅から高校の距離を測ったら本当に一キロメートル弱で、ネットで作ったマップでは徒歩二十五分と表示されていた。所詮は心の無い機械が規則的に測っただけの時間で、そこには鞄の重みも肩の痛みも、じりじりと焼くような熱のことも加味されていなかった。心臓を凍らせるような冷徹さを感じさせるほど無機質な数字だけがスマホのマップに無造作に表示されていた。
なんとなくため息を吐いて、ライソを開く。小気味良い音が響いた気がしたがそれはどうやら空耳ではなかったらしい。
しょうもないリアクションだけを送り合っては眠気に負けて眠りに落ちる。そんな緩慢なやり取りを許容してくれる友人のおかげで高校生活は何不自由なく楽しんでいた。
よいしょ、と小声で荷物を持ち上げ、いつも乗る駅のホームへと急いだ。定期を見せれば良いだけだがそれでも電車に乗り遅れたら太陽に焼かれながら次の電車が来るのを待たないといけない。こんな暑い日に電車を待つなんて真っ平ごめんだと苦笑いした。
何か、忘れていることがあるけれど、まあ、いいだろう。とにかくホームへと急いで駅構内に入った。
十五時半発、西駅行。
いつも乗る電車の乗り場まで簡単にたどり着いて、エスカレーターに乗る。駅構内は僅かに涼しかったが、同じような荷物とセーラー服を来ている高校生であふれかえっていた。今日も、椅子に座るのは諦めた。
都会では優先席に健康な人が座ったというニュースでよく燃えており、好き勝手な意見であふれ返るが、同じ高校の学年違いだろう制服を見ても何とも思わない俺には不思議でたまらなかった。いつか、俺もあんなふうに憤ってしまうのかという想像が過ったところで電車が来る。
今日も無事に終わった。やることもあるだろうけど、そんなことは帰ってからにしようと思った。
今はとにかく汗ばんだ体をどうにかしたい。張り付いたシャツをどうにかしたいという煩わしさだけが思考の大半を占めていた。
程なくして電車がやってきた。いつもけたたましい音でやってくる電車の騒音にもすっかり慣れてしまって駅構内の放送のままに乗った。やはりと言うべきか、案の定同級生たちで溢れかえった電車は蒸し風呂状態で呼吸すらままならなかった。そんな時だった。
「お、いたいた! なあ、一緒に座ろうぜ」
すぐ隣にいた同級生に声をかけられ、席に座らされた。見知らぬ顔の同級生もいて、多分別のクラスか、もしくは先輩後輩かもしれないと思い、一礼した。
「水臭いな、お前進路相談どうだったよ?」
同級生が進んで話しかけてくれて正直助かったが、いきなり思考の大半を占める内容を軽いノリで持ち出され、内心どう取り繕うか悩んだけれど、相手は同級生だ。
「え、うん、まあ、特に何も、って答えた」
「俺も俺も」
「もう半年後には志願書とか出す季節がくるみたいだけど俺も何も考えてなかったわ」
先輩は最終学年であり、そろそろ進学か就職かをすぐに決めないといけなかったのだろう。おそらく家に帰って親と相談するつもりだったのか、手提げ用のスクールバッグに入れていた。何だかんだ大事な書類だからなのかべこべこに折れていたクリアファイルに入れて書類に傷がつかないようには配慮していたらしい。
クリアファイルがボロボロなら意味がないと思う、なんてツッコむのは人付き合いをするうえでは野暮だと思う。
「ところでさ、お前、彼女とか作らないの?」
「えっ」
「ほら、早く作らないとあっという間におじさんになっちまうぞー。A組の沢田さんとか可愛らしいじゃん」
「先輩がチャラすぎて沢田さん驚いて印象悪くするだけですよ。だって沢田さん如何にもコスモスとか似合いそうなお嬢様って感じじゃないですか」
先輩と後輩のリズミカルなやり取りに俺は「女の子って何が好きか分からないんですよー」と曖昧に笑ってその場を切り抜けた。
「おー、そういうのはコンビニに行って可愛い女の子の写真がある雑誌を買いに行くんだよ」
「先輩! 俺達の可愛い先輩を巻き込まないでくれますー?」
後輩が先輩に茶々を入れて盛り上げているのを見て、俺は彼のしっかりした態度に内心かなりひるんだ。
俺が高校に入った時、こんな風に器用な会話なんてできなかった。たどたどしい返事で、あの、そうですね、とかしか返せなかった気がする。
俺のやりたいことなんかわかるわけない。そもそも俺は後輩に助けてもらわなかったらまともに会話できないんだから。
突きつけられた現実は背筋を凍らせるのに十分で、俺は何一つ考えないまま、ただ敷かれたレールを歩いてきた。
「んじゃ、また明日な!」
先輩の降りる駅に着いたのか俺は曖昧に笑って手を振る。後輩は元気よく「お疲れ様です!」と声をかけて見送った。
ガシャン!
程なくして自動で締まったドアと通路を見てみると高校生の数は疎らになっていた。あんなふうに混雑していたのに嘘みたいだと思った。
「先輩」
元気よく返事していた後輩が少しだけ落ち着いた声で呼びかけた。
「えっ、と、座席、ありがと。助かった」
「あ、忘れてます? 真多先輩ですよね。俺、南です」
「み、南……お袋の同級生の南さんちの?」
「そうです。おばさんはよく来るんですけど真多先輩はあんま来ないから母さんも気にしてましたよ。ところで西駅で降りるんですよね。母さんに送り迎えしてもらってるんで乗ります? 母さん喜びますよ」
「南……わかった。じゃあ今日だけ甘えるわ」
「律儀だなあ、先輩は」
運命って不思議だと常々思った。南と名乗った後輩――南知也は近所で仲良しの腐れ縁だった。もっともお袋と親父と南さんちの両親は仕事柄よく付き合うそうでたまに南さんちに行くから遅くなるなんてライソを貰ってはひとりで適当に食べてトゥツデに上がった動画を見てゲラゲラ笑ってそのまま寝落ちするのが習慣だった。
「真多先輩、土曜日暇です? 真多先輩んちお邪魔していいですか?」
近所で馴染みがある人間だとわかった瞬間、少しだけ落ち着いてきて、軽やかに遊びに誘ってくれる南に対して俺は大はしゃぎした。
「やった! 後輩からのお誘いだな。よし、谷村と岩田に後輩ができたことを自慢しないと!」
二年連続クラスが一緒で帰宅部でライソのバカみたいなやり取りするいつメンの名前を出して俺は大はしゃぎした。いつもいつメンからは坊ちゃんだの坊やだの赤ちゃん扱いしてからかわれるがこの役割も近日限りで終了という希望を得て俺は水を得た魚のように大はしゃぎして早速谷村と岩田にライソを送った。高校からすぐ近い彼奴等のことだから今頃メイクドマルドでポテトをシェアし合ってるだろうなと思った。南はそんな俺を見てふと、困ったように笑って言った。
「先輩、人望ありすぎですよね」
俺は首を傾げて純粋な南に言った。
「これ、人望か? どう見ても人で遊んでるようにしか見えないだろ。南はそんなふうになってはいけません。純粋でいるんだぞ」
「はい、先輩」
可愛いやつめ!
純粋そのものの笑顔で先輩って言われたら嬉しいだろ?
かつて谷村達にされたような可愛い子扱いを俺は南にした。だって、南はまだ高校入学したばかりだ。俺が南を守ってやらないと、と意気込んだ。





