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親友に嵌められて推薦枠を失った日から、わたしは同じことをする側になりました  作者: 桜野結
第1章

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8/13

第八話 もう誰も信じない

6月20日、木曜日。


千歳が、USBメモリをわたしの机に置いた。


「入ってる」


「……ありがとう」


「お礼はいらない。取引だから」


千歳はそう言って、自分の席に戻った。


家に帰って、パソコンに挿した。


ファイルは1つだった。


再生時間、3分42秒。


わたしは、その数字を2回見た。


回っていた6秒は、この中の一部だった。


再生した。教室の斜め後ろから、わたしの背中が映っている。何も起きない。ページをめくる。何も起きない。1分たっても何も起きない。


2分14秒のところで、消しゴムが落ちた。


わたしが体をねじって、戻る。


そのあとも、録画は続いていた。1分28秒、何も起きないまま、終わった。


楓は「3日とも撮った」と言った。3日で、これが3本ある。


3本のうち2本は、何も映らなかったから消したのだろう。


消さなかった1本が、これだった。


わたしは、そのファイルを持って、2つのことができた。


1つ。楓を告発する。撮影者が特定できれば、楓は特別指導になる。


2つ。自分の無実を証明する。消しゴムが映っているのは、この元データの2分14秒だけだ。


わたしは、2つ目だけを選んだ。


理由を書く。


楓を潰しても、わたしの評定は上がらない。楓を処分すれば、動画の話が学校の記録に残る。記録に残れば、室生先生の言った「済んでいない話」が、はっきり済んでいない話として文書になる。そうなると、枠の話に戻るまでに時間がかかる。


7月に間に合わない。


だから使わない。


これが理由の全部だ。


そう書いておく。


その夜、わたしは自分の部屋で、声に出して言った。


「嘘はついてない」


都築陽の万引きは事実だった。わたしは1つも作っていない。見ていないことを見たとも言っていない。


元データも本物だ。消しゴムは本当に落ちた。


わたしは、事実しか使っていない。


「嘘はついてない」


もう一度言った。


言ってから、その言葉を、誰に向かって言っているのかを考えた。


部屋には誰もいなかった。父は下にいたが、階段を上がってくる音はしなかった。


誰もいない部屋で、わたしはそれを2回言った。


7月1日、月曜日。放課後、進路指導室に行った。


USBメモリを机の上に置いた。


「これ、元のデータです」


室生先生は、ノートパソコンに挿した。3分42秒を、早送りせずに全部見た。


2分14秒のところで、先生は一時停止した。


画面の中で、白い消しゴムが机の右から落ちて、床で2回跳ねていた。


「これか」


「はい」


先生はもう一度、最初から再生した。今度は倍速だった。見終わってから、パソコンを閉じた。


「わかった」


「戻れますか」


「戻る」室生先生は言った。「疑いが消えたなら、外す理由がない」


わたしは息を吐いた。


吐いてから、自分が3か月ぶりに息を吐いたような気がした。


「これ、誰が撮った」


先生が聞いた。


「言いません」


「言えないのか」


「言いません」


わたしはそう答えた。


嘘ではなかった。言えないのではない。言わないと決めた。


「なんでだ」


「言っても、わたしの評定は上がらないので」


室生先生は、しばらくわたしを見ていた。


「そうか」


それだけ言って、USBメモリを返した。


廊下を歩きながら、わたしは自分の言った言葉を思い出していた。


言っても、わたしの評定は上がらないので。


3月のわたしなら、あの場面で泣いていたと思う。撮った人がいるんです、と言っていたと思う。


4か月で、わたしは泣かない人間になった。


なったというより、泣いても何も起きないことを学んだ。


学ぶ、というのはたぶんそういうことだ。


7月4日、木曜日。


わたしが校内選考の対象に戻ったことは、掲示されない。そういう発表はしない。


だが、教室では2日で伝わった。


楓が机に来た。


「戻ったって、ほんと?」


「うん」


「よかったじゃん!」


楓は本当にうれしそうだった。


「なんで戻れたの?」


「動画の元のやつが出てきたの」


「元の?」


「消しゴムが映ってるやつ」


楓は、笑ったまま、動かなかった。


0.5秒くらいだったと思う。それから、また笑った。


「そっか。よかったね」


「うん」


「誰が持ってたの、それ」


「言えない」


「そっか」


楓はそれ以上聞かなかった。


わたしも言わなかった。


わたしたちは、その日も一緒に弁当を食べた。


7月5日、金曜日。


千歳が自販機の前にいた。わたしが通ると、こちらを見ずに言った。


「戻ったんだ」


「うん」


「よかったね」


「ありがとう」


「お礼はいらないって言った」


千歳はミルクティーのボタンを押した。缶が落ちてくる音がした。


「ねえ」


「うん」


「あの1年の子、転校したよ」


「知ってる」


「そう」千歳は缶を取った。「知ってて、どんな感じ?」


わたしは、その質問の意味を考えた。


からかっているのではなかった。責めているのでもなかった。


本当に、知りたがっていた。


「……何も感じない」


「ふうん」


千歳は缶を開けた。


「わたしと同じだ」


そう言って、行った。


わたしはその場所に、少しのあいだ立っていた。


わたしと同じだ、と言われたことに、腹を立てるべきだった。


腹が立たなかった。


7月8日、月曜日。


バドミントン部の1年が2人、辞めたという話を聞いた。


都築の件のあと、部の中で「誰が話したのか」を探す動きが続いていたらしい。話した本人は名乗り出なかった。名乗り出ないので、疑われた子が2人辞めた。


わたしはその話を、廊下ですれ違った子たちの会話から聞いた。


わたしが動かしたのは、1人分だと思っていた。


実際には、3人分だった。


わたしはその日、そのことを誰にも言わなかった。


千歳にも報告しなかった。


報告する義理はない。取引は終わっている。


そう自分に説明して、終わりにした。


7月10日、水曜日。進路希望調査の締切日だった。


指定校推薦を希望する生徒は、第3希望まで書いて出す。


わたしは早瀬大学経済学部を第1希望に書いた。第2も第3も書かなかった。書く欄はあった。書かなかった。


提出のとき、室生先生が言った。


「1つだけか」


「はい」


「落ちたらどうする」


「考えてません」


「考えとけ」


「はい」


わたしは考えなかった。


考えると、他の道があることになる。他の道があると、この4か月に意味がなくなる。


7月12日、金曜日。父が家にいた。


台所のテーブルに、封筒が3通あった。銀行の名前が入っていた。


「奨学金の書類、まだ?」


「ああ」


「9月に間に合わないよ」


「わかってる」


父はそう言って、それ以上何も言わなかった。


わたしは自分の部屋に上がった。


上がる途中で、階段の途中から、父の背中が見えた。父はテーブルの椅子に座って、封筒を1通ずつ、まっすぐに並べ直していた。


3通を並べ終えて、また端をそろえていた。


7月13日、土曜日。


わたしは母にメッセージを打った。


『推薦の候補になりました』


打って、送った。


30分後に、返事が来た。


『よかったね』


4文字だった。


わたしはその4文字を見て、次に何を打つべきかを、20分考えた。


20分考えて、何も打たなかった。


打たなかったのは、何を打っても、返ってくるのが4文字だとわかっていたからだ。


7月16日、火曜日。


昼休み、楓とわたしは、いつもどおり弁当を食べた。


楓は数学の補習の話をした。夏休みに5日ある。楓は出るらしい。


「わたし、数学だけほんとに無理」


「うん」


「澪は出ないでしょ」


「出ない」


「いいなあ」


楓は笑った。


わたしは、明日、掲示が出ることを知っていた。楓も知っていた。


2人とも、その話をしなかった。


弁当を食べ終わって、楓が「お茶いる?」と聞いた。


「いる」


楓は自販機まで行って、2本買ってきた。1本をわたしに渡した。


「ありがと」


「いいよ」


それが、わたしと楓が普通に話した最後の日だった。


7月17日、水曜日。


進路指導室の前に、紙が貼り出された。


指定校推薦 校内候補者一覧


上から順に、大学名と、学部と、候補者の名前が並んでいた。


早瀬大学 経済学部 佐倉澪


わたしは、自分の名前を3回読んだ。


読んでいるあいだ、何も感じなかった。


感じるまでに、10秒くらいかかった。10秒たってから、指が冷たくなった。


掲示の前に、20人くらいいた。


その中に楓がいた。


楓の名前は、どこにもなかった。楓は経済学部を第1希望にしていた。それは、わたしも知っていた。


楓はわたしに気づいて、こちらに来た。


「おめでとう」


「……ありがとう」


「よかったね、ほんとに」


楓は笑っていた。


悔しそうではなかった。強がっている顔でもなかった。無理をしている人の顔を、わたしは何度も見てきた。楓のそれは、そういう顔ではなかった。


「わたし、一般で受けるからいいや」


「うん」


「澪、頑張ってね」


楓は行った。


わたしは、その後ろ姿を見ていた。


勝ったはずだった。勝ったはずなのに、何も取り返していない気がした。


理由はわからなかった。わからないまま、わたしはその場所を離れた。


昇降口で、東悠真が待っていた。


楓を待っていた。


わたしを見て、彼は少しだけ頭を下げた。


「おめでとう」


「ありがとう」


「よかったな」


「うん」


それだけだった。


楓が来て、2人は並んで出ていった。


悠真は一度も振り返らなかった。


7月19日、終業式。


1年生の教室が並ぶ棟を、わたしは通った。通る用事はなかった。


1年3組の前で、少しだけ立ち止まった。


窓から見える範囲に、都築陽の席がどこだったのかを知る手がかりはなかった。名前の残っているものは何もない。机の数は、たぶんもう合わせてある。


わたしは、あの子の顔を思い出そうとした。


背が低くて、髪を1つに結んでいた。目は赤くなかった。


それ以上は出てこなかった。


6月7日に体育館で見た7人のうち、どれがあの子だったのかも、もうわからない。


6週間しかたっていないのに、もう出てこなかった。


わたしはその廊下を通り抜けて、階段を降りた。


家に帰って、財布から紙を出した。


4つに折った評定分布の一覧。3月4日から入れっぱなしで、折り目の線が白くなっていた。開くときに、真ん中が少し破れた。


机の上に広げた。


4.8。4.7。4.6。4.5。4.4。4.4。4.3。


数字は3月と同じだった。名前は書いていない。番号と数字だけだ。


3月にこの紙を折ったとき、わたしはこの7人のうちの誰かに勝てばいいと思っていた。


わたしは勝った。


4か月で失ったものを、順番に数えた。


母。父の会社。東悠真。神谷楓。それから、都築陽という名前の、顔をもう思い出せない1年生。


5つだった。


わたしはペンを取って、紙の余白に1行書いた。


『もう誰も信じない』


書いた字が、思ったより小さかった。


もう1行、下に書こうとして、書くことがないことに気づいた。


紙を4つに折り直して、財布に戻した。


財布を鞄に入れて、電気を消した。

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